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拝啓 ナタリア・テナ様

拝啓 ナタリア・テナ様 
   および 貴女を必死に追いかけていた、学生のころの私へ

 小学校のころ、わたしはハリーポッターの世界にどっぷりと浸かっていた。分厚い本をランドセルに押し込んで、同級生と競うように物語を読み進めた。新聞紙を丸めて魔法の杖を作っては、呪文を唱えてぶんぶんと振り回す。ノートにびっしりと書き溜められた、登場人物の名前。
 親はよく「その熱量を勉強に回してほしいものだわ」と言ったが、算数の公式を覚えられなくても、ダンブルドアのフルネームがアルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアであることを知っているような子どもだった。

 当時のわたしより少し年上のハリーは、第一子の私にできた架空のお兄ちゃんだった。自分より少し先の人生を歩んでいるハリーは、大切なことをすべて教えてくれた。学校生活のいろはも、恋愛のもどかしさも、親愛なる人の死をどう乗り越えるかも。

 だからこそ、当時のわたしは物語の終わりを受け付けなかった。
『ハリー・ポッターと死の秘宝』下巻を読み終わった後、わたしはいっさいハリポタ関連の情報を追わなくなった。当時にきちんと最後まで読み進めたかすら曖昧だ。映画のDVDは親が買ってきたまま、ビニールさえ解かれないまま本棚にしまい込まれていた。
 自分の生きていたもうひとつの世界が崩壊する様を、幼いわたしは受け入れることが到底できなかったのだ。

 その呪いを自分で解いたのは、こともあろうに高校3年生の受験期だった。
 金曜ロードショーで一挙公開というニュースをTwitterで見て、わたしは慌てて家に帰りプレイヤーにディスクを読み込ませた。かつてホグワーツで育った身として、不特定多数の視聴者――マグルたちとともに地上波で物語に幕を下ろしたくはなかった。

 そうして、わたしの中でのハリポタは一度終わり、また、もう一度始まった。
 そのタイミングで出会ったのが、ナタリア・テナ演ずるニンファドーラ・トンクスだった。

 小学生だったころわたしは(おそらく当時の同年代読者女子諸君の例に漏れず)シリウス・ブラックとリーマス・ルーピンのことを愛慕していた。
 それが、思春期になって再度大鍋のふたを開けてみたところ、シリウスの従姪でありリーマスの妻となるトンクスに、うっかり恋に落ちてしまったのだ。

 ナタリアが命を吹き込んだトンクスは、原作で描かれている魅力が最大限に強調されていた。きっと彼女の演技に出会わなければ、トンクスをここまで好きになることはなかっただろう。チャーミングで、お調子者で、いつでもみんなの笑顔の中にいる。少し大人びたハスキーボイスに、戦闘シーンでは息をのむほどに強くたくましい。
 トンクスはすぐにわたしのあこがれになった。

 そんな大恋愛をしておきながら、無事に大学受験を通過し、アルバイトを始めると幾ばくかの自由なお金が手に入るようになる。わたしはそれをガリオン通貨に換金し、ホグワーツに通うための制服一式をそろえていく。
 ちょうどタイミング良く、大阪はユニバーサルスタジオジャパンにホグワーツが建つというじゃないか。ハッフルパフのローブを身にまとったわたしは、プリンターというマグルの機械を駆使して入学許可証を自作し、夢にまで見たホグワーツに「自力で」入学をした。

 それからというもの、わたしの人生は再び魔法界でも時を刻み始める。二次創作をしたり、イベントに出かけたり、ハリポタを通じて魔女・魔法使いのお友だちが沢山増えた。大親友と呼べるような存在と出逢えたのも、このジャンルのおかげだった。(彼女はクィリナス・クィレルの夢女子をしていて、わたしと一緒にバカなことをやってくれる最高の親友だ。わたしと一緒にユニバへ行くといつも双子と間違われるほどには仲が良い。大人になったいまも変わらずに大切な存在であり、会えば当時と同じ熱量で語り倒すことができる)

ホグワーツ生としてユニバに年40回通っていたころの親友とわたし。大阪住まいのわたしと違い、北海道から通っていた彼女は今考えると非常にクレイジーな女だったが、我々は若かったので当時追っかけていたハリポタエリアのショーのみを観て、推しに手を振られては一喜一憂し、乱れる情緒はジェットコースター並なのにライドにひとつも乗らず帰るという奇行を繰り返していた。
ハリポタを日本へ運びこんだ翻訳家・松岡女史にサインを書いてもらうわたし。静山社のホグワーツ友の会のハロウィンイベントだったと記憶している。
大学で出会った友だちと卒業旅行で渡英。今は東京にできたWBスタジオツアーも当時はイギリスに行くしかなかった。推しジャンルの聖地巡礼に金がかかると嘆いていたころの話。


 それもこれも、すべてナタリア・テナが演じたトンクスのおかげなのだ。

 そして、トンクスに恋をしたわたしは時を同じくしてナタリア・テナにも恋をする。もっと彼女を知りたい。あまり情報の多くない彼女のWikipediaを暗記できるくらいまで読み漁る毎日だった。
 彼女が出演しているほかの作品にももちろん手を出した。「アバウト・ア・ボーイ」「ミネハハ 秘密の森の少女たち」……個人的にいちばん好きな映画だったのは「One Night,One Love/ワンナイト、ワンラブ」だった。

 予告にあるとおり、ロックフェスを舞台にした恋愛映画で、ストーリーはまあよくあるような話ではあるのだが、何より音楽が良かった。
 俳優ナタリア・テナのもうひとつの顔、それがミュージシャンだったからだ。

 アコーディオン・ボーカルという珍しいポジションで、男5人を率いて紅一点。ハスキーなのにかわいいナタリアの歌声と、ストリングス・トランペット・アコーディオン・ギター・ドラム・ベースが織りなす音が心地いい。
 わたしの学生時代のBGMはほとんどMolotov Jukeboxだった。
 このバンドについて語り始めるとおそらく3年くらいは必要なので割愛させていただくが、ぜひぜひ聴いてほしい。


 そんなこんなで、ナタリア・テナという人間をすっかり愛して10年ほど。Molotov Jukeboxの新曲は出なくなったし、ナタリアが出演しているというだけの理由でゲームオブスローンズを追うのは流石に骨が折れるのでやめた。
 あとはたまにSNSに流れてくるナタリアの近況から、彼女が元気で生きていることに安堵し、よろこぶだけの毎日。
 そう思っていた。


 11月、在宅勤務の合間にのぞいたTwitterのTLが騒がしいと思えば「ナタリア・テナ来日」の文字。思わず携帯を投げそうになる。いや、投げた。叫びもした。
 そこからコミコンのチケットを取り、会社に掛け合って有給を勝ち取り、美容院に駆け込み、気づけばわたしは幕張メッセに突っ立っていた。

 持っているチケットは3枚。写真撮影2枚とサイン1枚。コスプレ登録代を支払ってローブを身に纏い、持ち物検査を通過して喧騒の中に入っていく。

写真撮影可能のアナウンスがあって撮ったやつです。笑

 まず、トークショーのステージに出てきたナタリア・テナを見て泣く。ナタリアが実在しているということに驚き、泣く。喋っているという事実に、泣く。

 それから、トークショーが終わってすぐに撮影ブースに移動。コミコンの洗礼に早速遭遇し、誰もいないエリアに案内されたり色々さまよってなんとかたどり着いた先に、ナタリアはいた。

撮影1回目。

 ブースに入ると、ナタリアが立っていた。ずっと画面越しに見つめていたあの笑顔で。
 黒のワンピースに花柄の刺繍が施されていて、ナタリアはやっぱり花が似合うなと、余裕のない脳みそをフル活用させてそんなことを思っていた。

 わたしのローブを見て「ハッフルパフ!」と声をかけてくれて、彼女から握手の手が差し伸べられた。事前に伝えようと思っていた言葉はなにひとつ出てこず、簡単なあいさつしか言えなかった。
 肩を抱かれ、パシャリと1枚。目を見るのに必死で、ちいかわのように「ワッ……ワッワッ……センキュー」と言いながらブースを後にする。
 ちなみにこの英語版ちいかわ仕草を、この後のブースでも毎回繰り返した。ポンコツである。

2回目。わたしのポーズを見て指ハートしてくれたナタリア。

 1枚目の余韻もそこそこに、2枚目に並び直す。ただでさえ最初のスタッフの誘導ミスで、1枚目を撮ったのが遅かったから、間に合うかギリギリで焦った。
 2回目にやってきたわたしを見て、彼女は少し驚いた顔をしつつも「Thank you for coming to see me!(わたしに会いにきてくれてありがとう)」と言った。

 ……わたしに会いにきてくれてありがとう?
 この言葉にわたしの頭の中は再び真っ白になる。会いにきてくれてありがとうだって? そんなの、こちらの台詞なのに。
 わざわざ海を渡って、長時間のフライトに耐え、こんな島国まで来てくれて、なおかつ写真撮影やサインなど3日間ぶっ続けでファンへの対応をしてくれるなんて。
 会えるわけのない人だと思っていた。恋焦がれるほどに遠い存在であると思い知らされ、会うためには自身が渡英しなければならないと思っていた。

 なのに、彼女はあの華やかな笑顔で「会いに来てくれてありがとう」と言ったのだ。

 そしてその言葉をサインにも残してくれた。(もちろん他の方にも同じように記載しているかとは思うが)わたしにとってこの言葉がどれほど重く、どれほど宝物のように見えたか。

サインを終えた後、家族のLINEに大げさな報告をしていたら、75歳の父親が意味もわからずにあわてていて面白かった。さすがに人生がしんどくて死にたくなった時にラオウのセリフを吐くような娘ではない。


 そしてサインを終えたあと、本来であればそれで帰る予定だった。
 だが、サインのブースに記載があった「サイン用のチケットでセルフィも選択いただけます」の言葉に惹かれ、結局サイン用のチケットを買い足した。

距離近すぎ問題

 友だちとでもなかなかこの距離では撮らないぞ、というレベルの近さでセルフィを撮る。数枚撮る。いまこの瞬間にぶっ倒れてもいいというくらいには心拍数が跳ね上がり、血圧も上昇していただろう。
 本当に本当に夢のようだった。


 すべての撮影を終え、結局彼女に伝えたかったことは1ミリたりとも伝えることができなかった。己の英語能力の低さ、テンパり具合を呪った。
 しかしそこは事前対策済みのてんさん。まぁそんなこともあろうかと、事前に激重の手紙を添えたプレゼントをボックスに投函していたのである。中にはローブを着てはしゃいでいるわたしの写真も同封されている。
 ああ、こんなやつがいたな、こいつはわたしのファンなんだな、と思い出してくれたらそれでいい。


 長くなってしまった。オタクというものは、語り出せば止まらなくなってしまうのが玉に瑕だ。


 ナタリア・テナ様
 ほんとうに、日本に来てくれて、わたしたちファンに会いに来てくれてありがとう。
 きっと、一生大好きなあこがれのままです。
 SNSから溢れ出してくる、仕事と酒と音楽と犬をこよなく愛するあなたの生き様が、大好きです。あなたのように生きていきたいと、強く願っています。

 これからも、あなたがしあわせで満ち足りた毎日を送れますように。遠い島国から、ずっとずっと祈り続けています。

 てんより、愛を込めて。

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