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映画 シラノ

2022年2月27日 観賞

本来であれば大阪で“シラノ・ド・ベルジュラック”を観る予定でした。それが大阪公演直前に全公演中止となってぽっかり空いてしまった予定。もともと3月入ったらすぐに観るつもりだったのもあり、せっかくならと思って観てきました。

消化できないままでいた舞台。特にラップ部分で聞き取れなかったところや1回だけの観劇では把握しきれなかったシラノ以外のバックグラウンド。バルコニーシーンで突然バルコニーに出てくるクリスチャン。原作履修必須だった(ように思う)舞台では省略されたところを補完し、またその逆もあり、ようやくこの作品のおもしろさを実感できたような気がします。

ロクサーヌが身寄りのないこと、国が戦争で敗戦濃厚であること、クリスチャンが兵士の息子で読書や手紙に気持ちを綴ることはしてこなかったことは映画で初めて分かったこと。シラノとクリスチャンが初めて出会うシーンでシラノがクリスチャンを唐突に抱きしめるシーンも映画の方がわかりやすかったし、その次にクリスチャンがシラノを抱きしめて「真の友だ」と言うシーンとうまく対比ができていてそのシーン自体があたたかいものに感じました。
それからバルコニーシーンのロクサーヌとクリスチャンがキスをするシーン。舞台ではシラノが綴る詩に誘発されるように急にクリスチャンがバルコニーに登場してきたけれど(一人離れて拗ねてたけど。暗くなったと同時に捌けてバルコニーに登場したけど)、映画はそこもちゃんと辻褄が合うように、というか全然急ではなく筋道が通っていて。そしてそこでクリスチャンがシラノの本心に気付き始めるフラグも立っていて。作品で語られる一つ一つが唐突ではなく、強引ではなく、裏を考察することなく素直に受け止められた映画だったと思います。

それから17世紀、手紙は封筒に入れていたわけではなく、折ってシーリングする(裏面に宛名と差出人を書く)時代だったことに気がつきました。封筒と中身ではなく、どちらも手紙。そしてクリスチャンがロクサーヌの家にシラノの書いた手紙を持っていく、手紙にキスをしてドアの下に差し込むのも好きなシーンでした。“Every Letter”のシーン、とても好きです。

手紙を書くシラノ、名前を記して届けるクリスチャン、返事を書くロクサーヌ、ちゃんとこの作品に三人が成立していたことがとても嬉しかったです。代筆という行為がロクサーヌにとっては偽りではあるけれど、綴られているのは真実の言葉。それがまたせつなくて苦しいのだけど。三人の恋がちゃんと動いていたし、それは3人の表情が生き生きしていることで伝わってきます。それが私の気持ちを高揚させたし、その恋を終わらせるきっかけとなった事態やその後の展開を思うと哀しくもなりました。

ド・ギーシュの気持ち悪さもピカイチ。特にロクサーヌに出征のことを伝えにきた、ある意味壁ドンみたいなシーン。それまでは貴族の鼻につく嫌な感じだったり、独占欲だったり、そういうところが出ていたけれど、あの壁ドンとロクサーヌの手の甲にキスするシーンがとてつもなく気持ち悪い。あれを見るだけで嫌悪感。映画を見ていてあまりそういう感情を抱くことはないのだけれど、一瞬にしてその気持ちになったから、ド・ギーシュ役のベン・メンデルソーンってすごい。しかもその時はその気持ち悪さでいっぱいにして、本性はその後ロクサーヌに宛てた手紙に出してくるからほんとすごい。そして最後まで悪役。圧倒的に敵。それもよかったです。

そして戦場。名もなき兵士たちが突撃直前に愛する人に手紙を書くシーン。先日この歌を自然と口ずさんでいました。死を決意し、愛する人に二度と会えなくなることを覚悟し、愛する人が悲しむことを予期しながら綴る手紙なのに、メロディは不思議と明るく(それが人の盾として行進につながるのもあるかと思いますが)、それがまた辛く悲しさを際立たせていました。奇しくも公開直後に戦争が始まり、それがまたこのシーンやその後に続くシーンに重なり、この作品を観る意義が一つ増えたように思います。誰しもが愛する人に言葉を伝えることも、気持ちを届けることもできなくなる、戦争が憎いです。

映画と舞台では結末が違いました。
舞台はロクサーヌにとって残酷、映画はクリスチャンにとって残酷な印象です。
映画のクリスチャン、文字通りの当て馬。個人的にはクリスチャンの余韻を残す、というか出演していなくてもクリスチャンを感じる舞台の方の結末が好きです。
舞台、映画に関わらずクリスチャンにどうしても肩入れしてしまうので、映画の結末に納得いかないのは仕方ないのかな。映画シラノに大満足のわたしですが、クリスチャンを蚊帳の外にした結末はとても苦しかったです。でもあれはシラノの幻覚だったり夢だったり願望だったりするのかもしれません。もしかしたらシラノは道で倒れたところで絶命したのかもと思っています。死の間際にロクサーヌに伝えるシラノの言葉。自分の姿でロクサーヌに想いを伝えられなかったシラノだからこその言葉。それを赦すロクサーヌ。修道院のイメージからも“愛とは赦すこと”というキリスト教の言葉をイメージしました。

今回、シラノを原作とは異なる身体的特徴(こういう言葉を使うのは抵抗があるのですが)にし、クリスチャンは人種の壁を越え、ポリコレに最大限に配慮したという意見が散見していた作品ではありましたが、私は気にならずに作品にのめり込んだし、そこにこだわることもなく映画を楽しむことができました。シラノ役ピーター・ディンクレイジの“When I was born”もカッコよくて、好きです。というか、この曲、ラップ詞のところもあるし、シラノがラップで周りの観客がコーラスで盛り上がっていくところもあって、ミュージカルでもラップするんだと率直に思いました。
そしてロクサーヌ役ヘイリー・ベネットは透明感たっぷりで、彼女が最初に歌う“Someone To Say”の歌声が美しくて気づいたら泣いていました。おてんばで天真爛漫なロクサーヌ。とても魅力的でした。たくさんの手紙が舞い、愛の言葉のシャワーを浴びる姿がとても好き。
同じ“Someone To Say”ではクリスチャン役のケルヴィン・ハリソン・Jrが歌うシーンもクリスチャンのバックグラウンドがわかるとともに群舞も含め映像が鮮やかでとても好きです。

音楽もですが、映像は色の使い方がとても上手だったと思います。衣装はアカデミー賞の衣装賞を受賞するほどなのでいうまでもありません。さっき書いたロクサーヌが手紙が舞ってるシーンの水色と白、ラストシーンの柔らかい白。照明を含め美しかったです。そして戦禍のシーンはモノクロで、クリスチャンが銃弾に倒れてシラノが運ぶときの雪の白とクリスチャンの血の赤。セリフだけでなく音楽と色とで作られていくひとつひとつのシーンがどれも美しく、目に焼き付いています。シラノ役のピーター・ディンクレイジの透き通るような青い瞳も印象的でした。

胸が張り裂けそうなほど誰かを愛した人、愛する人に気持ちを伝えたいけれど言葉にできない人、愛する人には自分はふさわしくないと気持ちを胸に抑える人、三者が織りなす儚くて熱い恋、そして3人の関係と人生を狂わせていく戦争。美しくてせつなくて苦しくて、でも観終わった時に誰かを愛したいと思う作品でした。

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