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宗教で人は幸せになれるのか?

僕は宗教者の方と接触する機会がちょくちょくあります。
現在進めている事業でも、イスラム教の指導者の協力を得ながらビジネス展開しています。
神社やお寺のイベントのお手伝いに行くこともあります。

あとこれは割と黒歴史です(笑)が、自分の意思で新興宗教に入っていたこともあります。(今は辞めましたが、10年くらい入っていました)

人がなぜ宗教を求めているかと考えると、みんな幸せになりたいからなんだろうなと思います。
僕自身が宗教に入った理由としては「世の中の本当のことが知りたい」というのがありましたが、これも突き詰めて考えると「世の中の本当のことを知ることで幸せになる秘訣を知りたい」みたいなことだったなと思います。

でも宗教に入って幸せになったか?というと、正直微妙なところです。
確かにいろいろな学びにはなりましたが、生活が楽になったかというと全く影響はなかった気がします。

今回はそんな経験も踏まえて、宗教に対しての考察をお話しします。


宗教「だけ」では人は幸せになれない

交流のある宗教家の方には申し訳ない気持ちもありますが、僕の結論としては「宗教だけでは人は幸せになれない」のじゃないかなと思っています。

誤解してもらいたくないのは、宗教がいらないと言っているわけではありません。
むしろ人間や人間社会にとっては必要なものであります。

宗教がなければ道徳や社会のルールが守られず、人間が自分勝手に行動しだして世の中が大変なことになってしまいます。
また、信仰心がないとおそらく幸せを感じることができなくなるでしょう。

宗教は幸せになるためには必要なものですが、宗教さえやっていれば幸せになれるわけではない、ということなのです。


幸せには2つの豊かさが必要

そもそも人が幸せになるためには2種類の豊かさが必要になります。
精神的な豊かさと、物質的な豊かさです

お金がなくては生活できない、でもいくらお金があっても心が満たされない。
いくら心が満たされていても、貧乏な生活をしていたら全く説得力がない。

いろんな場面で遭遇する問題だと思います。

この2つの豊かさは手に入れるためにはそれぞれ方法が全く別なのですが、世の中にはなぜかこれを混同してしまっている人がたくさんいます。
いや、ほとんどの人がごっちゃになっているんじゃないでしょうか。

「お金さえ手に入れれば幸せになれる」というのは間違っていますし、「心さえ満たされていれば何もいらない」というのも違う気がします。

お金を稼ぐにはお金を稼ぐ努力が必要ですし、心を満たすには心を満たす考え方が必要になります。
まったく別次元のものとして考える必要があるのだと思うのです。


宗教はあくまで「心を満たすもの」

宗教は人の心を満たしてくれるものであります。
苦しい時や逆境の時などの心の支えになったり、人の生き方を正しく導いてくれるものなので、宗教の考え方なくして幸せを感じることはできないと思います。

お金を稼いでも稼いでも、心が満たされなければ「もっともっと稼がなきゃ」という飢餓感が消えず、心の安定は得られないです。
お金が心を満たしてくれることはありません。(一時的に満たされる気になることはありますが、長くは続かないでしょう)

だから宗教の考え方は心を満たすうえでは必要不可欠なものだと思います。

でも逆にいくら心が満たされて幸せを感じられていたとしても、お金なしでは生きてはいけません。
宗教の考え方が養ってくれるわけではないです。

宗教はあくまで心を満たしてくれるもの、精神的な安定をもたらしてくれるものであって、物質的に満たしてくれるものではありません。

幸せになるためには、宗教だけでは不十分の片手落ちで、同時に物質的に豊かになる努力も必要だということです。

同時に2つの努力をするバランスが必要

人が本当の意味で幸せになるためには、精神的な豊かさと物質的な豊かさを両方得る必要がありますが、どちらか片方だけではダメで、あくまでも両方必要です。

どちらかだけを追うのではなく、両方をそれぞれ達成できるように努力するべきで、2種類の努力を分けて考えるべきだと思います。

そしてどちらかだけに偏るのではなく、バランス良く心を満たしながら物質的にも満たしていく、そうすることで人は本当の幸せになれるんじゃないかと思います。

今回の記事を読んで何かしら参考にしてしていただけたら幸いです。

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