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わたしはがんにならないかもしれない

「日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬ」と言われて久しい。ところが、本当に2人に1人かというと、男性に限れば、65.5パーセントがかかるそうなのだ。女性については51.2%である。
(2019年のデータより)

大昔とは違って、「がんは不治の病」と一概に言えなくなった。このことは広く知られている。がんにたくさんの種があり、病理組織も、遺伝子異常も、発見されたときのステージも、量も、条件がみな違うからである。そして、がんになっても、そのがんで死ぬとは限らない。

わたしと、家族のがんとの関わりを話そう。わたしが子供のときに、母が甲状腺がんにかかった。中学に上がり、物の分別ができるようになったとみなされてから、母は自分の病気ががんなのだと告げてきた。母は威張っていた。わたしはそのとき、すべてのがん患者は長く生きられないと信じていたので、目の覚める思いがした。甲状腺がんが比較的治りやすいものだとは知らなかった。

母はその後、治っては再発し、治っては再発しを何度か経て、乳頭がんにもなって、いまは「がんが消えた」そうである。あれから30年くらい。母の母は胃がんと診断された。今度はわたしの父が腎臓がん・膀胱がんと傍大動脈リンパ節への転移を告知される。

父の2つのがんについては、それぞれステージ5、ステージ3と聞かされた。ちなみにステージは4が最終なので、「ステージ5」は「ステージ・フォー」の聞き間違いだろう。ともかく、父の人生が末期(余命6か月)なのではないか、「5年生存率」はうんと低いのだろうかと悲観して、わたしは苦しい思いがする。ただ、ステージ4が末期とも限らない。それから「生存期間中央値」を訊いてみたが、知らないという。「生存期間中央値」は、同じ条件の患者100人中、50人目が何年と何か月で死んだかの記録である。この答えによってはわたしの態度も変わってくる。

さて、今後わたしはがんになっても、「信じられない」とは思うまい。女性でも半分以上がかかるんじゃから。ショックと動揺は微々たるものなのではないか。治療生活の苦しみを想像すると、喜んでばかりもいられないが、死が近くなったと考えれば、わたしは軽い足取りで帰宅するだろう。

そんなわけで、早くもがんになる予定である。そうは言っても不確実だ。わたしはがんにならずに死ぬ可能性を半分近く有する。

わたしはがんの治療を受けるかもしれない。厭世家なのに? 土壇場で生きる意欲が湧くことだって考えうる。どんながんを発病するかにより治療の受け方の方針は変わるだろう。例えば悪名高い膵臓がんで、その先10.0か月しか生きられないとしたら、苦痛に満ちた治療を始めるとは思えない。この10.0か月というのが、膵臓がんの「生存期間中央値」である。同がんの「5年生存率」は11.6%とされている。

つまるところ、わたしはどうしても自分ががんになる前提のように物事を考えているのである。がんと知らされたら、過去のいくつかの場面を振り返り、「あのとき死んでいればよかった」と悔やむのではないか。わたしはどんながんを患うのだろう? 体のどこがどんなふうに苦しいのか。そのとき、がんを治したい、生きたいと願い始めるのか?

そうしてがん情報の収集に毎日2時間を費やしては、生きるのが嫌だと嘆いて落ち込む。死ぬのはしょうがないの。みんな死ぬの。わたしはただ、のたうち回りたくないの。つらい思いを続けるのはお断りなの。

ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。