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さて、私は誰でしょう

これはばあちゃんについての記事です。ばあちゃんについてよく知らんという方は、こちらを先にどうぞ。


私のばあちゃんは筆マメな人だった。じいちゃんと小さなアパートで暮らしてた頃も、じいちゃんが早くに亡くなって叔父さんの家で暮らすようになってからも、いつも何かとノートに何かを書いていた。
今日するべきこと、贈り物をしてもらった人へのお礼状、買い物メモ、家計簿、日記。いつも何かを書いていた。「これをしなくなったら終わりかも分かんないね」と、かつてばあちゃんは笑って私にそう話した。

時を経て令和も6年になる今日この頃、今日もばあちゃんの認知症は進行している。認知症は発症したら止まることはない、治ることもない。しかし、施設の人にばあちゃんの様子を聞けばいつも決まってこういった返事が返ってくる。

「いつもお部屋でノートに家族さんの名前と、電話番号を書いていますね」

認知症になっても、施設に入っても、ばあちゃんは何かを書き続けている。

介護の仕事を長く続けていれば、ばあちゃんと同じ行動を取る人に何人も何人も出会ってきた。祈るように、縋るように、ノートに家族さんの名前を書き続ける。電話番号や住所も時にそこに加わる。赤の他人から見れば一体何のためにと思うかもしれないし、職員でさえ「まぁ、手と頭のリハビリにはなるんじゃない?」と笑う人も居た。だけど私は一緒になって笑うことは出来なかった。

ばあちゃんが認知症になるずっと前、介護の仕事に就いて日も浅い頃に同じようにノートに家族さんの名前を書き続けている方がいらっしゃった。顔は真剣そのもので、だけど何処か寂しそうな目をしていた。私は居室のごみ集めのついでに話し掛けた。

「家族さんの名前、ずっと一生懸命書いていらっしゃいますね」
「でも、もっと居たはずなの。書ける人数がどんどん減っていくの」

彼女は笑って話してくれたが、私から聞いたことのはずなのにその返された言葉に私は何て言ったらいいのかわからなくて、ごみを集め終えるなりそそくさと部屋を後にした。
その後、その方は持病が悪化し入退院を繰り返すうちにノートに字を書く姿は見なくなった。職員の記憶に残っているのは寝たきりでずっとベッドに横になっている姿なのかもしれない。書き溜めたノートがどうなったのか、家族さんに渡されたのか、私は知らない。

話を自分のばあちゃんに戻そうと思う。

そんな経験をして来たからというわけではないが、私はばあちゃんが今も毎日施設の部屋で何かを書き続けているという事実に安心している。書くことが、ペンと紙のある環境が、ばあちゃんの習慣であり日課なのだ。ばあちゃんといえば書くことで、書くことといえばばあちゃん。ばあちゃんもきっと、それを信じている。いつか言った「これをしなくなれば終わり」で自分を奮い立たせているのかもしれないし、それは分からないけど。私が安心していることに安心してくれやしないかと、押し付けがましい願いを私は今日もやめられない。

私の母ちゃんというのはばあちゃんの娘だ。私には孫としての思いがあるように、母ちゃんには娘としての思いというものがある。母ちゃんはばあちゃんが施設でずっとノートを書いていることについて、ある日こう言った。

「もっと覚えておくべきことがあるでしょうにね」

私はこれを聞いて特段酷いとは思わなかった。酷いとは思わないにせよ、介護という現場に居たことが無い分見えていない部分もあるかもしれないと思って、母ちゃんに伝えた。

「他の何を諦めても大切な人達の名前を覚えていたくて、そこに書き連ねてる名前にはあなたの名前もある。それは忘れていく病気を患っている人にとって、最大限の愛情表現だと思う」

ばあちゃんの本心なんか、分からない。私が言ったことは憶測に過ぎずミリも掠っていない可能性もおおいにある。だけど、母ちゃんには母ちゃんしか負っていない傷がある。怖さもある、不安もある、絶望もきっとあるだろう。そんなことを言うな、もうこれ以上覚えられない病気なんだ、どうしてそんなことを言うんだと責めるのは簡単なことだけど、それだけはするべきではないこと位賢くない私にだって分かっていた。私に出来ることも、言えることも、それしかなかった。

そもそも認知症というのは元々の親子関係や家族関係にもよるし一概には言えないが、親子となると受け止めることに大層時間を要するものなんじゃないかと感じている。

父ちゃんの母ちゃんの方のばあちゃんが認知症になった時は私はまだ中学生だったが、父ちゃんはばあちゃんをよく怒っていた。当時の私は当然介護の知識もまだ何にも無いし幼かったから、父ちゃんに対してあんたって人も私のばあちゃんになんて態度を取るんだろうねと感じることもまぁまぁあった。
だけど、振り返れば今なら分かる。父ちゃんがばあちゃんを怒る時、父ちゃんは父ちゃんじゃなかった。ばあちゃんの息子だったのだ。変わりゆく自分の母ちゃんを黙って行かせることが出来ず、必死だったのだ。しっかりしてくれ、元に戻ってくれ、頼むからと。
当時中学生だった私はそれが分からず、車内でばあちゃんが少しおかしなことを言っただけで声を荒げた父ちゃんに「そんな言い方をするのはやめて、どうしてそんな酷いことを言うの」と怒ったことがある。あの日見たバックミラー越しの父ちゃんの悲しそうな目を、私はずっと忘れられない。

今なら分かるのに、と思う。

父ちゃんは怒りたくて怒ったわけじゃなくて、傷つけてやろうと思っていたわけでもなくて、ばあちゃんが育てた息子だから。お母さんがおかしくなっていくのを止めたいけど止められない、認知症は進行だけして止まりもしなければ治りもしない。感情の行き場が無かったんだと。どうしてそんな酷いことをなんて、父ちゃんがずっと自分で思い続けてきたことだ。
今なら分かる、今なら分かるけど、もう父ちゃんの母ちゃんであったばあちゃんはこの世に居ない。父ちゃんの方のばあちゃんについては、私は間に合わなかった。

だからと言って、父ちゃんのばあちゃんの時は間に合わなかったから母ちゃんの方のばあちゃんでは役に立とうとか、そういった思いはない。

たまたま介護の仕事に就いたし、それなりに知識もある。施設で利用者さんが朝から晩まで繰り返すような行動や言動をばあちゃんが取るようになってもきっと対処自体は出来るだろう。でも、出来るからってどうにもならない。
これは完全に私の持論だが、介護は他人だからこそ出来ることだ。他人でなければ出来なくもないが、難しい。実際国家資格を持ってようが、毎日職場で認知症の方を見ていようが、私自身もばあちゃんを認知症と認めるのに時間を要した。他の誰が見ても様子はおかしいし、言ってることもちぐはぐだし、見えないはずのものが見えているし、聞こえないはずの音や声が聞こえているのに。

認知症がつらい病気であるのを痛いほど知っているからこそ、ばあちゃんがその病気にかかっているのをギリギリまで認めることが出来なかった。

今は施設にも入所出来たし、認めてはいる。私のばあちゃんは認知症で、介護度2。

賑やかなのが苦手だからレクや集団体操の類には参加しない。1日の中でしていることと言えば部屋の中でノートに家族の名前と電話番号を書くこと。でも、電話の掛け方を忘れてしまったから電話番号が分かっていても電話は掛けられない。
膝が悪くて左足を引き摺る。右膝を庇って歩くから左脚にも負担が掛かって左足も痛がる。何故か貼る湿布を信用してなくて、塗るタイプの湿布に固執する。貼る湿布を勧めた先生にもう会うことはないのにずっと悪口を言う。先生の名前も病院の名前も忘れたけど、言われて嫌だったことは忘れない。人間の本能だなぁと思う。
ドラッグストアなどで売っている3切れ入りのロールケーキが好き。この間は3切れ入りのロールケーキを3切れ食べたら無くなった、隣の部屋のばあさんが盗み食いしたに違いないと悪口を言っていた。隣のばあさんにしてみればとんだ言いがかりである。3から3引いたらそりゃあ0になるわなぁと呑気に答えた私をばあちゃんは「分からず屋」と言った。自分のばあちゃんだからこそ言わせてもらうが、この町で一番の分からず屋ばばぁを決めるコンテストがあればあんたがぶっちぎり優勝に違いない。それでもあいしてる。あいしてる、それでも。

ノートに家族の名前を書き続ける意味を、数桁の番号が記憶からこぼれ落ちないように必死にメモを取り続ける時間の孤独を。そのやるせなさごとあいしてる。

どんな思いで、と思う。自分の家ではないことしかわからない場所で、同じことを必死に書き続けること。忘れる病気にかかって忘れたくない一心でペンを握ること。哀れむことはしないけど、代わりに想像するのをやめないでいる。ばあちゃんが今どんな思いでいるのか、ずっと考える。的外れでも考える。私にはもうそれしか残っていないから。

毎日会う利用者さんでさえ、一晩明けて会いに行けば「あんたの名前、ここまで出かかってるんだけどなぁ」と困った顔で言う。月に一回会えるか会えないかの孫の私は、近いうちにきっと消えてしまうだろう。利用者さんは利用者さんで、ばあちゃんはばあちゃんで、同じに考えたくはない。だけど、どちらにせよ掛ける言葉や選ぶ返事に正解はないのは同じだから。
いつか、ばあちゃんに同じことを言われたらと考える。「あんたの名前、ここまで出かかってるんだけどなぁ」や「あんた誰だっけ」と。その時はきっと上手くやってみせるから、こなしてみせるから、まだもう少しだけ私を覚えていてほしい。何かのはずみで私の名前をノートに書いて欲しい。そんな押し付けがましい願いを私は今日もやめられない。

「さて、私は誰でしょう」

ばあちゃんにそう言って笑う日がどうか、まだ少し遠くでありますように。

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます