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 ずっと、髪を染めるという考えがなかった。

 高校3年生、公募推薦で大学受験に合格し人より早く受験勉強から逃げ出した私は、母親に土下座する勢いで頼み込んだ。
「どうか縮毛矯正をかけさせてください」
 渋々……というか結構怒られた気もするのだが、最終的に親は私の髪に1万円もの多額を投資して縮毛矯正を当てさせてくれた。

 放っておけばチリチリウネウネになるこの天然パーマの地毛は、私の最大のコンプレックスだった。
 親は「パーマ代がかからなくていいのよ」なんて呑気に笑っていたけれど、私はサラサラロングヘアにずっと憧れていた。
 天然パーマかつ剛毛な私が髪を伸ばすと、どうしても清潔感が損なわれる。当時はヘアケアの方法なんて1ミリも知らなかったので当然のことかもしれないが、いつも父親に「みっともない!髪を切れ!」と怒鳴られていた。
 そんな経緯もあって、私は自分の髪が大嫌いだった。

 もちろん、いじめの対象にもなった。「陰毛」などと品のない言葉で揶揄される。廊下で遠くからその単語が叫ばれる。ああ、私のことを言ってるんだなと気付きながらも、知らないふりをして友達と話し続ける。クスクスと周囲の笑い声。
 いま思い返しても碌な思い出ではない。

 だから、親にどれだけ小言を言われようと、絶対に大学生になる前に縮毛矯正を当てると決めていた。

 それで、縮毛矯正を当てて、私の髪はぴたりと大人しくなった。
 ただ、そこで終わり。ヘアカラーまで手を伸ばすことをしなかった。

 学生の頃は、縮毛矯正を当てるだけでお財布がすっからかんになっていたし、そもそも髪が傷んでいてその上にカラーできるような状態でもなかった。
 黒髪の自分のことも、いま思い返せばそこそこ気に入っていた。大学1年生になった時、似合う・似合わないはお構いなしにただただ明るい髪色にし出す同級生を眺めて、絶滅黒髪少女でいることにアイディンティティを見出していたのかもしれない。

 髪を染めたのは、社会人になってからだった。

 その時の理由もネガティブなものだった。当時恋焦がれていた先輩から「お前は子どもっぽいからな」と一刀両断されたのがきっかけだった。
 私は前述の通り自分の黒髪がそこそこ好きだったし、あえて選んで黒髪でいたところもあったはずだったのだが、当時の私は「子どもっぽい」原因をすべて黒髪に擦りつけた。

 人生初のカラーリングは、古い価値観の親(特に父親)にバレないように、黒髪を活かしたグレージュというやつにした。
 初めて染まった髪は、美容室のきれいな鏡で見せてもらっても、家の曇った鏡で確認しても、あんまり地毛と大差ないように感じた。
 だが、それでも良かったのだ。ひと知れず大人の階段を登ったことを、私だけが知っている。よくよく見ればまったくの黒よりは透明感もあるような気がする。それくらいで良い。


 当時、私は自分の髪について他人からの意見ばかり気にしていた。天然パーマを笑う声、髪を染めるなんぞ不良のすることだと決め付けて叱る親、勝手に人をジャッジして気持ちよくなっている先輩。それらの声を払拭するために私は髪を染めた。

 それから数年が経ったいま。
 2ヶ月に1度、決まった美容室で髪を染める。PinterestやInstagramのスクリーンショットを持参して、あんな髪色やこんな髪色にしてみたい、と伝える。
 もちろん、仕事上の縛りというものは多少はある。それでも季節によって、例えば春は少しピンクを入れて明るくしてみたり、冬は寒色系を入れて透明感を出してみたり、楽しむバリエーションが増えた。

 そうすることで、私は自分の気持ちを切り替えて新しい髪色・新しい自分で向き合うことができる。ある意味のリセット術のようなものになっている。


 髪色は自分の今を表す色。ネガティブな自分を解放するためのものでもあり、誰のためでもない自分を愛するための行為なのだ。

#髪を染めた日

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