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疲れている時ほど全てに名前が欲しくなるアレ

元々疲れていようがいなかろうが私の頭の中は常に考え事や心と感情の余所見運転で見る目も当てられないのだが、最近はその現象が少し活発になり過ぎている自覚がある。座っていても、立っていても、何なら眠るために布団に入って横になっても常に濁流が脳みその中で物凄い音をたてているため少々疲れてしまう。何も考えないという状態は、何も考えないように頑張らないと生まれない。そして上手くいったとしてもそれは100%の何も考えないではない。ここまで来れば何も考えないのゲシュタルト崩壊である。

毎日生きていると、こんなことはないだろうか?考え事をしている時、沸騰したお湯のようにぼこぼこと沸いてくるひとつひとつに名前が欲しくなるのだ。この感情の名前、このもやもやの名前、この出来事に付けるべきタイトルなど。映画や漫画にそれぞれタイトルがあるように、私の中に無限に沸いてくる全部に名前が欲しくなる。名前が付くと意味もちゃんとあるように思えるからだと思っていたが、単に疲れているだけなのかもしれないとも思える。前者の方が「っぽい」から、前者ってことにしておきたい。
人生とはその日その時その場所での最適解の「っぽい」を探し続けることなのかもしれない。更に「っぽい」ことを言えたぞ。類は友を呼び、っぽいはっぽいを呼ぶのだろうか。言ってるそばから雲行きが怪しくなってきた。言わんこっちゃないとはまさにこのことだ。

生きるために渋々働いていると、渋々働いてるだけあってそれはもう毎分毎秒色んな感情が沸く。私の心がヤカンの形をしているのならそれは常にコンロの上にあって、火をかけられていて。常にピー!!だのぼこぼこだのぐつぐつだの音をたててそこにある。私は空焚きしないように必死で、でもそのやかんの中に沸いた大小の泡ひとつひとつに名前や意味を求めてしまう。時には疑問を抱くし、考えても仕方ないことほど何処までも何処までも突き詰めて考えてしまう。そうしてる間に中のお湯が蒸発して、心が空焚きになってしまったことが何度もある。
これを書いてる間だって常に心の余所見の連続だ。今考えていたのは本当に心がやかんなら何色がいいかなぁ?だし。どうかしてるよ。因みに黄色がいいです。ほらね、私ってこんな感じなの。

これを友達に話してみたところ、そういう状態になったら必殺カードの知らんがながおすすめとのことだった。自分としてでなく、心の中の誰かに知らんがなと言ってもらうイメージが有効だと言う。友達は友達で人知れず苦労しているのだなぁと感心してしまった。

それで、多分これを読んでいる人としてはその効果の程が気になるだろうということで、そんなせっかち共のために結果だけ先にお知らせしよう。結果は「知らんがなを知らんがなとばかりに、やっぱり濁流は濁流のままでした」だ。

インターネットで見掛けた話、山崎製パンがシール集めるとくれるお皿は強度硬度が強過ぎてなかなか割れない。しかし、山崎製パンの皿同士をぶつけるとお互いの強度硬度に負けて2枚共割れてしまうのだという。知らんがなも山崎製パンがくれる皿も、そういった意味では同じところに行き着くのかも知れない。ヤマザキ春の知らんがな祭りの開幕である。

そして何を隠そうこれを書いている今現在も、頭の中では心のやかんのピー!!という甲高い音が響き渡っている。これだから夜起きているのは嫌なんだ。そもそも夜勤なんて回数重ねるごとに寿命を削ってるだけじゃないか。削るならチーズがいい。あのチーズ、名前なんて言うんだっけ。掛けてもらうならやっぱりパンがいいかしら…等と、眠気と空腹度合いによってはこんな風にどんどんそっちへ思考も話題も逸れていく食いしん坊で良かった。

それにしても、ヤマザキ春の知らんがな祭りって語呂いいな。始まりがヤマザキで最後に祭りが付いてれば最終的にどうにかなりそうという絶大な信頼さえ生まれつつあるもんな。ちょっと試してみっか。

ヤマザキ春のもう働きたくねぇ祭り

全国の山崎さんから「知らんがな」と言われる前に、この文章を終わろうと思う。

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます