見出し画像

Before Your Eyes配信感想

皆さんこんばんは。
八咫鴉です。
昨晩ソーシキ博士のゲーム配信の
Before Your Eyesについてnoteに綴る事を
Twitterにて呟きました。
本日はゲーム配信を観た私が感じた個人的な感想を書こうと思います。

この【Before Your Eyes】というゲームで表現された作品はWebカメラを利用しプレイヤーの瞬きをゲームに反映させ物語が進んでいく、
という画期的なシステムを導入しており
瞬きをするたびにシーンが切り替わる仕組みによって「時間」「思い出」「人生」等後戻りする事の出来ない事柄を見事に表現していると感じます。
圧倒的なまでの瞬きによる時の流れの儚さの表現力、セーブ等とは隔離された瞬間を切り取って思い出としてプレイヤーに見せてくれる形はまさに、刹那的であると同時に素晴らしいです!
私の語彙力ではこの素敵さがうまく伝わらないと思いますので、未視聴の方は博士のゲーム配信をご覧下さい。

簡単なゲームの大枠やシステムはゲーム配信を観れば解る通りとなっています。今回の感想はなるべくネタバレにはならない様に書いてみますが、完全には伏せきれない為
ゲームのネタバレが嫌な方は画面を閉じて頂き
ご自身でプレイしてから改めて読んで下さると嬉しいです。

この物語は人が生きる事の人生自体を表しており、思い出を辿る様に進んでいきます。
※あくまでも個人的な感想です※
成長を経て主人公は様々な事に触れ、家族や友人と過ごしていきます。
ラストまで観ていくと、主人公の人生を全て見つめる事になるのですが、配信の途中から泣いてしまう方が続出…
かく言う私も途中から号泣してしまい、ボロボロと落ちる涙と鼻水で大変な状態でした。

何故泣けてしまったのか
それはずばり、自身の思い出と照らし合わせた事に他なりません。
私は他の記事にも綴っている通り人生の殆どをネガティブに覆い尽くされ、そしてそれが離してくれず身体も思う様にいかない事で「自由」を奪われて自身を憎み、怒りや虚しさを抱え込んでいます。
しかし、このBefore Your Eyesのゲームを観ているうちにベッドの上で何ヶ月も過ごす日々を思い出しました。その時主人公と同じ気持ちになったのです。思う様に動かし過ごす事の出来ない自分のこの無様な人生に価値が有るのかと。
同時に「闘っていない臆病者」「逃げている」「大病でもないのに自分に打ち勝てない」と思い込み沢山泣き沢山諦めてきました。
それらの日々が頭をよぎり、そして同時に自分が悔しさや憎しみ、絶望や諦めが強くなり過ぎたせいで忘れてしまい見えなくなっていた
【自身の感情】の存在に触れるのです。

今でこそ毒親として認識し深い崖が家族との間に絶対的に存在しており実父、義父、母親、兄、姉全ての人に対して心を赦す事はありません。
しかし私が生まれて、そしてまだ幼い子供の頃は
母が大好きで
頑固でうまく話せない兄の事も憧れていて
時々しか日本に帰ってこない義姉の事も尊敬し
義父の事は本当の父と信じ大好きでした。
確かにその時には存在していた私の感情で

「果たしてそこに愛があったのか?」
「遺産相続をしない為に養子縁組を解消したのであってそこには愛は無かったのだ」

そう思っている私にも。
確かにあの時にはあった思い出達でした。
今は色んな事があって見えなくなってしまった
薄く霞んで古い8mmフィルムの様な思い出たち。
純粋に大好きでいつまでも絶対にあると
信じて疑わなかった私の記憶たち。
信じた気持ちが強い程、それが嘘であったと知った時、粉々に壊れてしまい組み直す事が叶わなくなってしまったので自分でもどうして良いか解らず長年途方に暮れていました。

確かにもう直せない記憶であり
子を想いという口実のもとつかれた「嘘」であり
つまりその過ごした日々は偽りの日々であったと
決別して蓋をし厳重に仕舞い込んで
亡くしたと思っていました。
自分が自分を消そうと決めた時、一緒に
消してしまったと思っていましたが
瞬きをする一瞬のその儚さの中に、確かに「見た」様な気がして、嬉しいとも違うなんとも言えない複雑な気持ちで大号泣していました。

義父や母親が言い争い罵り合い
責任をなすりつけ合う声を沢山聞き
ゲームの中と重なって思えました。

病気により思い通りにいかない悔しさも
「病の種類や重さは比にならないけど」
痛い程解る様な気がして、泣けました。

ネガティブに泣いてしまった訳では決してなく
言葉で表すには難しい感情でした。
悔しさや絶望や悲しさをなぞる様でいて
あった筈の楽しかった記憶や嬉しかった記憶も
小さな光が灯る様に瞬きの間だけ
見えた様な気がしたのです。

ああそうか、私も持っていたんだ。
今では失ってしまったけれど、確かに「それら」を持っていた事があったのだと思い出させてくれる様で、大事な事を思い出させてくれる
そんな素敵で、驚き満載のゲームでした。

あまりに辛さがのしかかり過ぎていて
まるでそんな気持ちを落としてしまった様で
ただ1人の理解者であった愛犬を失ってから余計
景色に色が無くなってしまい、
自分の生きる理由や頑張る理由が終わってしまった様に感じてしまいました。
味も色も本当に感じなくなるもので
そんな世界に未練が1つも無いと本気で思って
それを話したりもしていました。

「思い出」という儚さと共に確かに存在し
肉体は見えなくてもいつも傍に愛犬がいる事を確信しています。
目には見えず、触れる事は叶わず
匂いを嗅ぐ事も叶いませんが彼は時々
その存在を教えてくれるのです。
時には夢に出てきてくれる事もあります。

悲しい記憶や辛い記憶の方が
人は強く覚えているものらしく
楽しかった記憶や嬉しかった記憶はあまり印象には残らないそうです。
その為、楽しかったり嬉しかったりした記憶自体が無かったかの様に感じられて苦しい気持ちに苛まれる事の方が多いのですがゲームによる追体験によって「確かにあった温かい記憶」をプレイヤーそれぞれがそれぞれの想いの中で再び触れる事が出来るというのは画期的であり安心の様な気持ちをもたらしてくれる様に感じます。

人生という長い様で短い日々の中で触れるものは限られているだろうと思います。
自分では中々出来なかったり赴けなかったりする様な事をゲームという媒体は場所や距離や言語すら越えて触れさせてくれるし追体験させてくれる
可能性に制限の無いツールだと強く思います。
それは心の疾患や身体になんらかのハンデがあるものでも可能にしてくれるという事であり
自由が奪われてしまった生活の中でも自由をもたらしてくれる素晴らしい世界だと確信しています。
そしてそれらを「なんてことなの。」という
博士の優しい語り口のゲーム配信で観れる事は
私にとって人生の大きな糧であり、新たな感性や自分には無いものを学ぶ為の場でもあります。
だからこそ、チャット欄の皆さんとBefore Your Eyesのゲームを観る事が出来て良かったと心から想います。

この気持ちは忘れてしまわない様にnoteに綴っておかなければ、と感じ筆をとりました。
本当に本当に素晴らしいBefore Your Eyes!!
製作者の皆さん、博士、有難うございました!

沢山の人がこのゲームに触れてくれる事を期待しています。
長く寄り道的な話も挟んでしまいましたが
ここまで読んで頂き有難うございます。
読んでくれた皆さんが穏やかに眠れます様に

それではおやすみなさい🌙

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?