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同じことをなんべん言ってもいいんじゃねえかな、別に。

えー、noteを書くときの話なんですけどね。

それなりの数の記事(エッセイ系)を書いてきた人なら、たぶん一度は思ったことがあると思うんですよ。


「あれ、これってこないだ上げた記事でも俺(私)言ってなかった?」


って。

それで書こうとしてた記事は急遽取りやめ、別角度のネタをうんうん唸りながらひねり出そうとするみたいな。
あるよね。ありますよね?まああろうが無かろうが話は続くんですが。

かく言う私もですね、何度かそういう考えが頭をよぎったことがあります。
ありますが、別にそこまで神経質にならなくてもいいんじゃねえかなあと。
なんべん言おうが別に構わないんじゃねえのかなあと。
そういう風に思うに至ったことについてのお話です、今回は。


あ、詳しく論じる前にですね、”同じこと”って言葉の意味をもう少し明確にさせてもらいます。

ここで言ってる”同じこと”ってのは、”テーマ”だとか”私の考え”だとか、要するに自分がその記事を通じて訴えたいことです。これが同じ”ネタ”だとか”話題”とかだと、まあさすがに方向転換もやむなしでしょうね。

よく見られるケースとして問題なのは、”テーマ”と”ネタ”が分かちがたく一体化している(少なくともそう思える)場合でしょうが、それについてはたぶん書き続けることで分離化できる視点が自分の中に得られるんじゃないかと。
申し訳ないですが、今回はその問題の即効的な解決策を論じるだけの時間も力量も私にはありません。どうかお許しを。


閑話休題。本題に入りましょう。


― ― ―

さて、何で私がタイトルにも掲げたような思想を持つようになったかという話なんですが。
私、作家の浅田次郎先生の大ファンなんですけど、先生の本を何十冊と読んでるうちに気づいたことがありまして。


「浅田先生、いろんな作品のキャラに自分のモットー言わせてんなあ」

「このフレーズも他の作品で見たなあ」

「ついでにちょくちょく作品にヤクザと脳筋の自衛官登場させてんなあ。やっぱりどいつもキャラが似通ってんなあ」



「でも面白えなあ。身にしみるなあ」



これですよ。作品をまたいで同じテーマを繰り返し言ってても、普通に面白いし、身にしみるんです。

浅田先生のモットーっていうのは

”嘘はつかない””愚痴を言わない””見栄をはらない”

の三原則なんですが、まあーコイツが色んな作品で出てくる出てくる。全然別のキャラにも言わせまくってるし、何ならご自身のエッセイでも何度となく出てくる。体感で言うと17冊以上の著作で目にしたと思う。だけど読むたび身にしみる。

あと、登場キャラクターとしてのヤクザと自衛官(脳筋な軍人)。こいつらも事あるごとに出てくる。自衛隊出身の極道作家として鳴らしていた初期の作品は当然として、大作家として名を成したあとの短編集とかでも普通に出てくる。作品ごとのキャラクター造形にはあんまり差がない。にもかかわらず面白い。


読む人によっては、書き手のマンネリズムに見えるかもしれません。というか、結構な数の人がそう感じてるかもしれない。
同じテーマを繰り返すことへの恐れっていうのは、まさしくこのマンネリズムに陥ることへの恐れだと思うんですよ。言い換えると、「まーたあいつ同じこと書いてんよ」と指を差されることへの恐れ。

だけど、書き手が繰り返してでも使いたいテーマやフレーズ、キャラクターっていうのは、その書き手のリアルというか価値観のコアというか、人格の結晶みたいなものだと思うんです。
万人受けするかはわからんけど、面白いとかイイねと思った人にはガッツリハマってもらえる。要するにその人という存在そのもの。

その伝で言えば、浅田先生が繰り返す3つのモットーだとかヤクザなり脳筋自衛官なりのキャラクターだとかは、まさに浅田先生という人格のコアだと言えるでしょう。
”嘘はつかない””愚痴を言わない””見栄をはらない”というシンプルで力強いモットーは、ご自身が長らく不遇の時代を過ごしているうちに自然と生まれた言葉だそうです。ヤクザや自衛官にしても、ご自身の強烈な体験を元にして書いているから躍動感がハンパない。
マンネリズムを感じさせる以上に多数の読者を面白いと思わせるのは、プロとしてのテクニック以前に書き手のリアルさが文章に宿っているからだと、個人的にはそう思います。


そういうわけでですね。


万人受けするかと言ったらそうじゃないかもしれないけど、価値観に共鳴する読者はガッツリハマってくれる。
繰り返し言いたいテーマとか思想というのは、そういう濃い魅力のあるものですから、臆さず繰り返してもいいものなんじゃないでしょうか。


(※以下、きわめて個人的な憶測)

もっとも、その結果生まれるのは、たぶん多数のフォロワーとかスキとかじゃないです。というか一時的には減るかもしれない。
代わりに得られるのは、一人か二人くらいの、しかし相当にコアなファンです。たいがいの事があってもずっと書き手を見守っていてくれる、心強い味方です。

同一のテーマを繰り返し訴えるというのは、自分の濃いいところを見せるという話なんで、おそらくこういう展開になると思うんです。
濃いい記事ばっか書いてきた私自身の経験からいって、たぶんそうなる気がする。

フォロワーとかスキといったステータスの増加につながらない、ヘタしたら一時的には減少すら招きかねない話なんで、あんま聞こえのいい話じゃないのは承知しています。そもそもが「そうはならんやろ。というか考えすぎやろ」の一言で終わる話かもしれません。
ゆえに、あえて本文からは外してここに載せることにしました。

けどまあ、フォロワーを得るという話で言えば、ヘンな小細工よりもそっちの方がはるかに王道なんじゃないでしょうか。
本来の”フォロワー”ってそういう概念を指すものでしょうし、note公式もコアなファンを増やすことが書き続ける上では王道って言ってることですし。


ダラダラ好き勝手言ってきましたが、そろそろ〆とさせていただきます。

お付き合いいただき大変にありがとうございました。
またのご利用をお待ちしております。


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