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幸せに気付くヒント・・・!

私はここのところ「こころ」の持ちかたについて考えます。

あ、別に新しい宗教に入った訳ではないですよ。

あああああ、別に古い宗教にも入ってません。

自分の離婚や父の亡くなったとき、私が病気で倒れたときなど・・・どこで調べたんだろうと思うくらい凄いです。

普段は声も掛けない近所や同級生などなどを初め、次々現れる・・・・

先祖の霊を大事にしないからは、ま、まだ分かる。

先祖と縁を切ることが大事・・・

訳分からんです。

父が亡くなった時も様々な宗教団体から、こちらにすれば攻撃を受けたために、もし、自分でも母でも宗教を始めたら、別々に住むことを二人で話し合い決めました。

私が倒れたときも「私は宗教を始めたら、息子と一緒に住まんと約束しちゅう。それでも、いいなら薦めてください。」

母が強く言ったそうです。

こう言うと薦められず帰って言ったそうですが、こういう母に、それでもしつこく迫った、私の昔の知り合いがいたのは、本当に許せませんでした。

いつも思いますが、神様は「拝む人」と「拝まない人」というか、「大事にしてる人」、「大事にしてない人」とか、もっと言うと、「良い人」、「悪い人」と人を選ぶことはないと思ってます。

この人は良く信心してるから幸せにせんとと、いうような神様はいないと思いませんか?

昔、テレビで青春グラフティ「福沢諭吉」と記憶しているが、定かでない。

福沢諭吉 中村勘三郎

坂本龍馬 武田鉄矢

龍馬が追っ手に追われて逃げる時に、刀をほったらかして逃げてて、諭吉に「武士の魂を何たることだ。」と叱責されると「わしの魂は刀でなくて、ここにある。」

そう言って、左胸の前に握りこぶしを作る。

この言葉というか行動が好きです。

また、30年ぐらい前にある先輩から「神様を拝む時にお願い事をしゆうろう」と言われ「もちろんよ」と答えた。

先輩は「神様には、ありがとうとお礼を言うもんぞ!」叱られました。

その時には、そんなもんかなあ?と思いましたが。

今ではこの言葉が実感です。

特に今日も生きてることに感謝です。

今では散歩の時に立ち寄る氏神様や我が家の先祖に手を合わせるときも、「お願い」ではなく「ありがとう」を心掛けています。

 
『幸せは探すものではなく、気づくものだと思います。』

こんな言葉と本かメールで出会いました。

きっと幸せはすぐ近くに、すぐそばにいつでもいるのではないかと思います。

それを気付かずにあちこちを探し回っているのではないかと思います。

すぐ近くの先輩や友人・仲間に「幸せに気付くヒント」を毎日のように貰っています。

最後まで読んでいただき感謝です!

今日も元気と笑顔で頑張りマス(^-^)/


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