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空白の父の日

こんばんは。八咫鴉です。
先日からTwitterでも大変荒ぶっておりますが
いよいよ父の日というイベントが近くなり
あらゆる広告で目にする機会が増えてしまいます。勿論、普段頑張ってるお父さんに感謝する日なので各々自由で良い日です。

そうは言っても以前に書いた様に、私には父という存在がロストしているので概念としてもう持ち得ていません。
その為この季節になると僻んでしまいます。
皆お父さんが居ていいな…と。

Twitterでも言及した様に私は義理の父親の事を本当に大好きで居て、そして本当の父だと疑いもせず信じきっていたのです。
20歳を過ぎ成人式も一段落した後、母親から言われるまでは全員が本当の家族だと信じていました。心の底から。
しかし違うと解った途端、幼少期からずっと感じていた「家族の違和感」のパズルがパチンとはまった気がしました。
何よりも深く傷つき悲しかった事
それは「私」以外の家族は全員事実を知っていた事でした。
何故私だけ教えてくれなかったの?
私の為?
ふざけんなよ、私の為!?
本当に私の為ならもっと早くから言えよ!!
心の中がそうぐちゃぐちゃで混沌としました。
本当の父と姉と思ってた人達は本当の父と姉ではなく、その上家族の中で私だけ事実を告げられずハブられていたのです。
“私の為”なんていう嘘で飾った虚像の言い訳で
私1人だけが知らないまま信じて過ごしていた。
鈍感にも程があったのかもしれない。
けれどあんまりだ。
皆知ってたのに何で教えてくれないの?
教えてくれていたらそれ相応の立場で振る舞えたのに。

そう、父の日が近づきそれを目にする度
毎年この事を思い出す。
馬鹿みたいに信じきっていた滑稽な自分を
つくづく鈍く考えを巡らせれない自分を
どこまでも馬鹿だなぁと嘲笑している。

巻き戻す事は叶わない。
残念ながらそれは出来ない。
毎年こんな気持ちになる事を重ねるうち
今年はまた違う感情が芽生えてそしてそれを自分自身が認める事が出来た。
今でも義父の事が好きだからこそ許せないのだという事を認識し言葉に出来る程になれた事は
私にとってとても大きな1歩で間違いなく。
それと同時に実父に関して身勝手極まりないという感情と無責任だという憎しみがわいてくる。

昔、私が自身を殺そうと考えたいた頃。
義父を道連れにしようと真剣に考えていた。
会社は知っている。刺し違えてでも、と思っていた。本気だった。
それでも実行には移さなかった。
今になって義父ではなく実父の方がその裁きを受けるべきだと思う。
どんな理由があるのか知らないし母親とどんな話をつけたのかも知らない。
しかし関係が終わったって子供の父親は子供に会ったり責任を果たすものではないのか?
自身も色々考える様になりやはり実父にはそれ相応の罰を受けて欲しいと考える。
他に家族が作れるなら、子供の父親としての責任を出来る範囲で負うことは出来たのではないのか?
それが例えただ会いに来るだけでも構わない。
金銭支援等無くても構わない。
父親という存在として在り続ける努力を怠るのは愚かな事だと思う。
どんな事情があろうと子供の立場の私には知ったこっちゃないのだ。

母親がどうせ曖昧にしたんだろう。
なんとなく想像がつく。
大人だから自分たちで探しなさいとは良く言ったもので、責任を自分では持たないズルいやり方だ。つくづくそういう事だけは長けているのが母親。
相手にも家庭があるから、と前置きされたがだからなんだ。なんなんだ。
家族があろうがなかろうがテメエがこさえたガキが私だよ。私はそれについて文句を言う権利がある。怒り恨む権利が有る。
大人の大人による保身から御託を並べるのはいい加減にしてくれと心から思った。

その保身に振り回されている間に心身を病み、
一貫性の無い親に混乱してしまった。
しかし私自身、自己表現がよろしくなかった。
自分が苦しいという事を様々な方法で打ち消そうとして返って家族をバラバラにしてしまった。
結局1番ガキで手段を厭わずやった為に失うキッカケを作ってしまったのは己自身なのだ。

その点は変わらない。
そして人を責める資格も無いのだ。

そうは言ってもこうして地団駄を踏んで嫌だ嫌だと駄々をこねる事を自分に許したい。
己の責任も自覚しつつ、親が逃げた責任がある事にも言及したいのだ。
パパっ子だったからこそ執着していつまでも手放せない。
大人になってからも父親という像と良好な関係を築きたかった。どんなに失敗しても帰れる存在として家族にあって欲しかった。

これはそんなにも高望みなのだろうか?
欲張りなのだろうか。

いつまで経っても父親の愛情の輪郭が解らない。
何歳になっても父という存在があやふやで
どんなに求めても虚像しか残っていない。

でも、最近ふと昔のアルバムを見返したら
そこには紛れもなく大好きな父の腕に抱かれて
嬉しそうに笑顔を零す私が写っている。
屈託なく笑う姉と兄も写っている。
だから最近は少しだけ思うのだ。

ほんの少しそこに事実があったのではないかと。
この時の笑顔と嬉しそうな感情は紛れもなく愛情だったのでは無いのか、と。
全てが虚像だった訳では無く知り得ぬからこその
純粋に信じきった親子関係が確かにあって
それはきっと無いと嘆いていた愛情なのだとこの歳になって古いアルバムを見返して初めて思う。

そして、だからこそ帰りたいと願ってやまない。
もう存在しないその空間と時間に。
失くなった痛みと悲しみと、帰る場所の無い苦しみに日々侵食されながらぼんやり思う。
最初から父の日を恨んでは居なかったと。

強く信じ、強く大好きだと確信していた分比例して強がって意地を張って「恨む」事でしか感情を心を保てなかったのだろう。幼いままの私が必死に自分の心を守ろうとした結果、周囲を全て敵だと思い憎む事しか手段を知らなかった。

30歳を過ぎて幾年、未だに苦しみ藻掻き続けている。しかし、父の日にざわざわして悪態は吐くものの一方で昔にはあった愛情を信じたいと祈るように願う気持ちも出てきている。

毎年Twitterで荒ぶるので周囲の方には不快に思わせてしまって申し訳ないと思いつつ、瞬間的に生じる衝動がどうしても抑えられない。
まぁ、素直に今後も綴っていけばいいかと考えている。それで離れる人は離れて好きな位置に居てくれたらいいしそれは各々の自由だ。

父親として頑張る全てのお父さんに、父の日は感謝を贈りたい。放棄せず逃げずに頑張るお父さんを応援しています📣
とっ散らかった文章を最後まで読んでくれて有難うございます。
ここまで読んでくれた皆さんに最大限の感謝を。

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