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【映画感想文】ゴースト・ドッグ(あるいは置き去りにされた者たち)。

 映画をあまり嗜まないクチだが、そういう人間にも折に触れて思い返す作品というものは幾つかある。
 ”シービスケット””海の上のピアニスト””ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ”等々。いずれもヒューマンドラマ、あるいは痛快娯楽作品として一級の出来栄えだと個人的には思っている。
 今回話す映画は上記の作品に比べるとそこまで面白いものではないかもしれない。だが、これまで観てきた中で最も好きな映画を挙げろという話になったとき、おれはいつもこれを推す事にしている。


 90年代アメリカ、ニューヨーク。
 銃器とハイテク機器を使いこなす凄腕の殺し屋にして”葉隠”を座右の書とする武士道かぶれの黒人”ゴースト・ドッグ”。連絡手段は伝書鳩、唯一の友はフランス語しか喋れず言葉の通じないハイチ人という、生活も価値観も世俗からかけ離れた男。
 ある日ゴースト・ドッグは、イタリア系マフィア”ヴァーゴ・ファミリー”――構成員は年寄りロートルばかりで、家賃の支払いにも窮するうだつの上がらないマフィア組織――の幹部ルーイから、ファミリーの一員であるフランクの暗殺依頼を受ける。フランクはボスの娘ルイーズと愛人関係にあり、その事がボスの怒りを買ったのだ。
 滞りなくフランクを始末したゴースト・ドッグだが、存在を知らされていなかったルイーズもそこに居た。依頼に含まれていないルイーズには手を掛ける事なく、ゴースト・ドッグはその場を去る。

 本来、フランクの暗殺はルイーズに知られないよう彼女の居ない場所で行われる予定だった。しかし監視の目を欺いたルイーズがフランクの部屋に戻ってしまったため、フランクの暗殺現場は彼女にモロに目撃されてしまった。
 ファミリーのボスであるヴァーゴは、暗殺の手引をしくじったルーイを呼び出し糾弾する。そしてその場で新たな任務――ゴースト・ドッグの始末――をルーイに課した。
 本名も住所も不明で伝書鳩しか連絡手段が無いゴースト・ドッグの居所を突き止めるのは難しい。仮に居所が掴めたとしても腕の立つゴースト・ドッグを仕留めるのはさらに至難だ。それらを抜きにしても、ゴースト・ドッグを消す事はルーイには躊躇われた。

 8年前、ギャング集団に取り囲まれリンチを受けていたゴースト・ドッグは偶然その現場に出くわしたルーイに窮地を救われた。それから4年後、ルーイの前に再びゴースト・ドッグが姿を現す。

「あんたには借りがある。武士道では家来は主に尽くさなければならない」

 以来、ゴースト・ドッグは伝書鳩を介してルーイからの依頼を受けるようになった。
 幽霊ゴーストのように痕跡を残さず標的を始末し、ドッグのように主である己への忠誠を尽くす男。自身もファミリーへの忠義を果たさなければならない身として、ルーイはゴースト・ドッグを消す事に割り切れない感情を抱く。


 本国日本ですらとうの昔に廃れた武士道を生き様の規範とする男。
 そして、銃を握って階段を駆け上がれば息切れを起こすようなロートルばかりのマフィア組織。


 時代の流れに取り残された男達の、やがて哀しき抗争の物語。
 その幕は、老人の足取りにも似た速度でゆっくりと巻き上げられていく。

 俺がこの映画を初めて知ったのは確か小学生の頃だったと思う。当時読んでいたゲーム雑誌の”ファミ通”、そのカルチャーコーナーで紹介されていたのが目に留まった。
 物心ついた頃から、おれは正統派でなくちょっと外したコンテンツやキャラクター、要するにB級的な匂いのする作品が好きだ。子どもの頃の憧れはドラゴンボールの亀仙人――普段はスケベなジジイだがその実武道の達人で、言動と態度で後進に道を示す師匠に相応しい存在――と言えば少しは伝わるだろうか。
 そんな俺にとって、黒人の大男が刀を振り回すジャケットと伝書鳩で仕事の依頼をやり取りするという時代錯誤の設定はこの上なく魅力的なファクターだった。「仕事を頼みたきゃ鳩を飛ばしな」というファミ通編集部の煽り文句を二十年経った今でも覚えているくらいだから、本当に心を鷲掴みにされていたのだろうと我ながら思う。
 それから十年近く経って大学生になった頃、下宿近くのレンタルビデオ屋で偶然このタイトルを見つけて一も二も無くレンタルして視聴した。五回ほど視聴して以来それきりだったが、アマプラで偶然このタイトルを見つけたので久々に視聴してみた次第だ。

 俺はこの作品の監督であるジム・ジャームッシュの映画をほとんど観ていない。世間では”ダウン・バイ・ロー”や”ストレンジャー・ザン・パラダイス”辺りが有名らしいが、俺が観たのは会話劇の”コーヒー&シガレッツ”くらいのものだ。だが、そんな予備知識が無くともこの監督のセンスが秀でている事は”ゴースト・ドッグ”一本だけを観ても十分に分かる。
 何を抜きにしてもまず音楽が素晴らしい。BGMの全編を担当しているのはヒップホップグループ”ウータン・クラン”の中心人物RZAレーザ。彼の手になる音楽はテンポのアップスローを問わずいずれもそこはかとない哀愁を感じさせるもので、時代遅れの男たちを淡々と描く作品のトーンを更に際立たせる作用を果たしている。
 また、端々に引用される”葉隠”の文章も一々良い。執筆時間の関係上泣く泣く削るが、どの箴言もその時々のシーンに即した内容となっている。最初は大真面目な顔でギャグをやっているものだと思って大笑いしていたが、視聴しているうちに何の違和感も無くただただ感銘を受けるようになってしまった。この辺りの味わいは、同じくB級のガワ――外国人による勘違いされた日本観――を被ったA級作品”ニンジャスレイヤー”にも通じるところだ。

 そして、本題のテーマ。時代遅れの男たちの生き様について。
 言うまでもなく、主人公であるゴースト・ドッグの生き様はどうかしている。’99年当時のニューヨークで大真面目に葉隠を生き方の指針とし、電話やFAXを使う事無く伝書鳩のみを連絡手段としているのは控えめに言っても狂人の振る舞いだ。しかも作中何度となくゴースト・ドッグは自作のハッキング機器を用いて車両を入手しているが、その辺りの描写がかえって伝書鳩のトンチキぶりを際立たせている。オレンジを供えた自作の神棚を前に刀を振り回す鍛錬のシーンも、初見だとシリアスなギャグにしか見えない人も多い事だろう(関係ない話だが、ニンジャスレイヤー第3部の冒頭でも主人公の部屋の神棚にはマンダリンオレンジが供えてあった。まさかオマージュという事は無いだろうが、トンチキなガワを被った作品同士で符合が見られた事に妙な感心を抱いている)。
 
 だが、ゴースト・ドッグの姿勢アティテュードには全編を通じて何の衒いも作為も見られない。そう在る事が自分の自然体だと無言のうちに視聴者に伝えている。
 どういう経緯でゴースト・ドッグが殺し屋稼業を営むようになったのか、それ以前に何故武士道にかぶれ伝書鳩を用いるようになったのか、その辺りは作中で一切明示されていない。ただ、時代錯誤の在り方を完全に己のものとしている事実だけは主演者フォレスト・ウィテカーの演技を通じて雄弁に語られる。だからこそ、文字に起こせばトンチキな存在であるゴースト・ドッグが、時代に迎合できない/しない男として有無を言わさぬリアリティと哀切さを持つ存在、笑うに笑えぬ存在として視聴者の胸を打つ。

 また、敵役のヴァーゴ・ファミリーの構成員が揃いも揃って老人ばかりというのも見過ごせないファクターだ。むしろこの物語の作劇上で最重要のファクターと言って良い。
 正直言って、ゴースト・ドッグの殺し屋としてのクールさと時代に取り残された滑稽さと悲哀を描くのであれば敵役の描写をもっと違うものにしても成立しただろうと思う。例えば同じマフィア組織にしても、ハイテク機器を駆使する三十代~四十代の精悍な男たちでも良かっただろう。第一その方が見た目にも映える。
 翻ってヴァーゴ・ファミリーの面々を見てみると、顔は皺でたるみ腹は突き出ていて見栄えは全くよろしくない。かつては暗黒街をのし歩いていたであろうマフィア達が、今では階段を駆け上がるのにも一苦労する有様だ。事務所もファミリーが営む中華料理屋のそれを兼ねた狭いもので、3ヶ月分の家賃を滞納し大家からキツく取り立てられるあたりそれらのシノギも上手くいっていない様子。およそマフィアと呼ぶにはふさわしからぬ威厳の無さで、こうして文字に起こしているだけでやるせなささえ感じてくる。

 だが、主人公も敵役も時代遅れの男たち、先細りする似た者同士の抗争という構図は、多かれ少なかれ視聴者の誰もが辿る運命――老いと死、滅び――を否が応でも想起させ、それについて考えさせずにはいられない。だからこそ、この作品は単なるエンタメ作品としての枠を超えた魅力を備えるに至ったのであり、そうした作品テーマを浮き彫りにする為に老いさらばえたマフィア達が敵役を張る事は必然だったのだろうと思う。
 少なくとも、さっき俺が提示した代案のような組織が相手だと単なるクールな殺し屋のノワール活劇で終わっていただろう。それはそれで面白い作品になったかもしれないが、もしそういう作品だったとしたら俺は五回も視聴していないしこうしてレビューを書くことも無かった。それだけは言い切れる。

 


 作品の最終盤、主人公のゴースト・ドッグはハイチ人のアイスクリーム売りレイモン――言葉は通じないが互いに何を言わんとするかは理解し合える親友――にこう話す。

「そいつの名前はルーイ。俺は奴の家来だ。ずっと昔の事だが奴に恩を受けた」

「サムライは主に忠を尽くさなければならない。何があろうと」
 
「所詮俺も奴も、古い流れに生きていて、互いに今は絶滅寸前の人種なのさ。でも時には――」



「その古い流れって言うのも、悪くない。分かるだろう?」

 

 決して派手では無いし、始終滑稽な要素に満ちている。シリアスなギャグ映画か、あるいはただの雰囲気だけの映画と言われるかもしれない。

 

 だが、誰がなんと言おうとこの映画は傑作だ。
 少なくとも、いつも時代を疑っては時代に取り残されてきた、俺のような奴にとっては。


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