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いにしえの風を感じるハイキング 大和三山と藤原京跡を巡る ♣山と歴史の連なる道♣(0008)

日本最古の都城である藤原京がつくられた地にある3つの山の総称“大和三山”ハイキングコース。和歌などでも取上げられています。

<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも由縁のある山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。
文字数/約7000字(読了/約14分)


香久山の遠景
香久山

「大和三山」
(やまとさんざん)
場所: 奈良県橿原市
アクセス: 近鉄橿原線「大和八木」駅から徒歩


<端緒>

平坦な奈良盆地を眺めると、平野からぽっこりと盛り上がった可愛げな山が目立ちます。それが耳成山、香久山、畝傍山の大和三山です。地図を見てみると意外にそれぞれが近い場所にあり、ぐるっと一回りできそうだなーと思いました。今回、周辺の名所・旧跡も併せて足を伸ばしてみました。

橿原市観光案内図
橿原市観光案内図

<概要>

藤原京を三方から囲むように位置する3つの山の総称。
耳成山(みみなしやま、標高/約140m)
香久山(かぐやま、標高/約152m)
畝傍山(うねびやま、標高/約199m)
藤原京は飛鳥時代の7世紀後半から8世紀初頭まで日本の首都として宮殿が置かれていた(710年に平城京に遷都)。
2022年時点で“飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群”として世界遺産暫定リストに登録。


<登山コース>

今回は近鉄橿原線「大和八木」駅から出発して耳成山へ、藤原京跡を経由して香具山そして最後に畝傍山を登ります。

大和八木駅
近鉄「大和八木」駅
大和八木駅周辺案内図
大和八木駅周辺案内図

「大和八木」駅からスタートです。駅北側の駅前広場からまっすぐ東へ近鉄大阪線の線路に沿って進みます。地下通路を使い国道24号線を越えてふたたび地上に出ます。しばらく歩くと耳成山の姿が見えてきます。その先で線路沿いに直進できないため、いったん左に折れてまたすぐに右の路地に入ります。

耳成山の遠景
耳成山
耳成山の登山口
耳成山登山口
耳成山の解説
耳成山の説明
耳成山の周辺案内図
耳成山周辺図

左前方が開けて耳成山の山体がよく見えるようになります。土の道に入り、進むと耳成山公園にたどりつきます。耳成山は公園の北側に隣接しています。公園に面して耳成山の登山口があります。ここからは2つのルートがあります。一方は耳成山口神社への参道であり直登気味に山頂直下の神社まで上がります。もう一方は耳成山の山体をぐるりと一周するように巻ながら登っていくルートです。今回は神社の参道を上がっていきました。

耳成山口神社
耳成山口神社
耳成山山頂への道
耳成山山頂への道

まずは石段を上がっていきます。すこし登れば土の道となります。5分ほどで神社に着きました。神社には古そうな奉納絵がいくつも飾られておりました。神社の左手に道があり、そちらへ向かうと山頂への道があります。1分ほどで山頂です。山頂は木が生い茂りさほど眺望はありません。

耳成山の巻き道
耳成山の巻き道を道なりに下りる
耳成山からの畝傍山眺望
耳成山からの畝傍山遠景
耳成山登山口に戻る

ふたたび山頂までの登り口に戻ります。神社を背にして別の巻き道ルートで下りていきます。緩やかな傾斜の道です。途中で木立の間から畝傍山が見えました。山の中の森は雑木林という感じです。長らく里山として親しまれてきたのでしょうか。10分ほどで公園に面した登山口に下りてきました。

藤原京跡への道標
藤原京跡への道標
藤原京跡への地図
藤原京跡への地図
畝傍山の遠景
畝傍山の遠景
藤原宮跡
藤原宮跡

公園に戻り、池を右手に南へ藤原京跡を目指して進みます。近鉄大阪線の線路を渡った先の丁字路を右に曲がります。その先の十字路を左折してまっすぐ南に進みます。交差する国道165号線を過ぎてさらにJR桜井線の線路を越えると、右手に畝傍山がよく見えてきます。そうすると左手に藤原宮跡(藤原京内の皇宮があった場所)が現れます。

藤原宮跡の解説
藤原宮跡の解説
香久山
香久山の遠景

藤原宮跡は藤原京の北端に位置し、南側に藤原京跡が広がっています。現在、一帯は広い草原のようになっています。見渡すと左前方(南東)に香久山の姿が見えました。ふたたび道を南へまっすぐ進みます。信号のある交差点まで来ますと、左には大極殿跡そして右には橿原市藤原京資料室(JAの2階)があります。

大極殿跡に行くと柱の一部が復元されています。来た方向を振り返ると耳成山の姿も見えます。ここからは香久山へ向かいます。遮るものがほとんどない平地の先に香久山の姿が終始見えますのでそちらに向かって適当に道を進めばOKです。香久山の手前に奈良文化財研究所藤原宮跡資料室があります。

香久山への横道
香久山登山口への横道
香久山周辺図
香久山周辺図
香久山の登山口
香久山の登山口
香久山の解説
香久山の解説

資料室の正面の前の通りを南へ進むと左手に公衆トイレがあります。このトイレがある横へ入る道が香久山に通じています。横道はすぐに登り坂となります。そのまま登っていくといったん左右に走る道とつながります。左右の道を突っ切りまっすぐ登れば香久山の山頂です。5分ほどで山頂になります。

香久山の山頂
香久山の山頂
香久山山頂の眺望説明
香久山山頂からの眺望図
香久山山頂からの眺望
香久山山頂からの眺望

山頂は西の方にすこし視界が開けています。眺望右端の手前の盛り上がった山が畝傍山。その後背にある山脈は右から葛城山そして左に金剛山のようです。山頂から来た道をもどらずに別ルートで、天岩戸神社への下っていく道を下りていきます。

香久山の屋敷町
香久山麓の屋敷町
法然寺

道を下って竹林を抜けると住宅街に出ます。道なりに進むと丁字路になりますので右手へ曲がります。ちなみに左へ曲がり進んでいくとその先は飛鳥の地となります。天岩戸神社が道の右手に出てきますので、そのままカーブした道を左へ進みます。道を真っ直ぐ進むとやや大きめの車道に出ます。車道を左に入ると右手に法然寺があります。寺のある横道を右に入ってそのまま西へ、畝傍山を目指して進みます。

飛鳥川
飛鳥川
本薬師寺跡の解説
本薬師寺跡の解説
本薬師寺跡の礎石
本薬師寺跡礎石

しばらく歩くと左手に生け垣に囲まれたテニスコート、右手には大きな広場のようですが、紀寺という寺院の跡地になります。道なりに真っ直ぐさらに西へ進むと飛鳥川に突き当たります。川を左手に行けば甘樫丘たどりつきます。右手に進み信号のある交差点を左折して飛鳥川を渡ります。ふたたび西に向かうとやがて左手に本薬師寺跡が出てきます。田畑のなかにぽつんと民家のような建物が建っているだけですが、小さな祠がありまた礎石が残されております。

畝傍山の遠景
畝傍山を目指す

さらに道を西へ進みます。やがて前方に畝傍山の姿が見えてきます。そのまま進むと近鉄橿原線「畝傍御陵前」駅に出ます。駅の北側(向かって右側)にある踏切を渡り、駅の西側の広場に出ます。広場からまっすぐ西へ畝傍山に向かうように県道161号線が伸びています。

道をそのまま進むと県道125号線と合流する丁字路の信号交差点に出ます。交差点を右手に行けば神武天皇陵への参道、左手に進めば畝傍山です。神武天皇は伝承上、最初の天皇となります。交差点から神武天皇陵を往復しても10分はかかりません。交差点から左手に畝傍山へ向かいます。

東大谷日女命神社
東大谷日女命神社
畝傍山山頂周辺図
畝傍山山頂周辺図

道を進んでちょっと行くと右手に緑地内へ入る小道がありますので、そこを通り奥の方へ進んでいきます。緑地の奥に東大谷日女命神社があります。ここが畝傍山への登山口にあたります。左手は比較的緩やかな巻き道、右手はやや急登の直登ルートです。どちらでも山頂には到達できます。今回は直登ルートに進みました。

畝傍山への直登ルート
畝傍山への直登ルート
畝傍山山頂の直下
もうすぐ畝傍山の山頂

畝傍山の山頂を示す道標がありますので、それに従い登っていきます。半分くらい上がってきますと露岩もある道になります。さらに上がると木の根の張出しが多くなってきます。もうすぐ山頂です。山頂までは15分ほどでしょうか。

畝傍山の説明
畝傍山の説明
葛城山系の眺望
葛城山・金剛山方面の眺め
二上山の遠景
二上山の遠景

山頂は西側にすこし視界が開けており、葛城山と金剛山の山系が見えます。山頂を少し下ると橿原神宮への方向指示の道標がありますのでその道を下りていきます。途中で西北側の展望があります。右端の2つの瘤のような山影は二上山と思われます。このルートは緩やかな傾斜です。途中で橿原神宮と畝火山口神社に道が分岐します。橿原神宮方面へ向かいます。

畝傍山の巻き道
畝傍山の巻き道
橿原神宮の参道
橿原神宮の参道
橿原神宮
橿原神宮

そのまま下ると東大谷日女命神社に戻ってきました。左手の若桜友苑を横目に道を進むと橿原神宮への参道に合流します。砂利が敷かれた参道の右手が神宮本殿への道です。北神門をくぐると右手に拝殿があります。拝殿と本殿は回廊式の構造になっているようでした。北神門とは反対の南神門へ向かいます。こちら側が近鉄橿原線「橿原神宮前」駅への道となります。南神門から広場を抜けて橿原神宮宝物館を通り過ぎるように大きめの参道を進むと「橿原神宮前」駅です。今回はここがゴールです。

<行程表>

※標準的タイムによる目安(休憩は含まず)。
藤原京跡を三方から囲む大和三山を周遊するルート。
近鉄「大和八木」駅→ 耳成山公園(15分)→ 耳成山・山頂(10分)→ 耳成山公園(10分)→ 藤原宮跡(20分)→ 橿原市藤原京資料室(5分)→ 奈良文化財研究所藤原宮跡資料室(25分)→ 香久山登山口トイレ(10分)→ 香久山(20分)→ 天岩戸神社(10分)→ 法然寺(10分)→ 飛鳥川(15分)→ 本薬師寺跡(10分)→ 「畝傍御陵前」駅(10分)→ 天武天皇陵(15分)→ 東大谷日女命神社(20分)→ 畝傍山直登ルート→ 畝傍山・山頂(20分)→ 巻き道→ 東大谷日女命神社(15分)→ 橿原神宮(10分)→ 近鉄「橿原神宮前」駅(20分)
※各施設等での見学時間などは含まれていません。
コースタイム/ 4時間30分程度
標高差/ 150m程度

<登山コースの補足>

全体的に市街地を歩くため、舗装道路歩きでも疲れにくいウォーキングシューズやスポーツシューズでよいかと思われます。
要所に各名所・旧跡等への道標があるので迷うことはほとんどないと思います。また大和三山以外に大きな高い建物は少なく目立つため、山に向かって歩けばだいたい間違いはありません。
ほぼ市街地ですので携帯電話の電波が通じており地図アプリ等も利用可能です。
大和三山はいずれも山頂からの眺望に恵まれているわけではありません。
大和三山はいずれも30分程度で登って下りてこられます。
香久山から甘樫丘までは徒歩で20分程度です(展望台まで登ればさらに15分程度を要します)。
●水場やトイレなど
水場はありませんが、市街地ですので自動販売機は各所にあります。
トイレは要所にあります。
●国土地理院地図
大和八木駅

<難易度・危険箇所>

とくに大きな難所や危険箇所はほぼありません。しいてあげるなら畝傍山については下山時に直登ルートを使う場合に足を滑らさないように注意が必要と思われます。


藤原京の大極殿跡
藤原京の大極殿跡

<藤原京と天武天皇>

藤原京は日本で初めて条坊制を採用した中国風の都城です。南北東西にいわゆる碁盤の目状に道路を配し土地を区画して生活インフラなども整備して恒久的な利用を想定した「都市」としようとしたのだと思われます。村落が自然発生的に次第に大規模化したわけではなく、ほとんど何もないところにいきなり作り上げた人工的な日本最初の計画都市だったといえるかもしれません。

たんに独自の宮殿をつくったというだけではなく、天皇に使える貴族やそれにまつわる庶民等も集住させることを想定したものだったようです。このような藤原京が天武天皇の発意によって行われたということは「天武天皇だからこそ」といえるのかもしれません。

天武天皇は“壬申の乱”という内乱を勝ち抜きいわば実力で自ら権力と王位を握りました。それまではどちらかというと(争いはありましたが)血統や系譜で順繰りに継承されてきた王位継承がこのときは血みどろの大規模な戦争で決められました。そこで天武天皇は自らの正当性をより誇示し豪族や王族たちを支配する必要性があったのかもしれません。

天武天皇は初めて「天皇」という称号を名乗り、国号も「日本」と定めたとも言われております。これもそれまでの「大王」たちと一線を画す意図があったようにも思われます。そして自らの権威を具体的・物理的に見せつけるために藤原京の造営を始めたのでしょうか。天武天皇は「天皇」を唯一無二の中心・最高位とした中央集権化という、中国を擬制とする、当時の現代化を企図したのかもしれないなーと感じています。


<付近の山>

ダイヤモンドトレール
葛城山
金剛山
吉野山
山の辺の道
柳生街道

<お食事処>

大和八木駅や橿原神宮前駅の周辺には飲食店が多数あります。畝傍御陵前駅の近くの国道169号線沿いには飲食店が複数あります。

<日帰り温泉など>

あすかの湯 ※公式サイト
樫原ぽかぽか温泉 (スーパー銭湯)※公式サイト 
カンデオホテルズ奈良樫原 (ホテル・スパ)※公式サイト

<売店等>

駅周辺を除き、ルート上にコンビニエンスストアやスーパーストア等はほとんどありません。

<名産品>

柿の葉寿司
奈良漬
葛餅

<そのほかの補足>

●お得な切符
お得な切符一覧/奈良 (近畿日本鉄道)
●参考アクセス(大和八木駅まで)
京都からの場合、京都駅から近鉄橿原線で乗換なしでアクセス可能(約1時間)、別途特急運行あり(約45分)
奈良からの場合、近鉄奈良駅から近鉄京都線「大和西大寺」駅で近鉄橿原線に乗換え(約1時間)
大阪からの場合、大阪難波駅から近鉄難波線「大和西大寺」駅で近鉄橿原線に乗換(約1時間)または近鉄特急“ひのとり”で乗換なしでアクセス可能(約30分)
※あくまで一例です。特急は別途特急料金が必要です。乗換・待合時間は含まず。
●お天気情報
橿原市 (tenki.jp)


<私的な雑感>

ノンビリとした里山&歴史ハイキングというイメージでしょうか。

奈良盆地の一角にあるので基本的には平野状の地形です。ほとんどの場所(大和三山以外)が舗装道路ですので、トレッキングシューズで歩くとやはりすごく足が疲れる。アウトソールが柔らかくクッション性のある靴がおすすめです。大和三山もほとんど難所などはないので登山靴やトレッキングシューズなどでなくてもよいかと思われます。

藤原京の中心部はいまはただ広い草原のように保存管理されているだけです。駅からすこし離れると田畑や低層住宅がほとんどになりますので遠くまでよく見渡せます。その広地のなかに佇むと大和三山の存在感ははやり際立ちます。万葉の頃の歌人たちがこの山を歌に詠んだのも肯けると思いました。

この地に藤原京を開発するにあたり、天武天皇は大和三山をどのように考えていたのだろうかと考えます。大和三山のあるこの地をあえて選んだのでしょうか。もし鳥瞰的な視線でみると大和三山の残る藤原京をある種の盆景のように意識したランドスケープだったのかもしれないなーとも感じました。

平城宮跡でも感じたことですが、ただ広い草地が広がるだけで何もありません。なーんにもないですが、そのためかえって邪魔物がなく、「往時はどんな様子だったのだろうか?」と想像して頭の中でイメージを膨らませるにはうってつけなのかもしれません。


<備考>

大和三山 (Wikipedia)
耳成山 (Wikipedia)
香久山 (Wikipedia)
畝傍山 (Wikipedia)
藤原京 (Wikipedia)
天武天皇 (Wikipedia)
飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群 (文化遺産オンライン/文化庁)

<参考リンク>

名勝大和三山コース (かしはら探訪ナビ/橿原市)
※コースマップあり
てくてくマップ[奈良-19]大和三山回遊コース (近畿日本鉄道)
※コースマップあり
橿原考古学研究所付属博物館 ※公式サイト
橿原市藤原京資料室 (橿原市)
奈良文化財研究所藤原宮跡資料室 ※公式サイト
橿原市観光情報サイト (橿原市観光協会)


<関連記事>

大和三山周辺の登山に関する上町嵩広の関連記事です。一部、外部サイトの記事もあります。


<バックナンバー>
バックナンバーはnote内マガジン「山と歴史の連なる道」にまとめております。

0001 顔振峠と義経伝説
0002 柳生街道
0003 京都・愛宕山と明智越え
0004 石垣山一夜城と小田原城総構
0005 金剛山:楠木正成と千早城跡
0006 箱根・旧東海道と石畳の道
0007 三増峠:北条VS武田 激突の地


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(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
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(2023/06/21 上町嵩広)


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