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逆噴射小説大賞2023ライナーノーツ【前編】

 逆噴射小説大賞。
 ノンジャンルのエンタメ小説800字の冒頭で面白さを競う、比類なきインクオクトーバーフェスト。

 今年で第6回を数えるこの大賞に、おれは一昨年から参戦している。一昨年は最終選考まで到達したが、去年は二次選考通過で終わった(二次選考通過の時点で十分すごいことだが)。
 上に行けるものなら行きたいが、遮二無二それを目指すほどのハングリーさは持ち合わせていない。ただ、己の物書きとしての腕前は確かめておきたい。そういうふわっとしたモチベーションで参戦した。
 以下に、今年応募した二作品のライナーノーツを記す。

 



討手は闇に

◯一作目。時代物。

◯昨年末から今年の夏まで、おれはずっと時代小説を読んでいた。正確に言うと藤沢周平の作品を読み耽っていた。

◯おれは時代おくれの人間だ。好みのコンテンツも価値観も、世間様と比べるとどこか古臭い。時代小説に特別親しみがあったわけではないが、世間の流行りから乖離したおれの価値観を考慮すると、いずれ避けては通れぬジャンルだという気がしていた。
 藤沢周平を選んだ理由は、以前どこかで読んだ「藤沢の文章はべらぼうに上手い。手本の一つとすべき」というプロ作家の評価が気になってのことだった。おれは面白ければ何でも読む人間だが、どうせ読むなら物書きとしてのレベルアップに繋がりそうなものが良い。
 そういうわけで、古本屋で適当に4冊くらい買った。去年の暮れあたりのことである。主に職場の昼休みを使ってチマチマと読み進めた。

◯それから半年が経った。気づいたら14冊読んでいた。
 読了したタイトルは以下のとおり。中には二週三週した作品もある。

用心棒日月抄(ヒーロー連作集)
隠し剣孤影抄(剣豪短編集)
隠し剣秋風抄(剣豪短編集)
暗殺の年輪(ノワール短編集)
又蔵の火(ノワール短編集)
竹光始末(武家・市井短編集)
闇の歯車(クライムサスペンス)
驟り雨(市井短編集)
橋ものがたり(市井短編集)
決闘の辻(史実剣豪短編集)
たそがれ清兵衛(剣豪短編集)
天保悪党伝(ピカレスク連作集)
夜消える(市井短編集)
日暮れ竹河岸(市井短編集)

 面白い。軽い気持ちでチョイスした作家だったが、いざ読んでみると止まらない。チャンバラもカッコ良ければキャラ立ても上手い。人心の機微もさりげなく、それでいて的確に描いている。
 何より文章が良い。いくつか例を挙げる。


◯日が傾き、家家の壁は、蜜柑色に輝く部分と、薄暗い翳の部分に鮮明にわかれはじめていたが、空にはまだ、眩しい光が溢れていた。

◯人通りはなく、ひっそりとした日射しが路上に降りているだけだった。

◯背後に、見送って立ちつくす男の気配が続いている。

◯雨戸の隙間から入り込んだ微かな光が、青白く障子を染め、そこに明け方が訪れたことを告げていた。

◯赤味を帯びた日の光が、斜めに材木の肌を染めている。

◯砂が水を吸い取るように、男の言葉が信じられた。

◯日が射さない場所で、忍ぶような恋だったのだ。だが、その恋のために、闇は耀かがやく光を孕んでみえた。

出典:藤沢周平「黒い繩」(「暗殺の年輪」収録)

 華美な装飾は少ない。言い回しも淡白なものだ。一見すると地味かもしれない。
 だが書き手の目線で言うと、平易なことばで物事をクリティカルに描写するのは最も難しい芸当だ。ことばと事象と人の心を知悉ちしつしていないと出来るものではない。その難事を、藤沢周平は自家薬籠中じかやくろうちゅう(お手の物)とでも言わんばかりにさらりとやってのけている。
 なるほどこれは達人だ。おれが敬愛する浅田次郎の文章──いかめしくも絢爛な表現を駆使するきらびやかな文体──とは対極的なまでに質素で、しかし美しいことこの上ない。
 気づけば、おれは藤沢周平の文章を貪っていた。時代小説を読みこもうという意識ではない。ただ藤沢周平の文章にさわり続けていたかった。藤沢の文を追うついでに時代小説を読んでいた。そういう感覚だった。

◯時代小説ばかりを読んでいると、浮かぶアイデアや言い回しも自ずとその方向に偏ってくる。
 ある日、何の前触れもなく一つのフレーズを思い出した。

剣の達人は霜が降り落ちる瞬間さえ感覚で判る

 という意味合いの一節だった。出典は浅田次郎の『壬生義士伝』だったと思うが、いかんせん二十年以上も前に読んだきりなので確証はない。
 読んだ当時は「へーよくわからんけどすげー」としか思っていなかったが、いざ思い返すと中々にカッコ良いフレーズだ。常人の域を遥かに超えた五感の冴えが伝わってくる。


 その冴え具合をさらに過剰にしたらどうだろう。
 そうしたらもっとカッコ良いのではないか。


 何のことはない思いつきである。だがそう思った瞬間、堰を切ったようにアイデアと文章が湧き上がってきた。
 閃きは時と場所を選んでくれない。いつも突然湧いてきては勝手に枯渇してしまう。突発的に湧出した岩清水にバケツを当てるかのように、おれは慌ててスマホをたぐり一連の文章をメモ書きした。


 それがしの肌に纏わっていた月明りの粒。その粗さの程を思い返しておりました。望月の如く満遍なく降り注ぐ光なれど、望月に比べ僅かに粒の極めが粗い。

 常人には感じ得ぬ月光の粒度を感じ、あまつさえそれを選り分ける。異常なまでの冴えた感覚を持つ「こいつ」は、剣豪小説の主役に相応しい。
 これで一本書いてみたい。そう思った。

◯筋書きにはほとんど力を入れなかった。盲目の凄腕剣士が藩の重役に強敵の討伐を依頼される、一言で言えばそれだけの話だ。800字の制限下で設定やギミック、ストーリーの二転三転ぶりをギリギリまで詰め込む他の応募作に比べるとあまりに薄い。シンプルどころか何も考えていないに等しいレベルのプロットだ。
 その代わりに、目標を二つ立てた。
 一つは、800字のすべてを藤沢周平のような美文で埋め尽くすこと。もう一つは、主人公のカッコ良さ(異能ぶり)を際立たせること。この二つを極限まで追求することに決めた。

◯目標達成の方法論に移る前に、なぜそんな目標を立てたのか──賞レースの定石から大きく外れた行為に及んだのか──について述べる。
 結論から言うと、昨年の反省を踏まえてのPRACTICEだった。昨年応募した2作『ロストジャイヴ』『月面着火』は、自分なりに賞レースの定石──ストーリーの圧縮/飛躍、オリジナリティのある世界観構築等──を意識して書いた作品だった。その甲斐あってか両作とも二次選考を通過したが、最終選考には至っていない。小説としての基礎力に欠けていた、どこまで行っても「小説の冒頭」として相応しくなかったが故の結果だと自分では思っている。
 小説とは文芸、つまり文章のみでかたどる芸術だ。何を描くにせよ、そこでは文章しか用いることはできない。
 ならば、文章そのものを磨き上げる訓練が欠かせない。一度くらいは腰を据えて描写力だけにこだわってみるのも良いだろう。長い目で見れば必ずプラスになるはずだ。何より、今はそういうトレーニングが必要だ。理屈ではない。体がそれを欲している。
 そういうわけで、ストーリーとか設定へのこだわりは度外視した。ひたすら文章の美しさ、そして主人公の異常性を際立たせることを追求した。

◯筋書きの細部は、上記の決めセリフ(月明りのつぶ云々)から逆算してチマチマ考えた。
 一週間ほどで初稿が出来上がった。完成稿からするとひどい出来だが、むしろそっちの方が大賞参加者の参考になると思うので貼る。


 
 暮れ七ツの鐘がこだまする。


 自邸の奥座敷にて、大目付茂野兵衛ひょうえは目の前に端座する男を面妖な面持ちで眺め尽くした。
 藤川惣治郎。柏道場の麒麟児と謳われた遣い手ながら、先年盲いた事で城勤めを退いている。しかしその剣才は喪われるどころか、異様なまでに冴えを増す一方であると聞く。
 兵衛の招致に際し、惣治郎は伴も杖も携えることなく現れた。
「ときに藤川。今宵、月は出ておるか」
 兵衛は訊いた。無論、惣治郎への試しである。
「出ておりまする」
 淀みなく惣治郎は答えた。兵衛の出し抜けな問い掛けにも動じぬ、きっぱりとした物言いである。
 ふむ、と兵衛は頷く。直ちに次の問いを投げた。
しからば、その満ち欠けの程は」
「……」
 黙したままの惣治郎を、柿色の行燈光が茫と照らす。
 やはり盲人には過ぎた問いであったか──兵衛がそう思った瞬間、惣治郎が口を開いた。
「……待宵まつよいか、十六夜かと」
 兵衛は瞠目した。弾かれたように立ち上がるなり縁側の障子戸を一息に引き開ける。左方の端にまどいを欠く待宵月の蒼光が、奥座敷をやわらかく満たす燈光に刃の如く割り入った。
 唖然とした面持ちで、兵衛は端座したままの盲人に向き直る。
「暦を覚えておったのか」
「いえ」
「ならば、何故そこまで判る」
つぶ・・に御座います」
「つぶ?」
 眉根を寄せる兵衛に向けて惣治郎が続ける。
「御屋敷に至るまでの道々、それがしの肌に纏わっていた月明りの粒。その粗さの程を思い返しておりました。望月の如く満遍なく降り注ぐ光なれど、望月に比べ僅かに粒の極めが粗い。さすれば、待宵か十六夜であろうと見当をつけたのです」
 兵衛は息を呑み、同時にいよいよ得心した。
 この男こそ適役だ。

「藤川。あるものを斬ってほしい」
「……その者の、うじと素姓は」
「人ではない。刀じゃ」
「刀?」
「左様。あれは闇夜に独りでに動き、斬る。それを斬れ」 


【続く】

 この時点では、時代考証というか用語の検証をほとんどしていない。それっぽい単語を適当に当てはめただけだ。友人達に読ませたところ好評だったが、細かい詰めが欠かせない事は分かっていた。
 なお時代考証については、詳述するとキリがないため割愛する。せめてもの一例として、友人に送りつけたLINEのスクショを貼ってみた。内容は依頼人『茂野兵庫』の役職について。


 一事が万事こういう具合だったわけではない。だが誰も気にしないであろうディテールを詰める必要に迫られたのも確かだ。そして、その回数は10や20で済むものではない。
 やはり、時代小説を書くのは難しい。つくづくそう思う。


◯読ませた友人達の中には、日本語や表現のアラに一際敏感なやつがいる。文芸経験者ではないしこの大賞にも参戦していないが、目利きの精度は相当に高い。そいつを巻き込み、二人で延々と推敲を重ねた。
 以下に、その友人から受けた指摘の一部を記す。

・時代劇に詳しくないけど『暮れ七ツ』という表現は存在しない気がする。
・『大目付』と『兵衛』って役職に対して官位が低いのでは? 役職と名前の再考を要す。
・季節がわかる描写があると没入感が増す。温度や湿度等、五感を刺激する描写を入れるべき。
・「左様。あれは闇夜に独りでに動き、斬る。それを斬れ」←このセリフは収まりが悪い。斬る、と斬れ、が近すぎるせいと思われる。
・試しとして月の満ち欠けを訊いた側が障子戸を開ける(=月齢を確認する)必然性がない。せめて一息に引き開けるのでなく、驚いた聞き役が震える手でじわじわと障子戸を引き開け、それにつれて月光が差し込むくらいの描写なら違和感は薄れるのではないか。

 これらはあくまで一例だ。氷山の一角のさらに先端に過ぎない。最終的には文字の入れ替え、それこそ文字通り「てにをは」まで議論を交わしていた。
 気づけば、事あるごとに重箱の隅をつつく作業に付き合わせてしまった。つくづく友人には頭が上がらない。大変にありがとうございました。今度一杯奢ります。


◯主人公のカッコ良さ(異能)を際立たせる描写について述べる。
 初稿を読んでもらえば判るが、最初は件の決めセリフだけに頼っていた。それだけでもまあまあ効果はあったようだが、依頼人が「息を呑む」だけではやや印象が薄い。せっかく主人公に異能を持たせた以上、読む側にはその異常っぷりを十全に楽しんでほしい。言い換えると、読まれた方には是が非でも「うわっこいつヤベえ」と思っていただきたい。
 だからと言って、分かりやすく大仰な表現──例えば依頼人に「あ、あり得ぬ。何という冴えじゃ。人のものとは思えぬ……!!」と驚愕の声を上げさせるとかだろうか──を使うのはむしろ逆効果だ。あくまでおれの好みでしかないが、派手な感情描写は読者を白けさせる危険性が高いと常々思っている。感動する(エモーションを揺さぶられる)のは読む側の役目だ。書く側はきっかけを提示するくらいで丁度いい。
 その前提に立った上で、地の文の描写を考える。最初に思いついたのは以下の表現だった。

 やはり盲人には過ぎた問いであったか──兵庫がそう思った瞬間、惣治郎が口を開いた。
「……待宵まつよいか、十六夜かと」
 兵庫の肌がぶわりと粟立った。今の答酬は盲人の域を逸脱している。

 割とよさそうに思えた。しかし、件の友人から次のように指摘を受けた。


 加筆部分「今の答酬は盲人の域を逸脱している」について、主人公の異常性が際立つ一文だと思う。その意味では狙い通りと言って良い。
 だからこそ、この位置に据えるのは勿体ないと思う。この後に最大の見せ場である「月明りのつぶ」云々のセリフが来るが、それに対する感想として配置すべきではないか。盲人どころかヒトの常軌を逸した有様を決めのセリフで開陳する。その後に持ってきてこそ、物語の盛り上がり曲線が自然になると思う。読み手にも「うっわーこの主人公ハンパねぇー」と思ってもらえるはず。

 至極もっともな意見だと思った。この意見をもとに表現を書き換え、最終的に以下の内容になった。


「御屋敷に至るまでの道々、それがしの肌に纏わっていた月明りの粒。その粗さの程を思い返しておりました。望月の如く満遍なく降り注ぐ光なれど、望月に比べ僅かに粒の極めが粗い。故に、待宵か十六夜であろうと見当をつけたのです」

 兵庫は顔色を失った。先の待宵月の答酬といい、あまりにも人の域から逸脱している。
 

 この男ならば。

 これより巧い表現はそれこそ幾らでもあるだろう。だが、これが現状自分がやれるギリギリの到達点だと思えたので、そのまま最終稿とした。
 6月に初稿を書いてから10月の大賞開始日まで、気づけば4ヶ月も一つの作品を練り続けていたことになる。盆栽をいじくるようで楽しかったが、もう一度やる気は(今のところ)ない。


◯大賞開始当日、深夜零時を迎えた瞬間に投下した。ジャンルがジャンルだし広くウケることはないかなと思っていたが、長期間に渡ってスキを頂戴し続けた。
 また、Twitter(現X)でも多くの感想を頂戴した。ピックアップ記事及びマガジンでも目をかけて頂いた。数が多いが全て紹介させていただく。







 シンプルに滅茶苦茶格好いい。かなりクールな作品。のっけから登場する、盲目の剣士。フィクションでは絶対強キャラですし、みんな大好きですよね。伊良子清玄に無明逆流れ。私も大好きです。
 そして、その主役である藤川惣治郎のキャラの立て方がすさまじい。大体剣士の強さを示すなら、10人いれば10人が「剣士が敵を斬り殺すシーン」を描写すると思うんですよ。沢山の浪人をばったばったと切り伏せたり、あるいは、別の剣士と立ち合わせたり、鬼とか妖を退治したりとか、そういう殺しの技を見せることでキャラの格をあげていくのが、武士キャラを書くうえでの王道であり常道だとは思うんですが、この作品ではそんな私の発想の貧困さをあざ笑うように月の満ち欠けを視るというめちゃくちゃオシャンティーな方法で藤川の異形を描いてきます。侍キャラなのに、刀を抜くことなく強さを見せつける。かなりトリッキーな方法ゆえに下手をすれば説得力を欠きかねない諸刃の剣だとは思うんですが、見事に成功させているのがすごい。一発で読者に藤川の凄みを理解させてくるんですよね。
 そして、依頼をされるのは妖刀退治。異形の剣士VS妖刀そのものという、これまたワクワクしかしないマッチアップを提示してヒキ。つ、続きを読ませてくれ……!

出典:逆噴射小説大賞2023個人的感想覚書

これはっ!!!! 剣士フェチの私としてはもう、たまらない設定です。
もはや人とは思えない研ぎ澄まされ過ぎた感覚を持つ盲目の剣士の戦いを私は見たいです。

出典:[逆噴射小説大賞2023] 勝手にピックアップ&ライナーノーツ的なやつ

 Twitterの紹介ツイートは数が多いこと、またリンクを貼っても上手く表示されないため貼るのを断念しました。誠に申し訳ございません。
 R6.1.3 X(Twitter)及びピックアップ記事の本文を追記させていただきました。

 どうあれ、たくさんの人に楽しんでもらえた事が何より嬉しい。誠にありがとうございます。



 長くなりすぎたので、今回はここまで。
 二作目「セイント」については後編に譲る。