見出し画像

玉子焼きが焼きたくて食事を自分でつくる楽しみに目覚めた夫

2カ月ほど前から暮らしの習慣を変えました。

まず、寝室を別々にし、食事を一緒にとることをやめ、入浴もそれぞれごとに湯を入れなおしすることに。ちょっとやりすぎな気がしないでもないけれど、呼吸器の持病があるので夫は快く理解してくれました。

感染予防のために変えた暮らしの習慣。
これには思わぬ副産物がありました。夫が料理をするようになったのです。

仕事の関係で単身生活を長く経験していたので掃除と洗濯はできるのですが食事は外食。そのため料理だけは手をつけていませんでした。
料理をするようになったきっかけは玉子焼き。

寝室を別々にしたことでそれぞれが好きなテレビをみるようになり、夫は溜まりにたまったビデオ(すっごく昔に録画していた探偵ナイトスクープ)で「玉子焼きを自分で作りたいけど出来ない」という人が出来るようになるのを見て、そんなに難しいんかなぁ、と玉子焼きを作ってみたいと言い出し、作ってみたら……見事に出来ず。

そして、「玉子焼きが出来るようになりたい!」と、じぶんで作るように。あーだ、こーだと言いながら何度も、何度も繰り返し、かれこれ一カ月くらい毎日のように玉子焼きを焼いていました。卵が冷蔵庫にないとわかると自分で買いに行くほど熱中。

そして、見事な玉子焼きが焼けるようになり、いまや「だし巻き卵」もお手の物となりました。そうなると、出汁や醤油などに興味を持つようになり料理への探究心が高まっていきました。

いまは、毎日のお弁当を自分で作って持っていくようになり、
このnoteを書いている今、18時15分、夕食は夫が準備しています。

画像1

感染予防のために変えた暮らしの習慣での思わぬ副産物。
じぶんの役割が減ったことで更に自分の時間が増えた嬉しさみたいなものも感じたけれど、それよりも「自分がいなくなっても大丈夫」との安堵のほうが大きかった。「コロナウイルスのおかげ」なんてとても言いたくないけれど、万が一、じぶんがいなくなったらと考えたことは事実であり、そういうことを考えることがなければ安堵することもなかっただろうと思うと、ひとつの大きなきっかけだったことは間違いない。

生活の小さなことが全て「じぶんの暮らしをつくることになる」と考え、丁寧に、そして、お互いに楽しむことを心がけて生活している。
わたしにとって、忙しくサラリーマン仕事をしている夫がじぶんの暮らしをつくることにつながる「生活の楽しみ」を見つけた意味は大きい。

いまの毎日の中で生活のいろんなことを楽しんで生きたい。
noteも楽しみのひとつです。

たけまるでした。(^-^)/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?