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拝啓、元同僚の衛生兵へ

いきなり何だと思われるかもしれないが18歳から介護業界で働き始め、今日に至るまでひとつの職場に留まらず色々と転々としてきた私なので、私には数多の元同僚が存在する。今回はその元同僚の中でもなかなか強いインパクトを刻んだ施設看護師の女について話そうと思う。

その元同僚のことを仮にK子としよう。伏字なんだか、伏字じゃないんだかよく分からないチョイスだが別にいいだろう。呼び名など大したことではない。
私が介護業界で働くことを決め、当時資格だけ持った未経験の私を採用してくれる施設はなかなか見つからず、漸く見つかった働き口でK子は働いていた。
私は緊張と、これから先この業界でやっていけるのだろうかという不安でいっぱいで今にも吐きそうであった。しかし、母から口酸っぱく「とにかくあんたはまだ介護のことはなんにも分からなくて出来なくて当たり前なんだから、唯一出来るのはでかい声で挨拶することと目にも止まらぬ早さで謝罪とお礼を言うのを頑張りなさい」と言われていたので、私は母の教えの通りにした。
当時は母のその教えに対してあんたっていう親ももうちょっと教えるべきこととか、人生においてのなんらかのコツってものを教えてくれてもいいんじゃないのか等と口答えする余裕も無ければ、そこまでへそも曲がってなかった。緩やかなウェーブの初々しくもフレッシュなへそであった。

そんな文字通りの期待の新人の私が初出勤で元気いっぱいに挨拶した日、夜勤明けだったらしいK子が言い放った一言が未だに忘れられない。

「おはようございます!!「やかましいっ!!」

顔の周りを飛ぶ蠅を叩き落とすが如く返答に、私はイメージ通りにぺしゃんこに潰されてしまうところだった。あとから聞いた話、夕方から朝まで仮眠もなく忙しなく働いているのに大声を出されて無性に腹が立ったとのこと。理不尽がパンチパーマで若干腰を曲げて歩いているのを想像してほしい、それがK子という女である。皆さんの印象は最悪だと思うが、私にとってもちゃんと最悪だったので安心していただきたい。

K子という女はとても理不尽且つ横暴な女であった。施設設立の頃から働いているというだけで何もかもの上に立ち、誰に対しても好きな口を聞き、何か教えてもらおうとすれば「暇そうに見えるかね、あ〜あ心外だ」などと言う自他共に認めるクソババァだった。
当時、一番歳の近かったギャル男職員には「もう利用者側に片足突っ込んでる人だから、言われること1割くらい聞いて9割くらい聞き流しても大丈夫だよ。あの人は本題に入るまでのイントロが長い人だから…」と何度も休憩時間や退勤後の玄関前のベンチで慰めてもらった。私がK子の主電源の場所さえ知っていればイントロが流れ出した時点で切ってやるのにと何度も想像したものである。

当時、私はまだうら若き10代の乙女であった。K子にいちいちボコボコにされてはひとつひとつ傷付いて家に泣きながら帰り母に泣き言を言ったものだ。母は「ただでさえ認知症のばあさんに手をやいてるのに、職場の同僚のばあさんの面倒まで見なきゃいけない義理はないでしょうにねぇ〜」とか言っていた気がする。同時に「その人はどうせあんたが仕事が出来ても出来なくても粗探しして喜びたい人だと思うし、どっちかと言えば出来るようになって言われる方がいいかもね。仕事が出来て初めて口答え出来ると思うし。ボコボコにしてやりゃあいいんだ」とも言っていた気がする。ボコボコにしてやりゃあいいんだは確実に言っていた。18歳の娘に対する教えではないだろう、絶対に。

紆余曲折を経て、私はまず何を言われても仕事を覚えようと思って実行した。K子は相変わらずであったが、ある日を境に「なかなか骨のある若い衆だ」と言ってから気儘に皮膚観察の仕方や処置の仕方などを教えてくれるようになった。同時に、K子は自他共に認めるアナログばあさんでPC作業が大の苦手だったので K子のPC業務の影武者などをやるようになった。そうなって来ると、当初はとんでもねぇクソババアだと思っていたK子のこともクソはつかなくなってとんでもねぇババア程度の認識に変わっていく。
どんな風にとんでもなかったかと言うと、自分の夜勤の日にクーラーボックスとマイ鍋を持参して夜食に自分で寄せ鍋拵えて食べるような女だった。「第二の我が家だからな、ガハハ」とK子はよく言った。そして私はそれに対して「絶対ここに入居しないでほしい、私の夜勤帯で寄せ鍋でボヤ騒ぎ起こしたら退去してもらうかんな」等と軽口を叩いたもんである。
周囲の同僚は孫とばあさんと我々の関係をそう呼んだが、お互いに「こんながさつなガキは嫌だ」「こんな横暴なばあさんは願い下げだ」と言い合った。口は悪いが悪くない時間だった。

K子はそのとても図太い性格とライフスタイルから、職場のギャル男からなかなか撃たれない衛生兵という異名を授けられていた。本人も満更でも無さそうであった。漫画であれば照れ笑いしながら鼻の下を指で擦るガキ大将というか、そんな感じのリアクションだったのを覚えている。結構失敬なこと言われてる気がするよとは言えなかった、なんやかんや歳の離れたマブダチの感覚さえあったのだ。次の瞬間には年齢を理由に看護業務をなすりつけてきたりして、ちゃんとクソババァ要素も要所で取り入れてくる味変とスパイスを忘れない人。K子とはそういう女であった。

その後、私が入社して2年程した頃にK子は「なんでこの歳にもなって腰も膝も痛いのにこんなに働かされなきゃいけねえんだよ」と施設長と事務長に吐き捨てて辞めてしまった。最後までなかなか撃たれないし、寧ろ最後の最後に撃って去っていくワイルドなK子。職場での出会いは一期一会だ。K子と会うことはそれ以降無かった。

と、言いたいところだがK子とはその後も地味に交流が続いた。「ぼけ防止でケータイ始めたからよ」とメールを思い出した頃に送って来るようになったのだ。一度「あたしゃ人間デイサービスか」と言ったことがあるが、「玉入れなんてくだらないもんにあたしを誘った日にゃああんた、隙をついて離設してやっかんな」と小粋なばあさんジョークを返してきたりもしてくれた。しかし、自らリハビリ目的のメールを自称するだけあって一通の往復に1日〜3日掛かったりした。途中で力尽きて倒れてやしないかと心配になったりしたが、そうなると「ところがどっこい生きてるよ〜ん」とだけ送ってきた。
しぶとい女だ、辞めて尚なかなか撃たれもしなければありとあらゆるお迎えを追い返し健康真っ只中を爆進していた。

当時18だった私もこの業界で生きていくために社会の荒波に揉みに揉まれて図太くしぶとくこびりつく油汚れが如く生き抜いて、なんやかんやといい歳になった。K子は当時から自他共に認めるばあさんであったが、更にちゃんとばあさんになった。いよいよもって私の施設に入所してやるぞというギャグが冗談なんだか本気なんだか見分けがつかなくなってきている今日この頃、ついこの間K子からメッセージが届いた。

「なんか最近、とうとうお迎えが近い気がしてきました」

寒暖差もあるのかと思い、弱気になることもまぁまぁあるよなと思いなるべく優しい言葉遣いと傾聴の姿勢を崩さぬよう私は心掛けた。

「因みに近いってどれくらいですか」

私の質問にK子はやはり3日遅れで答えた。

「ざっと10年くらい」
「すげえ生きる気しかないじゃん」

そのまま今後も誰にも撃たれず長生きしてほしい。
そうだろ、K子。玉入れより弾撃ちが性に合ってるもんな、嫌いじゃないぜ。

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます