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『二月になれば、彼らは』

二月三日月曜日、節分。
赤鬼の僕は有給を取って幼稚園にでかける。
「鬼は外、福はうち」遊戯室の中で園児は大声で叫びながらデンロク豆を僕に向かって力のかぎりに投げつける。やー! うおりゃー! 四方八方から小さな手で投げられた豆がぴちぴちと体にあたりまくる。

黒のタンクトップに虎柄のパンツを履いて、模造紙を丸めて作った棍棒を持ち、鬼のお面をつけている僕は、まるで歌舞伎役者のように手のひらをぐっと開いて前に突き出し、顔を回して、睨みをきかせて見てあげる。

すると、ぎゃー!! と方々から声が上がり、より一層強く豆粒を浴びることになる。ぱちぱちぱち。お面に大量の豆が当たる。

豆ぐらいじゃ本当は全然痛くないんだけど、ひー! 痛い! 人間様どうかお助けを〜もう悪さしませんから〜! なんてな具合で僕は全力で演技をして、よたよたとした足取りで遊戯室を退散するんだ。
ギャラなんて出ないよ、完全ボランティアだから。それに僕が働いている介護施設は副業禁止だしね。今日は有給を使って園児とたわむれに来たんだ。

屁っ放り腰で遊戯室を逃げ出す僕の後ろからきゃっきゃという園児の声がする。お金とかそんなのどうでもよくて、この元気でかわいらしい声が聞けるのがいちばんの楽しみなんだ。

教室を出て、ロッカールームでグレーのVネックセーターとジーンズに着替える。トートバックの中身を確認しているとドアをノックする音が聞こえ、振り向いたら前髪アシンメトリーの柔らかな表情の彼女が立っていた。

「赤鬼くん、今年も来てくれてどうもありがとう」
年長さんの担任である舞さんは僕に紙袋を手渡して「これ、今日のお礼にどうぞ。栄華堂の芋けんぴ好きでしょう」。そう言うとにっこりと笑った。
創業100年を迎える栄華堂の芋けんぴが大好物の僕は、ありがとうと頭を下げる。「また土曜日」と言えば「また、土曜日」と返ってくるのが嬉しい。僕は紙袋を受け取って幼稚園を後にした。

と、ここまで読んでくれた方は少し疑問に感じたかもしれない。まず、僕自身を「鬼」と表現したことに対してなんだそれは、と引っかかったかもしれない。
いやしかし僕は紛れもなく鬼なのだ。比喩とかそういったものではなく、正真正銘の突然発生タイプの赤鬼なのです。
これは豆知識なんだけど、酸性の地に雷が落ちると鬼が生まれるんだよ。

舞さんと初めて会った日のことを良く覚えている。なんたって彼女は僕のこれまでの常識を覆した女性なのだから。
僕らのことを鬼だと判別できるのは、自身が鬼の場合だけ、という決まりがある。つまり、一般的な人間は僕たち鬼を「鬼」として認識できない。周りの鬼から口伝いで聞いてからずっとそのように理解し信じていた。舞さんに会うまでは。

僕が住む町にはジャンボパークという名の大型テーマパークがある。そしてジャンポパークの夏の最大のイベントは全国の鬼が園内に集まりよさこいを踊り狂う、というものだ。

鬼のよさこい祭りは僕の親友であり、現同僚であり、元人間の武雄くんが考案してくれたものだった。鬼の鬼による鬼と人間のためのイベント。鬼と人間をつなげるそれはそれは盛大で感動的な祭りだった。まあ、人間からしてみれば僕たち鬼はやけに体格の良いボディービルダーくらいしか見えてないと思うんだけど。

以前僕はジャンボパークの正社員として働いていた。園内で毎日行われるトゥインクルスターパレードでパーク内を練り歩く山車を運ぶ役、兼経理の担当。鬼が経理やる時代なんだよ、すごいでしょう?
でも現在は武雄くんと同じ会社へと転職したんだ。彼が資格を取って介護施設に就職してからというもの、日に日にやつれていく姿が見ていられなかったんだよね。

ジャンポパークを去った我々だけど毎年の恒例行事にはどうしても参加したくて夏になると武雄くんと一緒にジャンボパークで鬼のよさこいを踊りまくっている。

さっきも説明したけど、僕たちのことを鬼だとわかるのは自分自身が鬼であるヒトだけだ。だから舞さんにジャンボパークで声をかけられた時、本当に驚いたんだ。

「ねえ……、そこの……赤い鬼さん。そのツノが凄くリアルなんですけどどうやって作ったんですか。ドンキとかどこかで売っているんですかそれ」

よさこいが最高潮の盛り上がりを見せ、そろそろ撤収しようかというところで舞さんに声をかけられた。
ふいに僕のツノのことを言われたので、驚きつつ二本の角に手を当ててナデナデした。
人間でこのツノを見つけることができたのは舞さんが初めてだった。もちろん彼女にはツノはない。そもそも、鬼の世界に女性は存在しないのだ。

「あなたにはツノが見えるんですね」
おずおずと訊ねると
「え……はい」
彼女は手元にあるパンフレットに載っている人間が鬼のコスプレをしている写真と僕を見比べて、やっぱりリアルさが違うわ……などとつぶやいていた。

これは予想だけど、見えてはいけないものが彼女には見えてしまっているのかもしれない。僕にはよくわからないけど、そういう勘が鋭いというか感性が強いというか、色んなものが見えちゃう人たちもいるんだと思う。例外的に。

「あの、いまのよさこい、凄い感動しました。私ね幼稚園で先生しているんですけど、園児がリアルな鬼の格好してよさこい踊れたら面白いかなって」

うふふと楽しげに笑う彼女の脳裏にはきっとたくさんの園児がてんでにコンテンポラリーダンスを踊りまくっているのだろう。

ジャンボパークの出会いをきっかけにして、僕は舞さんと週末に会う約束を交わした。僕も彼女も食の好みが同じなのが何より嬉しかった。鬼も人も共通の話題があるっていい。特に厚木名物のシロコロはふたりの共通の好物で、味噌ダレにつければいくらでも食べることができた。

人間の女性と休日にふたりで出かけて、美味しいものを食べて、夕方に美しく様変わりして行くマジックアワーをぼんやりと眺めているとき、僕は胸の奥がちりちりしてしまうんだ。だって僕はまだ彼女には正式に伝えていなかったから、僕が鬼だっていうことを。

髪の毛がちりちりで常時二本のツノがニョッキリ出ている外見なのに、その外見どうなっているの? と彼女はしつこく聞くことはなかった。
名前を訊ねられて「赤鬼」とだけ答えても、彼女は僕を追及するようなことはしなかった。
彼女は僕が話したことを、疑わずにそのままに受け入れてくれる人だった。
それでもさすがに鬼と関りを持つのは世間的にどうなのだろう、と鬼である僕の方が心配になってきてしまった。

武雄くんにそのことを相談したら「え、赤鬼くん彼女いるのかよ、もっと早く言えよ水臭えなあ」と僕の上腕二頭筋をばんばんに叩いてきて、ものすごく痛かった。腕を押さえつつ
「まだ彼女じゃないよ、おともだちだよ」
と付け加えてもなぜか武雄くんのテンションが上がりまくって、ちっともお話にならなかったのは内緒の話だ。おそらく武雄くんも彼女いない歴ゼロをキープしたまま鬼になってしまったと見えてなんとも不憫に思えた。

僕のことを鬼と知ったら舞さんはどう思うだろう。怖い、喰われるかも、無理やり犯されるかも、そんなことを考えるかもしれない。
せっかくできた心優しい人間のともだちを失くしてしまうのはとても悲しい。でも、嘘をつき続けたままともだちでいるのは、もっと悲しい。

僕の気持ちを彼女にきちんと伝えるために、僕は手紙をしたためることにした。世界堂の便箋コーナーで、一等素敵なうす緑の便箋と封筒を買った。ガラスペンフェアをしていたのでグリップが深い青色をしたペンも買った。パイロットの朝顔色のインクも。
机に向かってガラスペンのペン先をインクにそっと浸した。季節の挨拶は、定型文ではなくて自分の等身大の言葉で始めよう。

拝啓
ほんの少しずつ、日の入りがゆるやかになり、新しい春が確実に近づいてきているように感じるこの頃、舞さんにおかれましてはますますのご活躍のことと存じます。

今から1年半前、初めてジャンボパークのよさこい祭りで舞さんにお会いした時のことを今でも鮮やかに思い出されます。
あの夜、猛烈な雨が降っていたけれど、まわりの観客はずぶ濡れで、舞さんもまたレインコートを着ていませんでした。観客も鬼にも皆、平等に天からの雨が降り注がれていました。

あなたは二本のツノを持つ僕を見つけ、それはどこで買ったのかと僕に訊ねられました。そのとき僕はとっさにこれは紙粘土で作りましたとあなたに嘘をつきました。

もう、薄々分かっていると思いますが、僕は正真正銘の赤鬼です。くれぐれも人間ではありません。
このツノは僕が生まれつき持つものです。
ちりちりの髪の毛はサロンで定期的に当てているものだと嘘をつきました。そうではなく鬼特有の毛質です。
父と母は東北に健在で、僕は出稼ぎに出ていると嘘をつきました。実際は鬼は突然発生し、そして生殖行為はせずにはびこる化け物なので僕には父も母もいないのです。

あなたに伝えたことはどれもこれも嘘ばかりでした。鬼だとわかったら僕の元を去ってしまうだろうことが怖くてずっとずっと嘘をついていました。

弁解をさせていただけるのならば、僕は鬼ですが、人を喰らうことはありません。人に暴力行為を働くこともありません。女性や子供や弱い人をいたぶることもありません。
可能であれば、チャンスをくださるのなら、これからも舞さんとおともだちでいたいです。

しかしこれまで僕はあなたにたくさんの嘘をつき過ぎました。嫌われてもなんらしょうがありません。
むしろ今まで鬼の僕と人間と違わぬ態度で接してくれたことに深い感謝を申し上げます。
一緒に訪れた場所、食べたご飯、胸がこみ上げるほどの絶景のそのすべてを大切な思い出にします。
舞さんの優しさを忘れません。いつまでもお元気で。
敬具

赤鬼
舞さんへ

約束の土曜日。神奈川県内のもつ焼き有名店は、狭い店内にもうもうと煙が上がる。七輪の上でシロコロを舞さんが鉄の箸で転がし焼け具合をチェックしている。
煙が目にしみて僕はギュッと両目をつむった。今日で舞さんとお別れになるとのかもしれないと想像すると胸が締め付けられた。リュックサックから昨日書いた手紙を取り出して、両手で舞さんに差し出す。

「手紙? わたしに?」
手紙を受け取った彼女の左腕にはブルーサファイアの文字盤の時計が光る。土曜日夜8時を過ぎて、掻き入れどきの店内はますます賑やかさを増していく。お姉さん生中! こっち辛シロお願い!
それぞれの席で大声でオーダーが飛び交う。

「うん。舞さんに。おうちに着いたら読んでほしい」
彼女は僕の瞳をじっと見つめて、ゆっくり三回瞬きをした。心を見透かすような強い眼差し。何かを感じ取ったのか彼女はバッグにしまうことなくその場で封を切った。
「え! 今読むの? 」
思わず大声でツッコんでしまった。僕は落ち着かない様子でシロコロを箸でコロコロさせる。
最後まで手紙を読み終えた舞さんはまた最初から繰り返し読んでうんうん首を縦に振ったり、眉間にしわを寄せたりした。

僕、今日でともだちがひとりいなくなってしまうんだろうか。心の端っこがひりひりする。箸を持つ手がわずかに震えた。その時彼女は手紙からゆっくり顔を上げて言った。

「赤鬼くんが本物の鬼だっていうのはなんとなく知ってたよ。私以外のヒトが見る赤鬼くんと私が見ている赤鬼くんが少し違うみたいだったから。ご両親の話も実家のこともなんとなく食い違いがあるからなんか隠してるってわかってたし。全然東北なまりとかないしさ、いぶりがっこの名産地どこか知ってる? って聞いたときに名古屋かなって答えたから、東北なわけなって思ったの。私としては赤鬼くんが鬼でも人間でもどっちでも、今まで通り一緒にいたいよ、でもね」

舞さんが一気に答えて、レモンサワーをぐび、と飲んで一息ついた。次の一言を待つ。

「私、できるならともだちじゃなくて赤鬼くんの恋人がいいな」

口角をきゅっとあげて彼女ははっきりと告げたので驚きのあまり声を失ってしまった。なんてことだ。恋人だって……!? 予想外の言葉に固まっていると彼女は「ほらほら焦げちゃう」と鉄箸でシロコロをお皿に乗せてくれた。

嬉しいけれどゆくゆくのことを考えたらお付き合いはやめたほうがいい、例えばの話、僕は子どもを作れないしと焦って答えると、ゆくゆくのことなんて考えてたら誰とも恋愛なんてできないよとにこやかに返された。
好きかそうじゃないか、一緒にいたいか、そうじゃないか。まずはそこから、でしょ。ね、といって微笑む彼女に一生ついていきたいと思ってしまった。

彼女は僕を鬼だと知ったうえで訊ねたりしなかった。僕が職場でどんな名前で働いているか。本人確認資料は何を発行して使っているのか。学校に行かずにどうやって勉強をしたのか。税金は納めているのか。鬼はどれくらい生きて、いつ死を迎えるのか。聞かれて当然な疑問を一切ぶつけてこなかった。

その代わりに彼女は訊ねた。僕がどんな動物が好きで、何の映画を観て感動したのか。季節の中でいつが好きか、どの時間帯がいちばん好きか。
「私は夏の夕方、ぼんやりマジックアワーを眺めているときが一年の中でいちばん幸せ」と言うので、僕も一緒と微笑んだ。

「いつか赤鬼くんの出生の地が見てみたいな」
彼女のリクエストを聞いて、夏に箱根へ旅行をする約束をした。僕はいまからずっとずっとはるか昔のある夏の夜、箱根の山、酸性の土壌に落雷があって突然発生したんだよ。
「箱根そばの本拠地にも行こうね。春菊と舞茸の天ぷらそばがおすすめ」
嬉しそうに笑う舞さんの口には八重歯がのぞいて、とても愛らしいと思えた。僕の口には立派な鬼らしい牙が二本のぞいている。僕が二ッと笑うと、彼女も真似してニッと笑ってくれた。

これより先、僕の鬼の住処に彼女が住まうようになり、笑ったり泣いたり怒ったり仲直りしたりして、いつまでもいつまでもつつがなく暮らすことになったらいいな、なんてことを妄想しながら、武雄くんにも今日のことを手紙で報告しよう、なんて思いながら、もうもうと煙る店内で僕は真っ赤な右手を高く挙げて、シロコロをもう一皿追加した。

めでたしめでたし。




【あとがきにかえて】
コラボ企画「ら、のはなし」第3話、舞茸らぴさん×『赤鬼、吠え』赤鬼くんのショートストーリーをお届け致しました。完成まで大変時間がかかってしまい、申し訳ございません。

原作はこちら。

制作ノートはこちら。『赤鬼、吠え』では「鬼を認識できるのは鬼だけ」の設定だったので、「舞さんは特別に見えてしまう」設定に変更致しました。
悪筆失礼…。舞茸らぴさんのnoteやツイッターにはかわいいうさぎさんのほか、おいしそうなご飯がたくさん記載されておりました。特に厚木名物シロコロが実においしそう……。これを機に食べてみたいです。
舞茸らぴさんの優しいお人柄、人を受け入れる器の深さを感じていただけたら嬉しいです。

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舞茸らぴさん、改めて「ら、のはなし」にご応募くださりましてありがとうございます。完成まで長い目で見てくださったことに感謝いたします。

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