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還暦は、二度目のハタチ。


2024年1月 旅支度そして出立(前編)


妻でもなく、母でもなく、子のままで「還暦」。


 生きてさえいれば、誰もが迎えることになる還暦。人生の節目としての感慨はさほどなかったが、アラの後がフィフからカンへと変わること、軸足が中高年の中から高へと変わること、の否応のない重たさは察し始めていた。
 なんとなく意識はしつつ、しかし、し過ぎないように。そうすることで、自分自身を新しいあたりまえに慣らそうともしてきた。

 普段から実年齢をなるべく言わずに仕事をしてきたせいもあり、今、私の周りで還暦を祝ってくれる人はいない。それでいい。いたら困る。どうかこのままバレずに通過できますように。

 還暦。実際なってみてわかったのは、「やっばりピンとこない」ということだった。還暦? こんなんで・・・? というのが正直な気持ちだ。
 
 功成り名を遂げたわけでもなく、世間の片隅で慎ましく、ごくごくフツーに生きてる一般人。しかもというか、しかしというか、未婚独身、子供無し。フツーでありながら属性的には多数派ではなく、フツーとは言えそうにないので少数派。職業的にもフリーランスなので、これまたたぶん少数派。

 そんなビミョーなおひとり様の還暦女子が、二周目の人生旅を生きてゆく。ただそれだけの記録です。


還暦は、二度目のハタチ。


 人生百年時代の還暦。この先も生きてさえいれば、残り時間は結構ある。二周目の還暦でちょうど百歳の寿命を全うする、そんな寸法はどうだろうか。六十歳をシン二十歳としてカウントすれば、おとな人生を二回生きられることになる。つまり、今回の還暦はシン成人式でもあるのだ。

 ‥‥悪くない。いや、かなり良くないか。見た目はともかく気分はハタチ、で繰り出していけるなら御の字だ。そんな設定で頭と心をアップデートした私は、自分だけが盛大に祝う中、二周目を踏み出した。

 さて、ハタチになって、どうなった?  そう訊かれたら私は迷わず「生活の感度が増した」と答えるだろう。目の前に立ち現れる景色や、出来事とも言えないような瑣末な出来事が、いちいち新鮮味をもって映り込んでくる。
 何をしてもしなくても、一周目の反省やら記憶やらがうっすらとチラついてくるので、センサーを切って生活することの方が難しい。天から授かった二周目の人生と思えば思うほど、無為に老い枯れてゆくだけの日々を易々と受け入れてなるものかと強い気持ちが湧いてくる。 

 実際、それくらいの心構えでちょうどいい日々がこれから待ち受けているのだろう。身近な人や自分の何かを一つ一つ喪ってゆくことが約束された今回の旅。その道のりを想像するだけで正直相当しんどいが、大丈夫、ゴールは必ず来る。死で終われるとわかっているから、安心して生きられる。


旅支度は、からだのメンテナンスから。


 令和6年1月半ばに二度目のハタチを迎えた私であったが、少し前から出立の準備を始めてはいた。
 からだのメンテナンス。長旅を運んでもらう以上、乗り物には細心の注意と敬意を払わねば。車も、人も、一定の耐用年数を超えるとちゃんと不具合が起きるように設計されているようで、酷使や放置のツケもちゃんと帳尻を合わせてくる。
 そんなわけで、これまで幸いにも病院のお世話になることがほとんどない人生を送って来られたことに感謝しつつ、どこから手を入れるべきか考えてみた。

 老化劣化のサインというのは数え出したらキリがない。頭のてっぺんからザッとスキャンするだけで、鼻に到達する前に早くも両の手が必要になる。
 悩んだ挙句、いちばんインフラ的で長丁場になりそうなところから開始していくことにした。
 ボディ&デンタルのメンテナンス。つまり、カーブスと歯科だ。

 どちらも具体的な事柄は追い追い詳しく書き綴っていくつもりだが、先行スタートした歯科の実体験から言えるのは「メンテナンスは気が重たければ重たいほど、後から楽しくなってくる」ということだ。お手入れとは、生きていればこそ、の前向きな行為だからなのだろう。そこには希望がある。
 いや、希望しかない。そう信じることに決めた自分がいる。

                       coin-scope 001(序章)


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