【親に「生んでよかった」と思ってもらえるひとになりたい】

時には、思ったことをつらつらと。

「両親が、((わたしを生んでよかったな))、と思えるように生きていきたい。わたしを生んだことを恥じないような人間になりたい」
と思いながら、生きている。

別に日がな、こんなことを思いながら生きているわけではない。
たまたま、昨日パーティーでボスが、締めの挨拶のときに
「せっかく生まれてきたのならば、俺の両親の名前は○○と○○だけど、ふたりが俺を生んでよかったな、育ててよかったな、と思うような人間になりたい」というような主旨のことを言っていたのが、たまたま頭に・心に残っていただけかもしれない。

幸せなことだと思う。
わたしは、両親が好きなのだ。


さて、今は「昼はライター、夜はバーテンダー」などと、口では大きなことを言いながらもその実たいした成果も成し遂げられていない現実に焦りつつも、お気楽に日々を生きているわたしであるが、
それでもこのところは、ここ10年間、いやもっと言えば15年間ほどで、最も幸せな日々・時期のひと流れを歩ませてもらえているなぁ、と感じる。

それでもときたま、「学歴の無駄遣い(笑)」「いい歳して」などと言われることもある。
別に、全然気にしていない(いや、嘘、歳の話のほうはいろんな意味でちょっと気にするかもだけど。笑)。
人によってこういう価値基準って違うし、自分なんかよりもっともっと凄い人たちだって、そしてあるいは同じように悩んでいる人たちだって、きっと周りにはたくさんいるので、
大体「コミュニケーションのひとつだな〜」と思いながらも右から左に受け流してるのだけど、

それでも、ときたま両親に対して、((申し訳ないな))と思ってしまうことがある。
思えば中学の頃は高い学費がかかる塾に通わせてもらって、学校こそ高校までは公立?だったけれど、高校でも少し塾には通わせてもらっていたし、大学はわたしの希望する私立に、けっこう長いこと通わせてもらった。

けれど、今でも、未だに
大手企業でめちゃめちゃ出世するでもなく、それでいて「フリーランス」として自分の名前で身が立つほどめちゃめちゃバリバリやれているわけでもなく、
すこぶる、((中途半端だな))とも思う。
お父さん、お母さん、ごめんね、と。

でもね。
わたしは今、ここ人生半分くらいの年月を遡って考えてみたときに、一番幸せな時期の中にいるな、と感じている。
十分な稼ぎはないかもしれない。人生の様々な要素それぞれにおいて、「一番充実していた時代」と比べると、それぞれ、ひとつひとつの要素では劣るかもしれない。
でもね。総合的に。

実のところ、わたしは、鬱の時代が長かった。
高校はあまり雰囲気が好きじゃなくて(笑)2年生からほとんど通っていなかったし(そのわりに、文化祭とかがんばったけど。笑)大学は、体調のいい時期と悪い時期とを繰り返して、学生生活を思う存分にたのしみながらも、酷い時期は毎日がすこぶるしんどかった。(※矛盾していることを書いているかもしれないけれど、でもそんな時期だった)

毎日朝目が覚めるたびに、「モヤ〜ン」としたカーテンのような、オーロラみたいなものがわたしの脳内を覆って、そっから再び眠りにつくまで人生を終えることしか考えられなかった日々を知っているから、
今、「何があっても、 ((死のう))と感じることはないだろうなー」と思える日々が、とっても幸せ。

叶えたい夢を叶え切ったとは全然言えなくても、
周りと一般社会常識的に”敢えて”比べて、その社会的な地位や資産が全然足りなくても、
「生きてるだけでまるもうけ👌☀️」みたいな、
なんか底抜けに明るい、ちょーちっぽけなんだけど鋼の芯みたいな強さのある、自己肯定感?みたいなものを感じたりもする。


そんなわけで、
お父ちゃん、お母ちゃん、ありがとう。
((生んでよかったな))、育ててよかったな、と思える娘になれているかは、まだ到底わからない。社会的に見たら、まだ全然立派なことも何も成し遂げていないし、
恥の多い人生だったし、
まだ全然そんなんじゃないと思う。
迷惑かけた人も傷つけた人も、たくさんいる。恥ずかしくて、顔向けし難い人も。

それでも今日々を、たまに悩みながらも総合的に幸せで、笑って幸福感を噛みしめながら生きていられている。

端的な言葉ですが、ありがとう。
そして、わたしが親なら、((生まれてきて、よかった))とその子自身が思える子に、きっと育てたい。

長い目で、社会的にも恩返しができたらと思うけれど。

今日のところは、ひとまずそんな風に思うのでした。


そんなことをつらつら考えながら遅すぎる朝食を食べていたら、(※今は実家に戻っている)
母親が、「スイカあるよ」と一口切りのスイカを出してくれた。
目にして、香りをかいで口にした瞬間に、
なんか今日は、ふわっと、幼少期、たとえば小学校時代の夏休みあたりの感覚が、蘇ってきたような気が、一瞬した。
その瞬間、なんだか胸のすみっこがあたたかかった。

幸せな幼少期を過ごせてきたのだと思う。

両親へ。本当にありがとう。
今に至る日々を。

(おしまい。)

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