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還暦は、二度目のハタチ。

2024年2月  骨と雪とお雛様


アットホーム納骨堂

 仏壇のない家で育った。
 だから、一年前に父が亡くなった時、いわゆる死後の手続きの慌ただしさの中で、仏壇問題にも直面することとなった。

 ・・・そもそも、要る?
 
 そんな疑問がないわけではなかった。罰当たりかもしれないが、「ない」家で育った高齢独身者で末っ子のそれが正直な感覚だ。

 写真立てとお花とお線香、そんな感じで良いんじゃないの?  ウチ、宗教もないんだし。

 しかし、「ある」家に嫁いで四十年になる五歳上の姉は強く難色を示した。肝心の母はなぜか話に加わって来ず、居間隣の和室に突如出現した白い祭壇に強い関心を向けている。と思ったら、関心の先にあるのは、祭壇の両脇に置かれた花だった。

 母は葬儀場に飾られていた教え子達からの花輪が、こじんまりとした二つの盛花に集約されて届けられたことをしきりに残念がっている。あの花はきっとまたよそのお葬式で使い回しされてるんだよ、聞きもしないで勝手なもんだね、と恨み言を繰り返している。
 後飾りと呼ばれるその白い祭壇は、葬儀会社の人が目の前でパタパタと組み立てた簡易な段ボール製だったが、専用の白布をサクッとかけて白い仏具をセットすると見事にそれっぽい雰囲気になった。

 四十九日も、このままでいいのに・・・。

 またしても罰当たりな呟きを漏らしそうになったが、当座をしのぐための仮祭壇であるし、葬儀でお経を読んでくれたお坊さんにその場で自宅での四十九日を予約してきたこともあり、なんとか供養の体裁をギリギリ保てる程度のコンパクトな仏壇を購入しようということでまとまった。

 さて、どこで買うか。
 デパートに行ってみた。が、ギョッとするような高額商品しか扱っていなかったのですぐさま踵を返し、仏壇店へ向かった。閑散とした店内を一周すると、ミニ仏壇コーナーがあった。そうそう、こういうのでいい。パンフ兼チラシを見せてもらうと、本体と仏具のセットで8万円程。いったん帰り、写メを姉に送る。並行してAmazonもチェックする。値段的には変わらない。しかし、木の箱物であるし、遠路運ばれてきた荷を開梱して、やれ扉がガタつくなどの不具合が発見されないとも限らない。ということで地元の専門店で対面購入することに決めた。

 購入にあたっては宗派を訊かれた。浄土真宗です、と即答。真っ赤な嘘である。でも方便だ。葬儀会社の紹介で依頼したそのお坊さんがたまたま浄土真宗であったから、なりすました。いざ四十九日にお経を上げに来て、目の前の仏壇が別の宗派のものだと困惑するだろうと忖度したわけだ。それは、宗教のない我が家が死者を供養する時に直面したリアルの一つだった。
 お布施の額にしても何にしても、弔いの世界は分かりづらい。たいがいの知識はネットで手に入れられるとは言え、門外漢にとっては検索しようがないこと、検索されていないから無いことになっていること、などが厳としてあるのだ。
 戒名にお金をかけたくないという我が家の意向に沿ってもらえるお坊さんだったこともあり、これも何かの縁だからということでの浄土真宗。浄土真宗と言えば悪人正機。ほぼ日のファンである私は、興味をもってその本を読んだが、宗教的関心が芽生えたかと言うと、まるでない。信心がない者にとって、仏事とはおままごとのようだと感じる。ミニ仏壇の奥に立てるご本尊は100均で売っていそうなアジアン小物そのものだし、ご本尊を照らす照明のための電気コードが後部からニュッと出ているのも玩具チックだし、位牌にかわる中心的存在だという過去帳も、蛇腹折のポケットご朱印帳といった風情に映る。

 お坊さんには、仏壇の準備ができたら連絡をくださいと言われていた。「魂入れ」なる儀式が必要なのだそうだ。目に見えない何かを吹き込んでもらわないことには始まらない、という仏事の常識を吹き込まれる。言われるままだが、問いただしている暇はない。仏壇が届くのに合わせて、それを載せる下台の準備も必要だし、その手前にはお線香やお鈴を置く小さな卓も必要だということが調べるほどにわかってくる。そんなこんなで仕事の合間に実家に行ってはメジャー片手に使えそうな古い小家具を物色し、最終的には“雀卓“を採用することに決めた。

 その雀卓は実家を建てた30年前にお目見えしたものだった。ホームセンターで購入した2人用ダイニングテーブルの両端を切り落として正方形にし、中古の麻雀マットを接着剤で貼り付けたものだ。定年後に自分たちと同じく退職した友人夫婦を招いてはチーポンと楽しんでいた、いわば第二の人生の悠々自適を象徴する装置である。牌から仏壇へ、道具を載せ替え、雀卓も第二の人生へ。マットはどう頑張っても剥がせなかったので、やむなくAmazonで探した茶色の布を巻き付けて不謹慎な気配を消した。同じくAmazonで探した供物台を手前にセットすると、あら不思議、何となくそれっぽい佇まいになっている。

 四十九日は無事終わった。
 白い祭壇は葬儀会社によってあっという間に回収され、載せてあった二つのお骨は、窓辺へ移動。仏壇セットは小さいながら堂々と八畳間の真ん中に鎮座する格好と相成った。

 お次は納骨問題である。
 両親の意向はずっと前から聞いていた。ウチは女の子二人だし、公務員だし、家を継ぐとかもないんだからお墓なんて要らないからね、合同墓みたいなとこでいいよと。その通りだと思ってそれ以上考えたことはなかった。姉の嫁ぎ先は東北の田舎の集落なので葬儀も納骨も独特なため、参考にはできなかった。

 四十九日の時点では、春になったら市の合同墓に、大きい方のお骨だけ納めようと思っていた。小さい方の、喉仏のお骨は、場所も取らないのでアイコン的な存在としてずっと家に置いておくつもりだった。

 あれから一年。
 お骨は今、二つとも窓辺にいる。障子窓を背景に、春夏秋冬を一巡りした。
 四十九日を過ぎて納骨しないと成仏できないとかいう説もあるらしいが、気にしていない。合同墓で他人のお骨とごっちゃにしてしまうより、実家があるうちはここで母と死んでも暮らし続ける、というのがごく自然な気がしてそうすることに決めたのだ。
 納骨堂は数あれど、我が家以上にやすらげる納骨堂はないであろうと思うから。

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