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宗教二世問題を深掘り(共感と違和感)

安倍元総理の事件後、家庭連合(旧統一教会)の報道とともに、宗教二世問題もクローズアップされるようになりました。

私は家庭連合の会員で、祝福結婚をうけました。現在は結婚して7年、子どもが2人います。

なので、宗教二世問題は他人事ではありません。

実際、家庭連合の二世から「大変な話」を直接聞いたこともあります。

悲痛な声をあげている宗教二世と呼ばれる子どもたちの境遇は、たしかに悲惨です。

共感や同情の思いがわくのは当然です。

悲惨な境遇を通過してきた子どもたちの問題を解決し、今後はさらなる犠牲者を出さないように社会が努めべきだという主張に同感です。

そのためには、問題の本質を正しく分析する必要があります。

正しく分析してこそ、効果的な解決策が見えてくるからです。

宗教二世といわれる問題に関する報道やSNS上のコメントなどを見ていて、私はかなり違和感があります。

「問題の本質」を見誤っていると思います。

ここでは、宗教二世問題に対する違和感と、問題の本質についてご説明します。


宗教二世問題に対する違和感

メディアやネット上でみられる宗教二世といわれる問題に、僕は違和感を覚えています。

なぜ違和感を覚えるかといえば、多くの批判は宗教の教理や教団組織にばかり注目しており、問題の本質がズレていると感じるからです。

宗教二世問題を「親から子への信仰継承の有無」という視点でみると、よくわかります。


信仰継承と宗教二世問題

宗教二世問題に関する報道やコメントを見ていて、僕は以下の疑問を感じました。

  • ①信仰を継承した二世と、継承しなかった二世。その違いが生まれる要因について、専門家やコメンテーターはちゃんと分析し理解しているのか?

  • ②家庭連合(旧統一教会)は洗脳集団とまで悪く言われていたが、どうしてわが子を洗脳できないのか?(他人を洗脳するよりも、わが子の洗脳って簡単な気がするけど・・・)信仰継承と洗脳の関係性を、家庭連合を批判する専門家はどう理解しているのか?

  • ③宗教以前に、多くの家庭が抱える深刻な「家庭問題」に日本社会は向き合えているのか?

今回は①と③あたりについて書いてます。②の洗脳については別の機会に紹介します。


親子の決定的断絶

いわゆる宗教二世問題とは、「親は信仰者だが、子どもは信仰を継承しなかった」というケースです。

親と子の間には、核心的な価値観において決定的な断絶があります。

子どもが断絶を選択したわけです。

では、どうして子どもは親との価値観における断絶を選んだのでしょうか?

彼らの本音は「宗教がイヤ」という前に、親に対する不満があります。

ここには決して小さくない、愛着の問題が存在します。


身近な存在が与える影響

親がある宗教を信仰していることで、子どもが「自分の人生がめちゃくちゃになった」と感じているケース(A)があります。

一方で、子どもが親の信仰に誇りを持ち、幸せを感じているケース(B)も私は家庭連合のなかで見てきました。

両者(AとB)において、宗教の教理は同じです。
なので、宗教二世といわれる問題の根本要因は宗教の教理にあるわけではないです。


「教団のあり方、現場の責任者の良し悪しが両者(AとB)の違いを生んだ」という可能性についていえば、全くないとはいえません。

以下で紹介されている環境は本当に悲惨ですね。

ここで登場する女性の境遇を思うと、教団や現場の責任者の問題点を指摘されても仕方ありません。。


しかし、こういう例はかなりまれです。

私は家庭連合(統一教会)会員を20年以上やっていて、大なり小なりひどい話を聞いたことがありますが、ここまで悲惨な話は初めてです。

ただし、この記事を読んでも思います。

「こんな境遇でも、親は子どもの気持ちに寄り添って、もう少しでも子どもを守ってあげられなかったのかな・・・」と。

現実的なことをいえば、この女性はいい経験もたくさんしたはずなんです。親がしっかり守ってあげられていれば、当時のいい思い出のほうが心に強く残ります。「食べ物が少なかった」などの環境も前向きに捉えて、振り返れば「笑い話」ということもあり得たはずです。

私自身、過去に「壮絶な環境」を多少経験したことがありますが、とてもいい体験として記憶しています。

前向きに記憶できたのは、ものすごく前向きに捉えている方が身近にいたからでした。「あ、そういうふうに捉えるんだ」って、「ONE PIECEのルフィみたいですごいな」ってとても感化されたのをよく覚えています。

幼い頃の「壮絶な環境」がどんな記憶として残るのかは、身近にどんな存在がいたのかが決定的に重要だと思います。


家庭連合会員は知ってる

家庭連合内で、「なぜ信仰の継承に失敗したのか」という科学的な調査をやった人はいないと思いますが、だいたいみんな、肌感覚でわかっていますよ。

宗教二世と言われる問題の本質について、家庭連合会員はだいたいわかってるんです。

「親から子へ信仰継承ができるかできないか」において、断言できることが一つあります。

夫婦関係が良好で、親子関係も良好なら、信仰は確実に継承されます。

これは、発達心理学の観点をふまえてもいえることです。

ご参考までに、児童精神科医の渡辺久子先生の著書を引用します。

 親が親として、そして一人の人間として、その力量を子どもに真正面から問われるとき-それが思春期です。
 思春期は親子にとって試練の時期です。その時子どもは、三つの問いを親に突きつけます。
一、お父さん・お母さんは私の存在のよりどころであってくれたか?
二、お父さん・お母さんは私という一人の人間を認めてくれたか?
三、お父さん・お母さんは私がぶつかっていくに足りる、すばらしい人生の先輩であるか?
 この問いを子どもは子どもで、それまで生きてきた全人生の実感をかけて真正面からぶつけてきます。親はこの問いにしっかり答えることができるでしょうか。
 しっかり答えてもらった子どもは、親を信頼し、誇りに思い、自分に自信を持って、親をモデルに立派な大人へ成長していきます。しかし、納得する答えが得られないとき、子どもは親に失望し、モデルを得られないままいろいろ苦労して、大人への成長の手がかりを探り続け、不運な場合には道を踏み迷うことになります。
 子どもは、思春期になってはじめて突然親に向き直って問いかけるわけではありません。実は子どもは生まれた時から、無意識のうちに、いつもこの三つを親に問いかけながら生きているのです。そして、子ども時代の総決算である思春期に、子どもはその最終的な答えを求めてくるのです。(中略)
 この三つの問いかけに、子どもが幼い頃からいつも誠実に答えてきたお父さん・お母さんは、思春期になった子どもから、信頼という、うれしいプレゼントをもらうことができるのです。この子どもからの信頼こそ、本当の親の権威と言えるでしょう。

『子どもを伸ばすお母さんのふしぎな力』


親子関係が良好なら、基本的に子どもは親が好きです。

さらに夫婦関係も良好であれば、子どもは親が大好きだし、親を尊敬します。

渡辺久子先生が指摘されるように、思春期になった子どもから「信頼」を勝ち取ることができれば、信仰は継承されるんです。すごく単純な話です。


宗教二世問題にみられる問題の本質

宗教二世と言われる問題を聞いていると、「親が子どもへの過干渉やネグレクトを行うことで、子どもの自尊心を強烈に傷つけた」という共通した事実がみえてきます。

上記のNHKの記事の中で、「相手(母)は話が通じない、カルトに洗脳された大人なんです」という娘さんの発言がありますが、これは正確な分析ではありません。

親が信仰を持っていても、子どもの話を聞きます。私もできるだけ、子どもの話をちゃんと聞くように努めています。

親が子どもの話を聞かなかったのは宗教や信仰の話ではなく、「子どもに対する関わり方」が適切ではなかったという話になります。


日本社会では珍しくない問題

戦後の日本社会では、子どもの自尊心を傷つけるという「不適切な関わり」が少なくありませんでした。

昔よく見られた「鍵っ子」はネグレクトに当てはまります。

日本は最近まで、「体罰は決してすべきではない」という声よりも、体罰を容認する声が多かった国です。昔は家庭内だけでなく、学校内でも体罰が当たり前でした。

最近では体罰やネグレクトは減ったのかもしれませんが、子どもに対する過干渉は増えていると思います。

子どものいたずらを目にすればすぐに「やめなさい!」と声をかけたり、子どものちょっとした失敗に対してもきつく注意をしたり(子どもに失敗はつきもの、たくさん失敗しながら学んでいくのが子どもなのに)。


宗教二世といわれる問題に話を戻します。

以下では、家庭連合ではないですが、別の新興宗教の二世として、悲痛な声をあげていらっしゃる方が紹介されています。


親のいきすぎた過干渉、体罰、虐待。

ここでは、親の子どもに対する関わり方が不適切どころか、異常になっています。多くの場合、親の心に余裕がないことに原因がありますが、親自身の生育環境などが深く関わっているため、複雑な問題です。

こういうケースは、日本社会で決して珍しいケースではありません。

たとえ宗教をやっていなくても、子どもの自尊心を傷つける可能性は高かった」という現実に目を向けるべきだと思います。


山上家も機能不全家族

安倍元総理を銃撃し殺害した山上容疑者。

彼の母親は度が過ぎたネグレクトでした。
母親自身も、夫からかなりひどい暴力を受けていました。

このような家庭を「機能不全家族」といったりします。

家族機能が機能不全になっている家族。

家族機能とは、

  • 心身ともに未熟な子どもを守ってあげる

  • 夫婦はお互いを補い合って、助け合う

  • 家庭内ではみんなが安心・安全を感じてくつろげる

などがあげられます。

家族機能が機能不全になっている家族って、日本でどんどん増えていませんか?

問題の本質はここにあります。日本社会が抱える深刻な問題です。


まとめ

宗教二世といわれる問題は宗教云々以前に、日本社会に広くみられる「子どもに対する不適切な関わり方」の問題であり、親が「子どもの自尊心を傷つけた」ことに問題の本質があります。

宗教をもつ家庭において、信仰の継承がうまくいくケース、いかないケースを比較・分析・検証すれば、宗教の教理や教団組織の問題ではないことは科学的に明確になると思います。

家庭連合内で、親から子への信仰継承の成功例・失敗例について十分に検証した人はいないと思いますが、みな、肌感覚でわかっています。

問題の根本は親子関係にあり、決定的に重要なのは夫婦関係です。

宗教二世問題というカテゴリーを作って、「カルト宗教が問題」「統一教会は反社会的団体」というように家庭連合の教理や教団を批判しても、根本問題は解決されません。

宗教二世といわれる問題は何も宗教に限った話ではなく、日本社会に蔓延している問題。子どもの自尊心を傷つけるという、広い意味での「子どもの虐待問題」です。


機能不全に陥っている家族は、日本においてどんどん増えています。

日本社会は子どもの発達に寄り添うよりも、大人の事情や欲望を優先する社会だと僕は感じています。問題の本質はここにあると僕は考えます。

繰り返しますが、「宗教二世問題」などというカテゴリーを作って熱心に報道したり、SNS上で激しく家庭連合を批判していても、日本社会が抱える闇は解決しません。

日本を、子どもの発達に寄り添う社会に変えていくことこそが根本解決だと僕は思います。


補足:献金について


私は家庭連合会員を20年やってますが、「献金のノルマやプレッシャーがすごかった」などを経験したことがありません。なので実際にそれがあったかどうかも含めて、よくわからないところがあります。

つらい幼少期を過ごしてきた元二世の話を聞いていると、教団にも問題はあったと思わざるをえないですね。。

ただ、私の肌感覚でも、2000年代と2010年代では家庭連合がいい意味で変わってきたと感じています。

苦しんできた二世や三世に対して「過去は水に流して」というわけにはいきません。

教団としては彼らの目線に降りて、しっかり話を聞く必要があると思います。


最後に、、

「家庭は宗教に先立つ」と僕は考えます。

家庭あっての宗教のはずです。

本来は、(言い方は微妙ですが)宗教を利用することで家庭がよくなるべきです。「宗教によって家庭がおかしくなる」ということがそもそもおかしいと僕は思っています。

家庭連合の教理は本来そうだと思います。宗教の延長に家庭があるのではなく、家庭生活から宗教が出てくる、家庭生活の中にこそ宗教があるという理念のはずです。


個人でも家庭でも組織でも、「理想と現実」の間にギャップはつきものだと思います。

今回の件を通して、家庭連合の自己変革がより進んでいくと思います。そんな気配は感じてますよ。




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