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映画 鳩の撃退法

公開初日に鑑賞。ほんとは9月に入ってから観ようかなと思っていたのだけど、9月第1週はおそらく仕事で手一杯。周辺のいろんな状況とスケジュールを考えると“この日しかない!”と思って、行ってきました。目的はぶんいちくんを観るため。まぁこれは原作を読んだ段階で、出演時間と役どころはある程度推測できてた。だって原作にはないもん。もちろんパンフレットにもいない。映画でもまえだの回想シーンに一瞬というか瞬きしてたら見逃しちゃうほどだもん。私も実際、出演直後に“あ、今のぶんいちくんだったな”と思い返したし、瞬きしたことを後悔した(笑)逆にあの出演シーンで“出演します”って記事になったことにびっくり。“松方”って名前もあったことにびっくり。そしてオール富山ロケなのに、あのためだけに行ったのならとても贅沢。と思ったけど、ぶんいちくんの髪からするとおそらくスケリグ金沢公演(2019.2.19)前後に富山に行ったのかなと思ったら、あの役にぶんいちくんがキャスティングされたのも合点がいく。ぶんいちくんのフットワークの軽さ、秀逸。

起用理由を推察するくらいにいろんなことが閃いて原作を読了したときとはちがう作品になってた。原作はツイートもしたけれど、叙述が多いというか言い回しが多いというか、読むにはとても長くて想像してもそこから広がらない。私が苦手とする書き方。映画を観たら原作のTMI(Too Much Infomation)なところがきれいに削がれていて、想像もしやすく広がっていった。なので、

・ニセ札をどうして鳩と呼ぶのか
・そのニセ札がどう回って津田の元に来たのか
・秀吉と倉田の幼少期からの関係
・倉田が寄付先をそこにした理由
・奈々美の妊娠を自分の子供ではないと断言できる理由

といった原作を読んでモヤっとしていた部分、原作に書いていたとしてもそこにまで想像を馳せることができなかった部分が視覚的になってスーッと整理された。最終的に残るのは“おもしろい”という感想。
実際、とてもおもしろかった。いろんなところに張られてた伏線とその回収。どれが現実でどれが小説か曖昧になってくる境界線。例えば三千万を燃やしたのか、寄付したのか、どちらかが現実でどちらかが小説。今回の場合、燃やしたのが現実かな。そして秀吉と津田がコーヒーショップで同じ時間を過ごしたのは現実かもしれないけれど、実際は会話もしていないかもしれない。コーヒーショップで原稿を書いていたのは事実で、同じ場所で読書している男の人と一家失踪事件の新聞記事から話を広げたのかもしれない。さまざまなことが想像できる。

別の場所で二人が出会っていれば、幸せになれるはずだった

この言葉は秀吉と奈々美、奈々美と晴山、晴山と加賀まりこ、秀吉と倉田、そして津田と秀吉、鳥飼が富山で実在を確認しなかった人たち、つまりは津田の小説の中にいる(津田以外)の登場人物に言えることで

「だったら、別の場所で二人を出会わせるべきだろうな」
「そうか、小説家ならそれができるのか」

そうすることができるのも、そうしないのも津田にかかっている。小説家ってずるい。

私の中では鳥飼が出ていないシーンは全て津田の頭の中(小説の世界)と思っている。よく小説家の方が「登場人物が勝手に動き始める」と執筆過程を表現することがあるけれど、それを覗いているかのうような感覚。冒頭の秀吉と津田のやりとりが津田が創り上げた秀吉が津田の頭の中で作品の世界を膨らませ、ラストの本を返しにきた秀吉が作品の完成とともにもう一人の登場人物である倉田と去っていく=出版される、そんな風にとらえてもおもしろい。
もしくは現実世界で失踪した秀吉が小説の中で生かせてくれてありがとうと津田に伝えにきた(もはやホラー)
あるいは時系列が考えているものとちがって、閏年の2月29日、自分は死ぬと悟った秀吉が奈々美と晴山のいる場所に倉田と向かう途中に本を返しに来た。氷の世界が流れるエンディングロールまでのシーンは車内で手を叩くシーンに繋がっている、と考えてもおもしろい。

おそらくラストシーンをどうとらえるかは観客に委ねられていて、視聴者参加型という意味はそういうことなんだと思う。少なくとも氷の世界が流れている間、私は死や暴力に向かう絶望感はなかった。それは秀吉も奈々美も晴山も殺されることが予測されるバッドエンドが津田によって車を旋回させて逃げようとする晴山とその隙に奈々美を車に乗せ、逃げる秀吉、それを笑みを浮かべて見送る倉田というトゥルーエンド(というかベターエンド)になったこと、どうしようもなく絶望の中で手を叩いた秀吉がもたらしたものが多幸感に包まれていたことが大きいように思う。
暴力と恐怖と死を感じさせるあのシーンの最後が救いがあってよかった。希望というか光が見える劇中小説「鳩の撃退法」の最後でよかったと心から思う。

もし、君たちが信じてくれるなら、とピーターは子供たちに向かって叫びました。手を叩いてください。ティンクを殺さないでください。

今こうして感想を書いている中でも倉田が津田に聞いた“つがいの鳩の行方”は残ったニセ札2枚ではなくて、失踪した秀吉と奈々美のことかもしれないし(時系列無視)、囲いを出た鳩は行方がわからなくなったニセ札ではなく、現実に起こったことをもとに小説を書こうとしている津田のことかもしれない。この作品において鳩はニセ札の別名ではなく“どうしようもないこと”なのかもしれない、とあれこれ考えてしまう。きっとどれも正解でそれが楽しい作品。

そしてどの考察も「小説は事実よりも奇(跡)なり」で「壮大なファンタジー」だということは揺るぎない。おもしろかった。 

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