トラウマと向き合うゲーム達

こんばんは。
八咫鴉です。
前回のまとまりの無い記事にスキを届けて下さった皆さんこの場を借りて心より感謝申し上げます。決して明るくない文章で読んで誰かに何を届けれるのか不安でしたが、読んで下さる方が居るという事が何よりも心強かったです。
私がこうして綴る事に意味がちゃんとあるんだ!
そんな気持ちにさせて頂きました。

Twitterでも書きましたが、私は自分の輪郭を今までよりよく解る様に自分の顔を両手で包んてあげたいのです。今までのあなたが生きてきた事は決して時間の無駄では無かったと自分で赦し認めたい。そして恥ずかしいだとかどう思われるだろうだとか嫌われるんだと思って必死に隠して隠して隠して生きていたけれど、必死に隠せば隠す程うっかり見えてしまった時の事を考え恐れに支配されている事にも長く続けてきて気付き始めました。

確かに人に堂々と話せる事ではない。
同情して欲しい訳でもない。
何故か辛い事があった事を打ち明けると何処からともなく発生する
「あの人の方が辛かったんだよ」
系の誰の辛さが重いのか?
なんていう事を決めたい訳でもないんです。
でも打ち明ける前と後では確実に何かが変わってしまう事は否めない。
様々な事を考えるとただひた隠しにして黙って長袖を着ている事が無難であった事は確かでした。

しかし苦しくて隠しても結局苦しい。
苦しくないという日や時間が本格的に無くなってしまってから今までの事を大事に隠す事が自由の妨げになっているのではないかと感じる様になってきました。
誰に向けるか?というよりも独り言でいいから
手放す為に今の認識で書き起こす行為自体に意味があるのでは。
それを意識させてくれたのは間違いなくソーシキ博士の紹介してくれる海外インディゲームの数々です。
以前にも記事に書いた気がしますがトラウマを題材に追体験する様なゲームが沢山ある事に心をうたれたのを強烈に覚えています。

Modern Job



1番最初に誰かの苦しみを体験する事になったゲームはModern Jobでした。
内容はダイレクトで自傷やODを含めた様々な主人公への苦しみや抑圧をゲームによりなぞる事が出来たのです。そしてゲームの最後はクリックしても変化が起きず助ける事の出来ない手のマークと水中に沈みゆく作者とおぼしき人形。
作者本人が歌っている(多分)という有名な歌がなんとも言えない様に心に染みていきました。

この時の衝撃は恐らく遡って頂ければ記事に書いてありますが、それはもう衝撃的でした。(語彙力の無さ)
YouTubeの配信を観ているチャット欄の人達の溢れんばかりの優しさや、優しさに種類がある事を初めて知った事や作者が手渡したかった事など胸いっぱいの配信でした。勿論これも泣いて観ていた気がします(涙腺緩みがち)

この配信は勿論、周りの人達が優しい事を実感した配信であるのは間違いないのですがそれと同時にゲームの内容を見ながら実際には血の気が引いていました。
自分がやってきた事への観ている人達のリアルタイムな反応を見る事になる為、自傷が出てきた時にはマイナスな反応があった時に備えて身構えて息を飲んで見守っていたのです。
物凄く心地良い場所としてなんてことなの。を毎日楽しみにしている日々真っ只中でした。
心の支えになり孤独の生活の中で赴けば人が居る場所という優しさの確約があったので、離れたくなさが強い分緊張が比例して強烈になっていました。様々なマイナス思考が駆け巡りとても平常で観る事は出来なかったのですが、さりとて観るのを辞める事も出来ませんでした。
そして誰も作者を責めない優しさの種類を知ったのです。
メンヘラという単語もあまり出てきた記憶が無くて、出たとしてもナーバスになる言い方のトーンでは無い事が確実に解りました。
やはり自分がこの場所から学ぶ事が沢山ある事を確信し、自分に足りない感性を求めてこうしたトラウマを題材としたゲームに惹かれている自分に新しく出会ったのです。

トラウマをただのトラウマで終わらせない為には誰かに手渡す必要がある


初めてこの部分に意識を向け始める事が出来ました。

そしてこれ以降苦しみを題材としたゲームに今までと少し違う気持ちで向き合う様になっていきました。なんてことなの。の年末アンケートでも選ぶのはこうしたトラウマと向き合うゲームか、哲学的なゲームが多い傾向にも自分だけでは気付けていませんでした。

EYE


人の視線について言及しつつ存在の形について触れているゲームEYE。
視線恐怖症がある人には中々きつい心境になるゲームであり、視認される事で存在するというかなり難しい事を伝えている…と全部は解らないものでした。
自分の知識で果たしてちゃんと追いつけているのか?自信は無いものの誰かの辛さに対して全く無関係に生きていない事は自覚出来た気がします。
自覚出来ても、それをどのように自分が扱うかによる、という事も。

少しトラウマとは異なるゲームにはなりますが、途中「大学を中退した猫メイちゃん」の物語であるNight in the Woodsも配信によって見入っては涙しました。私は大学には行きたかったけど行けなくて、でも行ったとてメイちゃんの様に苦しくて辞める人が居る事もそれぞれ辛いなと漠然と思いました。私も高校を中退しているのでなんとなくね重ねて観てしまいました。

誰が1番辛いかなんて関係無いし決めなくて言い

辛いと感じたらその人はそれを辛いと認定して、それについて誰かと比較する必要は無いのだとこの作品を通して思える事となりました。
同時に誰かが誰かの辛さに勝手に点数をつけないで欲しいとも思いました。
それぞれがそれぞれの立場で感じる事は誰にも一致などしないのだから
似たようなパターンだとしても人が違えば感じ方が違うのだという事をもっと沢山の人に浸透して欲しいなと常々思います。それらを教えてくれたのがこのゲームでした。自分が高校を中退している為、大学と高校では違うけど中退者としてメイちゃんの気持ちも他人事とは思えず観ては号泣していました。

Night in the Woods

間違いなく、他の配信ではあり得ないのです。
そもそも私がゲーム配信を観てこなかったのは
一部の人は知ってるかと思いますが
「死ね」や「メンヘラw」
と見下したり嘲笑したりという事が嫌いだった為でした。
知りもしないのに知ったような口ぶりであざ笑ってはネタにしたりする事が堪らなく嫌でそんな雑な事に付き合いたくないので避けてきました。
が、たまたま。
本当にたまたまダッチワイフの復讐ゲームがTwitterでbuzzっていてTLに流れて来たので触りだけ見てみようとちょっと観た事で博士の存在を知り、気になりつつ中々入っていいのか解らずに探っているみたいな状況が暫く続きました(笑)
なんとなく時々ROMって観る事をやって、ラスティレイクを時々チャットに書き込んだりして観つつチャンネルメンバーにはまだならず…(謎解き大好きだったので書き込まずにいられなかった…)
その後ジラフタウンの途中から残弾数と撃った弾の数をそれぞれ数える役を勝手にやり始めチャット欄に食い気味に参加しつつ新規チャンネルメンバーに入会した気がします。深夜2時過ぎまで掛かった白熱のあの時間は特別です。
ジラフタウンの方に話を持っていくとちょっと今回書くこととズレてしまうのでそれはまたの機会に書くとして。

Keep in Mind


Keep in Mindは主人公であるアルコール依存症のジョナスの物語。彼が自分とどう対話していくのか、という事もそうですが博士の言葉ひとつひとつが丁寧で優しいからこそ深く観る事が出来ました。ジョナスの気持ちを考えると辛くて気付くと幸せを心から願っている自分が居ました。
トラウマを扱った物語の主人公全てに幸せになって欲しい。そしてトラウマと向き合うゲームを作った作者にも心からの安堵が訪れて欲しいと切実に祈っています。

こんな風に他の人に苦しみとは?
そしてそれらとどうやって向き合うのか?
を投げかける事はとても重大な意味があって、それは誰にでも出来る事では無いなと感じました。
苦しみや辛さを知らないと出来ないのだからこれらを考え思いを寄せるには間違いなく大なり小なり自分の苦しみをもちいらなければ出来ないのです。
そして誰かのトラウマによって追体験する事が出来るゲームという媒体は映画や小説とは異なり自分で操作しながら考える事が出来るのです。
人に知って貰う為の手段としてこの上ない媒体であり考える事を身近に実現してくれる場所や時間を超えた追体験は唯一無二だと確信しつつ、それはつまり誰かが自分のトラウマまたは誰かのトラウマを辛かった事としてあえて「見せる」という勇気ある行動が伴わなければ成立し得ないのです。

ここに考えが至った時、私自身のトラウマや辛かった出来事も隠すより見せる事の方が余程意義があるのではないか?と考える様になりました。
ただ見せれば良い訳ではないものの、この情勢も加わっていつ死ぬか解らないのが洒落にならない位身近になってしまったので…
どうせ人は死ぬのだから上手いか下手か置いといて、先ず書き起こして公開してみようと決意するに至りました。
間違いなく博士の配信と博士が紹介してくれる海外のインディゲーム達が背中を優しく押してくれました。
私には文才も無いし読みやすい文章も作れないし
またクリエイターでも無ければブロガーでも記者でも何でも無いのですが…
何でも無いただの人が自分の不安を掻き消しながら自分の輪郭と向き合う為に日記として置いたってその辺の石ころと変わらないだろう、となんとなく開き直れたのでこうして書き綴る事が続いていたりします。
気が向いた時に綴り、または不安発作が出て苦しい時や眠れない時に綴る事で自分自身が少し楽になるので実際には自分も助けられているのですが…
理由はそれだけで充分かなと思っていて、いずれこれらを本にまとめて自分の為の1冊に出来たらそれでいい。
大層な理由など必要無いのです。

最後に、トラウマとは少し違う分野になりますが
雷に打たれた様な感覚になったゲームを。

Chasing Light


韓国の作者さんが制作したこのゲームは舞台裏を題材に作りたかったものと途中から変わってしまったものを織り交ぜつつ人間が生きる上で向き合う事について哲学的なアプローチで表現しています。
ラスト近くの怒涛の問いかけにはあまりの迫力と真理的な問いかけに涙が止まりませんでした。
何処が泣けたのか述べろとなるとちょっと言葉にし難いのですが…。
そこに光があるから、という希望を見せてくれたから涙が止まらなかった…のかな?
自信を持って言えるとかではないですが、私が何を言ってるか詳しく知りたい方はソーシキ博士の配信をご覧下さい。そして博士がまとめられてるnoteの記事を読む方が遥かに誰もが解ると思います。

今夜はここまでにして、そろそろ目を閉じて眠ろうとおもいます。
最後まで読んで頂き心より感謝します。
あなたに最大の敬意を。おやすみなさい🌙

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