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毎日更新するとかしないとかの話の前に。



「”書くということ”の何に自分が価値を見出しているのか」


を知ることのほうが先だと思うのですよ。




― ― ―



前回上げた記事にですね、畏れ多くも畏(かしこ)くも、コメントをいくつかいただいたのですが。


その中に、ちょいと気になるコメントがあったんですわ。


私なんて最近思いつきで毎日note更新してみていたのですが、薄っぺらくなるし書いている自分が満足出来なくなったので辞めました。



あー、ウワサの毎日更新ってヤツっすね。


自分はやってませんし今んとこやる気もないですが、なんかやたら目にしますよね、note界隈だと。


そういやいつか出勤前に記事を上げたとき、記事投稿おめでとうのメッセージとともに




「毎日更新に挑戦しませんか?」




ってメッセージが表示されたことがあったんですが。



オススメする理由も明かさないまま毎日更新をうながすその姿勢にカチンときたんでね。つい、




「しねえッッ!!!!!」




ってPCのモニターに一喝してから出勤しました。
それ以来そのメッセージは表示されてませんね。念ずれば通ず。



― ― ―



っつーか、よくよく考えりゃわかることですけど、そもそも正気の沙汰じゃないですからね。
それなりのクオリティをたもち続けたまま(←ここ重要)、毎日更新し続けるっていう行為は。


前提として、けっこうなエネルギーと時間を費やす行為なんですわ。それなりに練り上げて書こうとすることは。
ましてやそれを毎日やろうだなんてのは、やっぱ正気じゃないですよ。
大げさかもしれないですが、ちょっとばかし狂気の沙汰。


そんな狂気山脈を登ろうとするのに、おさんぽ程度のテンションで臨むのはどうかと思います。

気晴らしやエクササイズ目的でエクストリームスポーツにチャレンジするようなもんなんじゃないですかね。
散歩とかウォーキングとかのために「ちょっとヒマラヤ山脈行ってくる」ってヤツはおらんでしょう、普通。




だもんで、毎日更新するのしないの言う前に、まずこの二つを確認しておいたほうがいいと思うんです。




○毎日更新で得られるモノ



○書くという行為に自分が求めるモノ




両者がマッチしていたら、それはもう問答無用で書き続けるべきでしょうね。
筆力の有無は関係なしに、そういう人は書き続ける資格がある人だと思う。


逆にマッチしていない人の場合、毎日更新という形式だけ追い求めても、それにどれだけの価値があんのかって話だと思うんですわ。
そりゃあ書き続けられるに越したことはないですけどね。形式にこだわりすぎて中身がおろそかになるってのはよくある話じゃないですか。


そうなる前に、まずは自分の目的をしっかり確認してからでも、毎日更新にチャレンジするのは遅くないんじゃね?ってのが今回言いたいことなんですよ。



毎度前置きが長くてすいませんね。いい加減始めましょうか。




― ― ―



まずは”毎日更新で得られるモノ”について。


そもそも毎日更新してない自分がこれを言うのもおこがましいですし、本人も想像でしか言えないことを歯がゆく思っていますがね。そういう企画なんでどうかお許しください。


色々あるとは思いますが、とりあえず自分で思いつく限りのモノを挙げて、それらについて詳述してみます(他にも挙げるべきモノがあんだろっていう意見があればお聞かせください)。



・継続力(自己肯定力のオマケつき)

・文章力

・ネタ発見力(観察眼+思索力)

・ビュー/スキ/フォロワー数の増加

・諦観が身につく



以上。



”色々”つっててたった五つしか思いつかねえのかよ俺!!!?




・継続力(自己肯定力のオマケつき)


”継続力”についてはわかりやすいというより、単なるトートロジーですね。おなじ言葉のくり返し。
泳げるようになりたいなら泳げってのと同じで、書き続けるから書き続けられる力がつく。これ以上あたりまえの話もないっすわ。


まあ、継続力が得られるだけでも十分デカいんですけどね。
それにくっついてくる”自己肯定力”はそれ以上にデカいと思います。むしろオマケのほうがゴッツい。
ジャンルを問わず自分が決めたことを続けられているっていうのは、誰が知ろうと知るまいと、他ならぬ自分自身が感じている手応えですからね。
個人的には、こっちのほうにより価値を感じます。



・文章力


自分で挙げといて何ですが、これはちょっと漠然としすぎっすわ。
だいたい、書く文章の内容と目的に応じていくらでも定義が変わるもんでしょう、”文章力”なんてもんは。


そのうえであえて言うなら、毎日更新で鍛えられる文章力ってのは
”構成力”
なんじゃないですかね。短時間で自分の考えを整理して伝える力。


テンプレなんぞ存在しない五里霧中。
己が課した24時間という〆切りつき。
地味にソリッドな状況下で、クオリティの是非はともかくとしても、とにかくまずは何か記事にまとめて上げなきゃいけない。


そんなジャック・バウアーごっこしていたら、イヤでもこいつは鍛えられると思います。
だって自分の考えを24時間以内にまとめられなきゃ死あるのみなんだから。いや死にはしねえけど。


そういう意味では、自分は毎日更新している方々を素直に尊敬しています。
たぶん、自分が眉間にシワ寄せて構成を考える何分の一かのエネルギーでスッスッと文章を書き上げていくんだろうなあと。


さっきも言いましたけど、仕事の文書と違ってテンプレが存在しないですからね、note。
レイアウトも頭ん中もホワイトアウトしてる中で毎日書くって、やっぱスゴいっすわ。



・ネタ発見力(観察眼&思索力)



毎日上げる以上、一日一つは書くネタを見つけなきゃいけないのでこれも鍛えられるでしょうね。


これはね、単純にいいなあと思ってるんですよ。
なんでって、世界が広がるから。


あたりまえの話ですけど、誰が書く記事だろうと構成要素は結局二つに集約されると思うんですよね。
書き手の外側(物事、事象)と内側(気づき、思考)、この二つ。
書くうえでの根本的なスタンスはどちらかに分かれるとしても、どの記事もこの二つで構成されてる。あとは記事ごとに比重が違うだけ。


その伝でいくと、毎日記事書く以上は、物事の観察と思索を毎日続けないといけない。
そうやって、アンテナ張り巡らせて考えたぶんだけ、視野が広がる。物事と自分を知れる。つまり世界を知れる。


そう考えると、”ネタ発見力”と言ったけど”哲学する力”と言い換えてもいいかもしれないですね。
人生が豊かになるって意味では、これはとても大きいと思うんですよ。


もっとも、これって自意識の増大/鋭敏化でもあるんでね。一度ダウナーな気分になると常人以上に落ち込むことにもなるんですが。
ま、そこは何事も一長一短ってことで、ひとつよしなに。



ところで、先に上げた文章力(=構成力)もひっくるめてこれを体現してる人として、フォロワーのさめじま姐さんを自分は推したいです。
相当忙しいと思われるなかで毎日更新されていますが、どの記事読んでも毎回ハイクオリティな気づきに満ちあふれているんですよ。
流し読みだと気づかないですが、書き手目線でまじまじと読むと実はバケモノじみたことやってるんです。


その境地に、つまり

”それなり以上のモノを省エネモードで書ける”

くらいの境地に至るために必要なのが

”毎日更新する(=量を書き続ける)”

ことなのだとしたら、やはり毎日更新という行為に価値はあるのでしょうね。



・ビュー/スキ/フォロワー数の増加



いっちばんわかりやすいのがコレ。
「note 毎日更新」とかで検索かけて出てくる記事で、コレに触れていないのってほぼ存在しないんじゃないかと。


でもね、申し訳無いことに、この記事書いてる自分はそこまで数に重きを置いてないんですわ。
なので、コレについてはあんま語ることがないんスよ。数の増加と毎日更新の相関関係を知るのであれば、他の方々の毎日更新やってみた感想とか読まれたほうが早いと思います。



ただ、一つだけ言わせてもらうとしたら。



毎日更新でビューとかスキとか増えましたって記事はいくつもあるけど、数を増やす条件として


”更新する記事は最低限の(=それなりにでも書いた本人が面白いと思えるだけの)クオリティがあること”


ってのが前提にあって、そのくせ語られてはいない気がする。


あたりまえの話だから触れてないだけかもしれないけど、それはちゃんと言っといた方がいいんじゃね?と個人的には思います。
その辺を意識した記事をあんま見ないんですよね。毎日更新の結果だけじゃなくて、結果に至る過程ももっとクローズアップして語ってほしいぜ。



・諦観が身につく



もしかして一番デカいのこれじゃね?



”諦観(ていかん)”つっても堅苦しくてよくわからんですよね。いや書いてる本人もうまく言えないんですけど。


なんつーのかな、とんがったところが失せて丸くなるっつーのかな。
自分の限界を知るというか、思うようにハイクオリティな記事を書けない自分を受け入れられる度量というか。


”得られるモノ”と銘打っててアレですけど、それって単純にプラス、プラスと積み重ねていく性質のものだけじゃない気がするんですよね。
満足に書けない自分を知って、そっからどうやって理想と現実に折り合いをつけるかっていうのも、うしろ向きな感じだけどすげえ大事なコトではないのかと。


それはそれで、とても良いことだと思うんですよ。
結果として、肩のチカラ抜いて書けるようになるんならね。



― ― ―



さて、ここまできて改めて、

”なぜ自分は書くのか”

”書くという行為に自分が求めるモノは何なのか”

を考えたいんですが。



これにしたって十人十色でしょうけど、とりあえずカテゴライズするならこんな感じですかね。


・承認欲求の充足

・発言力の増大

・マネタイズ

・視野を広げる

・文章力の向上

・思考の整理


六つか。まあこんなもんか?


少ないかも知れませんが、最大公約数を考えるなら、だいたいこの辺に落ち着くと思います。
ゼロヒャクで全振りしてるとはいかなくても、この内の一つか二つをモチベーションのメインにして書いてる人がほとんどかと。


とりあえずこの記事では、このカテゴライズに沿って書かせてもらいます。
(この括りでなお括りきれていない書く理由があればお聞かせください。自分なりに最大公約数を狙ったつもりですが、なんか見落としがあるだろうなとも思っているので)



・承認欲求の充足
・発言力の増大
・マネタイズ



これらをメインにするなら、絶対書き続けるべきでしょうね。
さっきも言ったとおり、継続≒ビュー/スキ/フォロワー数の増加のようなので。
やっぱ存在を知ってもらわないと始まりませんからね。何者かになりたいとか、発信した情報を知ってもらいたい、ひいてはそれで稼ぎたいとかの目的があるならば。


ちなみに、ここで上げた”マネタイズ”には、”文筆業の修行”も含まれると個人的には考えています。
世の中の仕事の多くは
”制限時間内での商品orサービスの提供”
だと思っているんですが、文筆業含む創作系の仕事も例外ではないでしょうから。


自分の文章が作品であると同時に(あるいはそれ以上/それ以前に)、商品であるという意識を持つこと。
制限時間内にそれなりの文章を仕上げる技術を修得すること。


文章一本で勝負できる場所なだけに、文筆業またはそれを志望する人がけっこう多いと思うんです。noteの書き手さん方の中には。
だから、そういう人たちが文章修行として毎日更新を実践し続けるのは、当然のなり行きなんでしょうね。



・視野を広げる



毎日更新の目的でコレを挙げる人ってあんま見たことないですけどね。


順序としては本来逆なんでしょう。
さっきの”ネタ発見力(観察眼&思索力)”の項目で述べたとおり、書き続けた結果の副産物として
”視野が広がる→物事と自分を知る→世界が広がったのを自覚する”
ってのが本来のプロセス。


ただ、毎日更新の収穫としてコレを挙げる人はけっこういるんで、効用としては間違いないはず。
なら、毎日書く目的として最初から設定しちまってもいいと思うんですよね。
自分の視野を広げたいと思ってnoteを使う人って多いようなので、そういう人が毎日書くのはそれこそ理に適っているかと。



・文章力の向上



書く理由として、これを挙げる人は多いです。


ただ、さっきも言ったとおり”文章力”の定義はいくらでも変わりますんでね。
各々が目指す文章力と、note毎日更新で得られる文章力(=短時間で自分の考えを整理して伝える力)にギャップがあるかどうかは一度確認してもいいんじゃないでしょうか。


ちなみに、自分がnoteに求める文章力は


”自分で読んでて面白い/満足できる/納得できる文章を書ききる力”


なもんで、毎日更新とあんまリンクしてない気がするんですよね。
この辺はまた後で言いますが。



・思考の整理



これもよく聞く言い回しですけどね。言い回しが簡単すぎて逆に真意がわからん。



個人的には、この言葉は


”自分が思っていることを自分が納得できるカタチで表現できるようになる”


ことを指すと思ってるんですよ。あえて詳しく言うならば。



だから、自分がnoteで目的としている

”自分で読んでて面白い文章を書く”

というのもコレに含まれます。



この場合、毎日更新にこだわる必要は必ずしもないのではと思います。
思考を寝かせたほうがいい場合も多々ありますし、第一自分にとって大事な考えほど、すぐにはまとまらない/見極めきれないことがほとんどなので。


ただ、毎日更新という形式にはこだわらずとも、気づきをその場で書き留めるのと、折に触れて考えを掘り下げるのはやったほうがいいでしょうね。
で、いざモチベーションが出てきたそのときには、そいつらを下地にして、一気に書き上げる。


時間に追われて生煮えのまんま発信するよりかは、そんな感じで練り上げるのがいいんじゃないでしょうか。思考の整理が一番の目的というのであれば。



― ― ―



最後に、今のところ自分が考えている

”書くという行為に自分が求めるモノ”

についてまとめたいと思います。



まずは、さっきカテゴライズした書く理由ごとに、パーセンテージを振り分けてみます。せっかく作ったことですし。


・承認欲求の充足:10%
・発言力の増大:15%
・マネタイズ:0%
・視野を広げる:0%
・文章力の向上:5%
・思考の整理:70%


あー、我ながら案の定な結果になりましたね、ええ。


やっぱね、書く以上は読んでもらいたい/自分の考えを知ってもらいたいですし、それに賛同なりご意見なりいただけるなら、もうそれだけで酒が飲めるレベルですよ。

そのためには自分の存在を知ってもらわないと始まらないんでね、最低週一で投稿しようってのはマイルールにしています。
自分のアカウントを殺さずに続けられる最低ラインは、今んとこそんくらいかなと。




ただね、一番の目的は自己満足なんですよ。やっぱり。


自分が読んで面白いと思えるだけの文章を書くこと。
ネタにせよマジメな話にせよ、自分の考えを過(あやま)たず表現しきった文章を書ききること。


その達成感/充足感こそが自分にとっての最大の楽しみなんでね、これ以上の書く理由なんて存在しないんですよ。今のところはね。



これに関連する話として、冒頭のコメントをくださった方にコメントバックする予定だった文章をそのまま貼っつけたいと思います。


note毎日更新については、自分もほぼ同意見です。
正確には毎日更新の是非ではなく、まずは

”書いている自分が楽しいか/満足できるか/納得できるか”

を最大のプライオリティとすべきという点に共感しています。
そこを抜きにしたらすべてが瓦解すると思っていますので。


というか、こんだけ偏執的なスタイルと分量で毎日更新なんて物理的に無理なんですよ。
読み手さんも胸焼けするでしょうし、そもそも社畜の身で毎日こんなん書いてたら死ぬわ。冗談抜きで。



要するに、




「自分が一番楽しめるやり方で書き続けろ」




ってことを言いたいんです。
毎日更新がどうのというより、何を抜きにしてでも、とにかくその一点だけを訴えたい。



― ― ―



最後の最後でいきなり話が飛ぶんですけど、自分がnoteを書くにあたって指標としているモノの一つに

”甲本ヒロトさん(元ブルーハーツ、ハイロウズ、現クロマニヨンズボーカル)の言葉”

がありまして。


さっき言った自己満足全肯定のスタンスも、まずは自分が楽しむべきという思想も、もとから持ってはいたんですがね。
noteで書きはじめて以来、それを強烈にブーストさせているのがこの言葉たちなんです。


これはもっと後になってから言おうと思ってたんですが、この記事にふさわしい話だし、今紹介しちまおうかなと。



「他人の評価を気にしながらあっちこっちとフラフラする人よりは、
『自分にとってはこれが最高なんだ!』
と開き直り、自己満足を求めて一気にのめり込んでいく人が、最終的には成功するものだ
「極端な話、いいじゃんこんなの誰も聴かなくたってというぐらいの、今やってて楽しいんだからっていうくらいの感じかな」
「みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ!



どうっすか、ビリビリ来ません?


この、小賢(こざか)しい雑音とは完全に無縁の世界観。





この言葉たちを知ってね、思えたんですよ。



「あ、そっか。やっぱり自己満足で正解なんだ」


「こういう(表現の)場では、自分のやり方で踊り狂っていいんだ」



って。




他の人間が言ったんなら、綺麗事だと思って信用しなかったかもしれない。


だけど、コレ言ってるのはヒロトだぜ。


三十年前からずっとステージで踊り狂ってる、日本のロックを変えた伝説のパンクロッカーがコレ言ってるんだぜ。
お前自身が楽しんで踊れることが一番の正解だって。






だったら、踊り狂うのが正解に決まってるだろ。






そう確信して、今日もキーボードをダカダカ打ちまくってるんです。



オシャレでもなけりゃライフハックにもつながらない自分語り。
分量はいつだって三千字、ともすれば五千字超えもザラの大長文。
そんなだから、ビューもスキもフォロワーも、ましてやカネなぞ一文たりとも稼げやしねえ。
そんな文章ですら、満足に書けない自分にうんざりしてばっか。





それでもね。全部知ったこっちゃないんですよ、そんなもんは。







だって、思いこんじまってるもん。完全に。


精魂込めて書き上げた、俺の文章は面白いって。







その味を知ってしまったからね。
どんだけ書けなくてウダウダしてても、結局はキーボードの前に戻ってくるんですよ。


書いてる自分を踊らせる、ついでに読み手も踊らせる、未だ見ぬ文章が読みたいから。



― ― ―



締めくくりに、記事にコメントを残してくださったみさきさんに御礼申し上げます。
あなたのコメントのおかげで、今回の記事が書けました。
記事を上げるのが遅くなってすいません。本当にありがとうございます。




それじゃあ皆様方、またお会いしましょう。


次の日か、一週間後か、一ヶ月後か、一年後。
あるいは、もっとその先に。





いずれはどこかで更新される、お互いの次の記事で。




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