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眠れないので

ちょっと書いてみます。

先ず初めに
私が今回この記事を綴っているのは、1人でも多くの誰かに自殺を思いとどまって欲しいからです。
この現状の苦しさや、こうなる前からの生き辛さを抱えた人達が「生きる事を辞める」という選択肢を選ぼうとしているならば
この記事を最後まで読んで選ばずに済んでくれたならという想いがあります。
その気持ちで綴っている事と、決してそれらの考えを否定する訳ではない事。
それらを踏まえてご一読頂けたら幸いです。

さて。変な時間に動悸で目が覚めてから
とても今絶望しており(市長選挙の結果が最悪な事や国の絶望的状況等)生きたい力が無いので
自ずと頭からケツまで暗いです。
希死念慮が強い為、確実に引っ張られる危険性がありますのでそういった事に不安がある方は読むのをやめてください。
そしてODと同時に自傷行為について書きますので
こちらも連鎖反応を起こしそうな方は閲覧をお控え下さい。
※しつこい様ですが精神的にしんどい方は閲覧をお控えください。連鎖反応によって生じる全ての事に責任は負えませんのでご理解頂きご自身で判断して頂ますよう宜しくお願いします。不安な方は閲覧をお控えください※

このような時間に後ろ向きな事しか書けず申し訳ないです。
「辛い苦しいもういい加減おわりにしてくれよ」
そう口に出して言うなり涙がボロボロ溢れてるので過去の経験から基づいてこの今の自分の状態は精神的にだいぶきてる状態だと自己判断しています。勿論それを視野にきちんと入れて必要な時は助けてを言う準備はしています。
こうして自分の状態が突発的に死を選びそうな時というのが解る状態は悪い事ではなくむしろ
自分が今死にたいと考えてそれを行動に起こしそうで怖いという感情が正常に働いているので
自分からの警告は甘く見ず真摯に受け止め必要な際は専門機関に助けを求めようと思っています。

この「判断」が何故出来るか?
これが過去のOD(薬物の過剰摂取)による
自殺未遂からきています。
※ここから自殺未遂に関する事を綴ります。そういった内容に不快感や抵抗感がある方は閲覧しないでください。また希死念慮があり触発されそうな方も閲覧しないで自分の命と心を守って下さいね※

10代の過去の事ですが自身が何度も行った自殺未遂により医療関係者の方には多大なご迷惑をおかけしてしまいました。
当時は身体の苦しさや辛さに振り回される事に疲れており、考えすぎる頭の思考を止めたくてただ眠りたい一心で溜め込んだ薬を150錠〜300錠程飲みました。
当然意識不明になり長時間発見が遅れ褥瘡が出来た事もあります。
ODのみではなく同時に自傷行為にて大量の出血を伴った為薬の回りが早く昏倒するのも早かった気がします。
具体的な方法は危険な為書くのを差し控えさせて頂きます。
3度以上自殺未遂を繰り返し救急搬送の上ICUに3日いた事もあったそうです。
この辺は全部私は覚えが無いので後から家族から聞いて知りました。薬で記憶が飛んでいるのですが今考えても本当に多大な迷惑をかけてしまった事をとても反省しています。
また残念ながら結論から言えば服薬による自殺というのは大体は無理です。
相当数の錠数を飲んだとしても、薬の効き目で思考力が低くなり習慣を辿ってそのままベッドで寝て普通に起きるという事もありました。
この際長時間同じ姿勢だった為、負荷が掛かった踵に褥瘡ができ黒紫に変色した後膿が治まるとでかい水膨れになって歩くのに難儀しました。その後水膨れが潰れて今度は踵の肉が刳れるのです。痛いとか痒いとか全て自業自得です。

また服薬による未遂には死ねなかった場合
吐瀉物による感染症として肺炎に罹ることもあります。恐らく私も肺炎を併発したのは吐瀉物によるものです。
薬が身体から抜けるよう全開の点滴大袋を何日もつけっぱなしです。意識が戻ったら薬の影響で一切の思考力が無く人間の無意識な欲のみでしか行動出来ず知能指数が無い為、身内と喋るのも頭のネジがいつも以上に飛んでいて後から聞いた話しだと恥ずかしすぎて死にたくなります。
薬が点滴により体外に排出されて意識がハッキリしてくるとそこからは地獄の始まりです。

自業自得ですが、大量服薬により身体にはあらゆる激痛や辛さが襲ってきます。
腹部や内臓の不快感、吐き気、強烈な頭痛異常なまでの倦怠感等様々です。
そして肺炎を併発している時は40度近い発熱と肺の激痛、咳による辛さです。

何度も未遂を繰り返し全て失敗に終わっています。自傷行為の箇所については意識が無い間に縫合が終わっていますが傷が多く深い為その後は発熱や怠さ抵抗力の低下が起き、抗生物質の服薬により下痢が続いたりします。その上抜糸までお風呂に暫く1人で入れず当時は母親にかなり負担をかけてしまいました。
そして実の兄は発見時に傍についていてくれた事で兄の方が私の自傷行為の傷と大量の出血の現場を見る事によって貧血を起こしてしまう事になりました。これについてもかなり負担をかけてしまい申し訳ない気持ちで後悔しています。
しかし貧血になり顔を青くしながらも床にへたりこんだまま私の隣で救急車の到着まで手を握り続けてくれていた事はしっかり覚えています。
貧血だから無理しないでと言っても青い顔でそんな事はどうでもいいから、救急隊に引き継ぐまではここにいると言ってくれた事は死ぬまで忘れません。
申し訳無さと、それでしか愛情を感じられなかったその頃の自身を情けないとも感じます。
普段何を考えているか解らず喋る時は怒られるだけ、サイコパスでは?と思う様な(兄への印象失礼過ぎるけどマジなので仕方ない…)共感性の欠如と利己主義的な振る舞いから兄からは嫌われていると思い込んでいたので…意外も意外でした。

救急車を呼ぶ事により近隣住民にも多大な迷惑を掛けます。また救急車を呼ぶと本人による自殺未遂でも警察によって身内が事情聴取されます。
苦労と負担の掛かった親に未遂に見せかけて虐待や殺人未遂をしてないかの疑いを掛けさせてしまうのです。追い打ちを掛けるように恩を仇で返す様なものなので本当にやめた方がいいです。
あとシンプルに動物にも危険な状況なので絶対にやめた方が良いです。誤ってペットが薬を誤飲すれば命に関わります。

私が言えた義理では無いですが、もし考えている方が居たら死んだとしても死ねずに生きのびたとしてもどちらにしても迷惑しか掛けない事であるという事だけは強く言えます。
勿論当時もそんな事は耳だこな位言われたので
迷惑しか掛けない事だなんて事は解ってるわ!!
それでもそれしか選択肢がねーんだよ!!
という苛立ちの気持ちもよく解ります。

だとしても…
1人でも多くの方に思い留まって欲しい。
もし自殺を本気で考えている方が居るなら恐らく何もかもどうでも良いと気にならないかもしれませんが、恥ずかしながらこれでやめようと思ってくれる事を願って書きます。
服薬による自殺を含めどの自殺方法でも体が弛緩する為全ての穴から体液が出ます。
それは要するに大も小も漏れます。
意識が無いけどそういう状態を晒す事になるのです。こんな些細な事、と思うかもしれませんがこんな事でも「え、それは恥ずかしい無理」
と思って思いとどまって下さると私がこうして書いてる事に意味が出てきますので幸いです。
シンプルに嘔吐もして下からも出るとか辛いだけです。

それでも。
どうにかして何も考えずに眠りたかった。
終わらせたかったのです。苦しみを。
その一心で祈る気持ちで恐怖で震えながら初めて自殺未遂した十代の時の事を今でも鮮明に覚えています。
「死にたい」と望んでいるのに「恐怖で持っているコップが震える」んです。映画やドラマみたいに笑う程震えます。既に矛盾が生まれている事にその時は気付きたくありませんでした。

死にたくない

だからこそ怖くて震える手だったのだと思います。生きていたい。自分からのその切実な訴えだったのだと、今は思います。

そういった過去の経験から、実際に行動に移してしまいそうな直前というのが解るようになりました。その為、早めに回避する行動がとれる様になったとも言えます。
死にたいと言いたいだけなのか、本気でそれをやろうとしているのか。この2つの判断を自分で出来る様になりだからこそ本気でヤバイ時にはなりふり構わず「助けて」をやる様にしています。

今振り返って、迷惑を掛けた事はとても反省しています。それらが要因で家族を崩壊させた事も責任を感じています。
しかしその時の自分が選んだ事自体は否定したくはないのです。良い事ではないし勿論しない方が本当にいいです。楽になんてなりません。
余計に苦しくなるだけです。痛いだけです。
身体が元に戻るまで何ヶ月も掛かりますし厳密には元には戻りません。
そしてその時の後遺症は何十年後に身体に別の形でダメージを与える事になります。
全てが自業自得であり自身が呼び込んだ原因です。それは痛感した上でその時の自分がそれしか選べなかった事は「なんとか祈るように掴んだ先がそれであった」と私自身だけは受け入れてあげたいのです。
ここで過去の自分を否定してしまえば迷惑を掛けた事を含めてそこから学ぶ事も出来ないから。
せめてもの償いとしてそこから全身全霊で目を逸らさず学べる事考えるべき事、今後に活かせる事や失敗を認める事等余すこと無く全て掬いとる努力を怠ることは私には許されないのです。
それが何度も繰り返した末死ねなかった私がせめても出来る責任の形だと思っています。
直視して逸らさない事。誤魔化さない事。
繰り返さない様に努力し続ける事。
そして自身の経験を惜しまず困った人に開示する事。私に出来る事はこんな程度です。
なんと小さい事でしょう。
しかしこの小さい事が案外聞けないんです。
当時どの大人も真に受けてくれませんでした。
どの大人も私の持った問にAnswerを出せず(出さずが正解かも)有耶無耶にして誤魔化していました。

「何故死んではいけないのか?何故ってそれはそうだからだよ(笑)」

こんな風に、前後に具体的な何かが付属しなかったのです。何が苦しいのか?を学校でも家でも医者でも議論出来なかったのです。
それは勿論可笑しくはないし経験が無ければ話せないので有る意味正解です。
それに全ての人にそういう対応を取っていたらキリがないから当然そうなります。
しかしもし、過去にそういう部分を何かしらの方法で話せたり聞けたりしたら何か変わったのかも。変わらなかったかも解らない。
それでもそんな大人を探していたのは事実です。
そして医者ですらも鼻で笑うかの様な態度だった事に幼心に酷く傷つき生きる世界は残酷だという事実に直面しました。
厨ニ病っぽいと思いますか?
そういう単語で有耶無耶に誤魔化しても良いですがそうやって感じてそれが辛くて死を選ぶ人が一定数居る事は事実です。
誰もが当たり前にそれを大人になったらすんなり乗り越えられる訳がないのです。

ただ私個人が今でも思うのは、攻撃性が全て自分に向いた事は幸いだなと思うのです。
自傷行為を肯定する訳ではありませんしやめた方が良いしやめれる方がずっと楽です。
一度癖がついてしまえばその後ずっと衝動と戦わなくてはなりません。
葛藤しやらない為になんとか思考を巡らせるのですがこれが中々しんどい。完全に依存症です。

一歩間違えれば「他人」に攻撃性を向けていた可能性が捨てきれないのです。
有る意味で私がしてきた行為は全て身近な家族や親族の心を傷付けてきましたが、幸い誰かの命を奪う事はせずに済んだ事にホッとしています。
私は未解決事件や日本の歴史に残る大量虐殺事件や未成年が起こしたバスジャック、通り魔、果ては宗教によるテロまで様々な事件のwikiを読むのが趣味でもあります。(変な人だね)
それは何故犯人がそういう経緯を辿ったのかという事を知りたいからです。そこに何が足りなかったのか?それが解れば防げたかもしれない事態だったのではないか?という気持ちが捨てきれない。
もしそれが早め早めに食い止められていたら、犠牲になる方々が出なかったかもしれないのです。
到底事前に防ぐのは無理な事ですが、およそそういった事件を起こす人間はかなり抑圧された環境で家族に問題が有り心を病んでいるのです。
中には自殺未遂を繰り返した末に凶行に及んだ犯人も居ます。その行く末を自分も辿ったかもしれない可能性が1ミリでもあるのです。
そう考えた時「事件の全容を出来るだけ詳しく知るべきだ」と考えwikiを漁り読んでいました。

日本には銃社会が浸透していない為、スクールシューティングが起きません。しかし過去に池田附属小で起きた事件はいわゆるスクールシューティングです。犯人が使用したのは刃物だったので実質銃ではなく日本では無差別大量殺傷事件として扱われています。
彼が事件に至る経緯は長く、しかし家庭に大きな問題を抱えていました。
古風で偏った考えの父親はそれを暴力で押し付けて優勢思想を植え付け強います。母親は暴力を容認し回りも誰も関与出来ません。そしてその末に「力なきもの」を襲撃する事態に至りました。
犯人らの思考はわかりません。
理解も出来ないですが命を終わらせようと思ったという際に「自分」「他人」かの違いに過ぎない(極論ですが)そう考えると自ずと自分が絶対にそれを辿らないのか?
という問には「否」でしか無いのです。
勿論理論上100%は無いというのは前提で、です。

こうした事をつきつめて考えていると
「考え過ぎでしょ(笑)」
と会話が終わる人間と
「誰しも可能性は持ってるよね」
と会話になる人間とわかれます。
勿論前者が悪いという訳ではありません。
実際につきつめて考え過ぎなんだとも思います。
しかし、一度でも犯人側の立場と自分を入れ替えた事がありますか?もしその環境に居るのが自分だったら?そのifを考えた事があるのかどうか?
これは確実に視野や思考力の幅に影響してくると言えると思います。
犯人の立場に自分の駒を置いてみる、または入れ替えはしなくとも俯瞰してみる。
これは関心が薄い事よりも重要だと思います。
どんな人でももしかしたらその環境に置かれれば
ifとしての余裕を持った思考を持ち得なくなり
犯人と同じ行動は取らないとは言えなくなるのです。

こういったifの話はキリが無いですが
いつか自分にも起こり得るかもしれない
というのは想像力として持つと病む場合も勿論ありますが(考えるなら程々が良いと思います)
そういう立場の人達を含めた考えや問題提起が出来るのでは?と感じます。
そして何より同じ様な犠牲者を出さない為に、という事に何かを繋げれないかと考えるのです。

例えば新型コロナが蔓延してから餓死者が出ましたよね。勿論コロナ前から貧困家庭や出生記録の無い人達の餓死や変死は沢山あった訳ですが
ここでは餓死者にピントを絞ります。
過去に京都で「介護殺人」というのがありました。生活保護を断られ認知症の老齢の母親と二人暮らしの男性が徘徊する母から目を離せない為仕事を辞め貯金が尽きて行きやがては「もう生きられへんのやで」と息子が母を刺殺し自身も腹部を刺して心中をはかったのです。
この息子である男性は幸い一命を取り留め裁判では感情を表に出してはならない裁判長や裁判官が涙ぐんだ声で感情を抑えれなかった事が大きく注目されました。
理不尽な状況に同情が集まり情状酌量され刑期はかなり短く出所しました。
当時気の毒な事件として有名になりましたが、その後を追った事はありますか?
私も最近wikiで読んだのですが、彼は自殺してもうこの世にいません。
生真面目な性格故に母を手に掛けた事が許せなかったのかもしれませんし他の事情があったのかもしれません。
何の為の生活保護なのか?
かなり問題になった筈なのにコロナが蔓延してからも窓口で断られてという話が終わりません。
そこまでしてビタ一文出したくないという訳です。
そうなるとコロナ自体を利用して大きなふるいにかけて命の選別が始まっている気がします。

耐えかねた者から脱落してくれればお金を払わずに済むから助かるし

こう聞こえる気がするのです。
そしてある所にはお金はちゃんとあり、
ワクチンもある所にはちゃんとある。
しかしそれを使える権利者達が限られている。
その権利者の中に入れないもの達はどうしたら良いのか?そんな事を考えると気分がたちまち落ちてしまうのです。

こんなに優秀な人達が生きるの詰んでるって言ってる中で何も持ち得れなかった私はとっくに詰んでるじゃん、という事。
そして冒頭に戻りここまでの思考を繰り返す
ループし疲れ悲観的になり落ち込むといった
無駄な負の連鎖があります。

この考え癖が何か生産的な事や活用される方向に向けれたら良いのに…。
自身の中でこねてもどうしようも無いなと思ったので誰かが読んだ時誰かの役に立つかもしれないなら陳列しておこうと考えました。
自身の隠してきた事を公に出す事と自身が過去を今の自分で振り返る事。
前に進む為に思考を巡らせたり、或いは時間が経過して違う視点からいじくってみたり。
それによって今まで見えなかった事が見えるのではないか?と考えnoteに綴ってみている次第です。
読み辛い事は承知の上ですが、何処かの誰かの何かの役にたったら幸いです。

何故だか、出来る立場の人達がやらない事が多い世の中です。やれるのにやらない、それは出来ないんじゃなくて面倒くさいから。
ずるをしたり騙したり嘘をついたり悪いことをしている人達の方がずっと権力のある立ち位置にいられる不思議な力関係があります。
どうあれそもそもが学校を全て出れなかった者には選択肢が存在しない訳ですが。
勿論それでも発想の転換によって学歴関係なく活躍する人も居るので自分が至らないだけなんですけど。
納得出来ないなとは思います。
お金もあって恵まれていて何も困っていなくて
どちらかというと面倒だからただやらないだけで済んだり楽したいから手を抜いて特定の誰かに負担を投げたり。
しかしそれが現実社会なので脱落したらそれまでです。これはかなり悔しい事ではあります。
思う様に動かせる健康な体があったなら学校に行きたかった。こんな事を願う事も出来なかった。
でも多分、恵まれた環境を失ったからこそ面倒くさいと気にもとめなかった事を今は気をつけようと思える様になったのだと思います。

当時はまだ心の問題にこんなに積極的な世の中じゃなくドラマ等でセンセーショナルに扱われていても現実では「登校出来ないなら仕方ないどうしようもない辞めるしかない」それしか選択肢がありませんでした。
学生時代からずっと生死の事を考えて悩んでいたので「グラクソスミスクライン」という会社が夜中等にCMでうつ病や不登校等のホットライン的なものを取り扱った際には自分で電話をしたのを覚えています。
とはいえそういう相談ホットラインでは無かった為(勘違いしていたんだと思います)対応しかねると困らせてしまった記憶があります。

また、両親に内緒でメンタルクリニックを受診した際には勇気を振り絞ったにも関わらず「希死念慮があり自傷行為をしている」と問診票に書いた所「うちでは扱えない」と断られて終わりました。私が学生の当時は色々と社会問題になっており、ある特定の薬(勿論合法薬)による問題があった為かなり警戒されていました。
またメンクリにとっても患者に死なれたり騒動が起きるという事を嫌がられていて早めの段階で打ち明けたとしてもたらい回しによる放り投げが当たり前でした。
更にこの頃はメンクリで嘘の申告をして薬物を多く入手する事が横行しておりそれが犯罪に繋がる事も多かったのは事実だと思います。合法的にハイになれる訳ですから。
そしてそういった薬はその後暫くして薬事法が厳しく取り締まられるまで闇ルートで売買されているなんてのはザラでした。
必要の無い人間が処方箋を貰い小遣いを稼いでいたのです。そういう観点からも医者側が患者に処方箋を出す事をかなり嫌がっていた印象があります。
そして勿論、私が長く通ったメンクリも有名な先生ですが毎回駆け引きの様な形で当時は多めに処方箋を貰う様に調整したり貰ったものを飲まずに貯めたりという愚行を繰り返しカウンセリング強制終了直前の所までいってしまいました。
未遂に使うなら処方箋は出せないとある日主治医から強めに言われた事が有りました。
失礼ながら普段からヘラヘラっと力の抜けた先生だったので裏切り続けた末に駆け引きではなく信用して良いのかどうかを問われた際に解ったと嘘をつきました。
結果的に友人から自傷行為について言及が有りそれをキッカケにやめる方向へ舵をきり、26歳で死ぬという取り決めも破棄された事でメンクリの主治医の先生との信用を失くす事はありませんでした。
とはいえ、たまたまそういう方向にいけたから出来ただけですが…。

ここであえて追記しますが、友人による自傷行為の否定や叱責、間違っているやめるべきという説得や叱る、やめて欲しいと話すというのは
正直「博打です」
正面からぶつかって泣きながら話したり、まちがってるよ!と説得する事で自傷行為を辞められるのは万分の一位の確率の賭けなので安易にせず、専門医に付き添ってあげるか
「切ったら落ちつくの?」
「切るとどういう気持ちになる?」
「切らないとどう?」
「切りたくなったら腕にはめたゴムを強めに弾く事で試しに誤魔化せないかやってみない?」
「切る事をやめたい?やめたくない?」

本人が何故自傷してしまうのか、本人が自傷に持たせている意味(身体的苦痛の電気回路矯正変換なのか、特に意味が無いのか、罰としてなのか、癖なのか、強迫性なのか)等「原因をゆっくり聞いてみて下さい」
無理やり聞き出さず、本人が任意で話すのを待つか心配だという事を伝えて下さい。
そして専門医を受診するように周りの大人や人達が環境を整えつつ本人に専門医に行く意思があるか聞いてください。
博打は外れた時、橋の欄干に立った背中をひと押ししてしまう可能性を孕んでいる事を素人の方は頭の片隅に置いて下さい。たまたま辞めれたから良かったですし友人には感謝していますがかなり強引でした。友人もかなりの覚悟を決めて博打を打ったのだと思います。そしてそこには敬服します。

で、話を戻し主治医に「患者として良い例になりたい」と宣言して「やめとけ」と即答されました。
気負うな、それが事を悪くしているという意味でそんな事は考えなくて良いと言われました。
しかし私はなんとしても良い結果を出したく
徐々に十数種類だった処方箋を1種類まで減らし自傷行為の再発を抑える事には成功します。
1人で運転し医者に往復5時間掛かっても行けて
食事も拒食症から抜け出し薬の種類は減らし
自殺未遂はしない上自傷行為もやめる。
宣言通り患者として主治医に良い例となる事を実現出来た訳ですが、それが続くのも長くはなく
今度は無理をしてワンオペで飼い犬の介護をしたり買い物や洗濯、掃除や食事作りで迷惑をかけた事を必死に穴埋めする中で処方薬で辛さをなんとか誤魔化す事を何年も続けた結果重度のパニック障害を拗らせ広場恐怖症までになり外出困難となりました。
自殺も自傷行為もしてない代わりに、自由に動き回る事が出来なくなり付き添いであるヘルパーさんが居ないと外出や散歩すら出来なくなってしまいました。
それ故、主治医の元へは通えなくなりカウンセリングも中断してしまい。
これが良い事なのかどうなのかは私からはなんとも判断できません。

1番気楽に伸び伸び生きていた時は26歳になったら死ぬと決めて思い残す事が無い様にあらゆるやってみたい事を積極的に当時付き合っていた人とやっていた時でした。様々な理由で自分から諦めていた事を積極的にやりました。楽しかった。
些細な事です。
海に行ったり県外に車で遊びに行ったり体がしんどいから到底無理だと諦めていた普通の人には当たり前な事をやりました。
スタンディングのLIVEに行ったり夜通し知り合いの家で麻雀を教えて貰ってやったり。
バイトをしながら遊びまわる。それが酷く安堵して出来た事でした。勿論具合が悪くなる事も多かったし帰ってきて嘔吐する事もありました。
しかし「26になったら終われる」という自分の中で取り決めた確約が何よりも安心する材料になっていた事は確かでした。

先の記述の通り26歳での確実な死をお守りの様にしながら1日また1日となんとか祈りを重ねる様に生きていた時、先述の通り友人から自傷行為などのやり方は間違っていると図星を指摘されました。
認めたくなかった事を指摘され泣きながら話して間違いだった事を認めやめる事を決意出来たのです。

自傷行為のキッカケは以前の記事に書いた通り高校の頃の自分に対する罰での根性焼きでした。
その後18歳未満の頃に電車に乗るとパニック発作の様なものが出てパニック状態になり、自我を取り戻す為にトイレに駆け込んでは腕を切る事で痛みによって物理的に心を安定させるという無理やりな頓服的やり方を癖にしてしまいました。
その後は癖になってしまえばもう不安を感じれば自傷行為。痛みが無いと怖くなってしまう程に拗らせ、常に腕を切っておく事で発生する痛みが正気を保たせてくれると感じていました。
その為やめるキッカケが無く、自身の脳が自傷行為=安心と誤作動を起こしたままそれを繰り返してしまって染み付いてしまいました。
処方薬より安心するので厄介な事に辞める事が本当に出来ず今でもずっと四六時中葛藤しながら生きています。
解りやすく例えるとお酒を飲める人が酒を飲むのと同じ位の原理です。不安感や辛さを紛らわす事が可能な事が酒じゃなく自傷行為だっただけでした。酒は下戸なので呑めなくて。

長々と綴っていますね。
早い段階で相談出来る先があって、そして更に具体的な話が出来る所があったら良いのになぁと常に感じています。
もっとメンタルヘルスの事を気軽に語れるべきでそれによって心の状態が軽くなる人が増えて欲しいです。重くなってからでは手遅れなので。
そして学校等も今では当たり前の様に保健室登校などもありますがもっと10代未満からの子供のうちから心が辛くなった時どこに相談出来るか
積極的にセーフティな場所を広げてあげて欲しいです。学校にいけなくなったからといって人生が終わらないという事をもう少し噛み砕いて説明出来るといいなと思うのです。

ここまで綴って公開するべきか悩んでいます。
何せ自殺未遂についてディテールを書くのは初めてですし自傷行為についてもカミングアウトは一部の友人以外で初めてです。
それによる自身のメンタルへの影響や人からどう思われるかの怖さがあります。

公開したとしてもTwitterには連携しないと思います。慎重に悩みたいとおもいます。
何日か悩んで、悩んだ結果やはり何処かの誰かの役にも立って欲しいし自分の為にも怖さを押して公開する事を決めました。
いつもはTwitterに連携しますが今回は連携せずnoteに赴いた人だけに届いたらいいかなと。
いずれ本に纏めたいのでこの内容ももう
隠す事を辞めたいのです。

かなり長々綴りましたがここまで読んでくれた皆さん本当に有り難うございました。

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