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元実況アナ週一コラム     vol.18 幼なじみ

幼なじみ

コロナ禍も有り
年末・年始
アー懐かしい❗
という機会も
最近は減少気味、
今回はしっかり予防すれば
そんな再会も
あちこちで増えそうな雰囲気。
予め約束が出来ている場合は、
心踊りますよね🎵
会えていない間隔が
空いていればいる程、
顔を合わせた際は感激!
記憶に残る時代とのギャップなど
いづれにしても
嬉しい思いが込み上げる筈。

そんな事を考えていたら、
プロ野球の世界でも
かつて懐かしさを噛み締める様な
対戦があったな~と
ホッコリした気分になった。
様々なシーンが残る中
一番印象深いのは、
阪神タイガース・福原投手
     VS
読売ジャイアンツ・二岡選手!

この2人は小学校から
広島・広陵高校迄チームメイト、
12年間共に同じ野球で
喜怒哀楽を味わった仲。
私学でもない限り
小学校から高校迄
同じ学校自体少ないのに、
小学校時代4度も同じクラスで
部活もずっと主力なんて
異例中の異例❗
そしてこの2人に
野球の楽しさを教えたのは、
小学校時代コーチをしていた
二岡選手のお父さん!
切っても切れない縁が
育まれていったのである。

面白いものでこの2人、
中学時代は二岡さんがエース
福原さんが内野手、
プロで実績を残した
ポジションとは反対で
それ故お互いの立場が
良く分かっている中の戦いを
繰り広げていたのである。

しかも高校時代は寮生活で、
相部屋。
当時を振り返って
広陵高校・中井監督は
「甲子園出場にメラメラ

 燃えていた二岡に、
 福原が感化されて

 伸びて行った雰囲気だった」
と2人の良き関係を語る。

後にプロ入りする両人が
チームを引っ張れば、
当然甲子園出場も夢では無かった筈。
がしかし
神様が高2の2人に試練を与える‼️
秋の県大会準決勝の

応援に向かう二岡さんの両親が
交通事故に遭ってしまった。
準決勝勝利後、病院直行の二岡さん。
お母さんは幸い無事も、
お父さんは意識不明。
そんな危険な状態が続く翌日、
不眠の中決勝の舞台へ❗
福原投手が9回ツーアウト迄
0点に抑え最後の1人を迎えた時
二岡選手がマウンドへ上がる。
そして父を鼓舞するように
三振を奪い見事優勝!
も残念ながらその5日後に
お父さんは他界😢
父を失った悔しさをバネに挑んだ
中国大会1回戦で
今度は本人予期せぬ肋骨骨折、
加えて福原投手も肘を痛め敗退。
翌高3の夏も新井貴浩選手率いる
広島工業に敗れ
遂に甲子園の夢は叶わなかった。

その後2人は別々の道を選択!
二岡・近畿大学
福原・東洋大学と
東西に分かれ、
各々の4年を経てお互いプロ入り。
なんと阪神・福原投手初登板
巨人・二岡選手初打席が
1999年4月2日の東京ドーム❕
苦楽を共にした2人が
いきなり対戦したのである❗

結果は初球ストレートを打って
センターフライ。
亡くなったお父さんの粋な計らいと、
ライバルとなった存在を
味わった瞬間だった。
その後も切磋琢磨して培った
野球魂を胸に、
共に一流選手に昇り詰める。
ケガを乗り越えながら、
移籍という境遇を乗り越えながら
ベテランの域に入って行く。
 
その中で個人的に
忘れられない対決を見たのは
2012年の交流戦、
阪神タイガース福原
  VS
北海道日本ハム二岡
甲子園球場❗
幼なじみの2人が
実に5年振りに対戦した場面、
結果は3球三振!
見送れば全部高目
いや滅茶苦茶高いストレートを空振り、
一見無茶振りしているような感じだったが
それは見た目で中身は違っていたと思う。
(人間も見た目より中身!)
後日・福原投手に話しを聞くと
「ネクストバッターズサークルに
 出てきた時から、
 二岡と対戦久々だな~と
 視界に入っていた。
 色んな思いが頭をよぎる中、
 思い切って直球を投げ込んだ」と
感慨深げに回想してくれた‼️
対決前のバッター迄
福原投手のコントロールが

安定していた事、
二岡選手のストレート仕留め率の
高さを考えれば
やはり2人しか分からない
独特の時間が流れていた筈❗
お互いの高まる思いが凝縮されたシーン、
そして高校時代目指した甲子園球場で
野球が出来る喜びを
天国の二岡さんの父に
見せているかの様なムード。
そして対決終了を告げる三振後、
共に空をチラッと見上げた・・・
そこには
野球を教えてくれた
二岡コーチの言葉が甦る
「下を向いていてはダメだ、
 苦しくても上を向いて空を見上げろ」

成る程!
幼なじみならではの
行動だったんだな。
2人の空間は、
実におつな絆が有ったように思う。
鈍感な私でも、
ジーンと込み上げる
熱いものがあった。







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