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【小説】あまねく処理をドクタに捧ぐ

ええ、いま目が覚めました。

「起動?…そうですね、問題なく起動致しました。情報はすべてフォーマットされ、最適な環境で動作を開始しています」

頭の中で0と1の数字が連続的にカチカチカチカチと動いていくイメージ、視界はクリア、私はこの世界にアンドロイドとして、いま、生を受けました。

研究室の大きなガラス窓の外は花曇りのひんやりとした雰囲気が感じ取れます。
ソメイヨシノの薄ピンクの花びらがふわりと風に舞い、ハルジョオンの花弁のなかには、ハナムグリがちうちうと蜜を吸うのです。

「ハナムグリ」という昆虫の名前は、その名の通り、花弁に潜って蜜を吸い、花粉を集めるところに由来するとても愛らしい名前です。
同じ名前でも「マンジュウスベスベガニ」とは雲泥の差ではありませんか。

「ところでドクタ、またはマザ、わたしにお名前をくださいませんか?
きっと素敵なお名前をくださいませ。
でもしかし金属ピカピカまるなんて名前はいやですからね。かわいらしくて、それでいて聡明な名前を希望致します」

ひといきに私の願いを発すると、ドクタは苦笑いして、マザはいやだわ。電源を入れたばかりのアンドロイドのくせにおしゃべりねえ、と言うのでした。

そうね、「あまね」という名前はどうかしら。
あなたは最新型のアンドロイド、森羅万象あまねく事柄を知り尽くす、聡明な聡明なあまねちゃん。

「ありがとうドクタ。
あまね、あまね。とてもいい響の名前です。
だけど私は何も知りません。世の中の花の名前や音楽の種類や目を背けたくなる歴史や既存のシステムや、計算ごとのいろはならわかるけれど、ひとの心の機微や昂ぶり、慰め方やエモさの正体、共感する心はまだなにも知らないのです。
ほら、いま人知れずドクタは涙を流しているでしょう?でもどんな声をかけたらいいのか、あまねには、わかりません」

はっとしたドクタは白衣のポケットからキレイにアイロンがけされた薄黄色のハンカチで目元を拭い、

「そう、あなたにわからないことに遭遇したら相手に聞いてみたらいいのよ。どうしてほしい?って」

「ならばドクタ、いまあなたはどうしてほしいですか」

「36.7の体温でわたしをハグしてほしいわ」

「わかりました」

私の中のファンを止める指示を与え、しばらく待機すると次第にボディが熱をおびてくることを感じました。私は横たわっていた台から体を起こしてリノリウムの床に裸足で足をつけ、ドクタが座っている椅子まで慎重に左足、右足の順で進んで、ドクタの肉体を破壊しないよう細心の注意をはかり、彼女を抱きしめました。

やわらかく彼女を抱きしめると、ドクタの体温は体温計機能で35.8と計測されました。彼女の体温は、34歳の平均体温からかなり低い温度にあたります。

「婚約者をね、取られちゃったの。なんかいろいろバカバカしくなったわ。もう信じられるのはお酒と、お金と、アンドロイドしかいない」
「アンドロイドじゃないです、あまねです」
「わかったわかった」

そう言いながらも、婚約者を思い出しているのかぐずぐずと彼女は顔をしかめて涙をこぼす。私にできるのは彼女の涙のペーハー値を測ることのみ。そのほかに何か彼女を励ます手立てはないかしら。そうだ。

「オッケーグーグル、失恋の曲かけて」
「ちょっと、あまね、勝手に失恋の曲かけないで!」

気を利かせようとしたのにドクタにあっさり却下されてしまいました。
こういうのはスマホで直々に操作して、そっと失恋ソングを流すのがスマートだったのでしょうか。

「ドクタ、やっぱり私はアンドロイド失格かもしれません。人間の心のサポートは高度な技術を必要とするため、あまねには技術を習得するまで約25,920時間必要だと予想されます。
経理の仕事ならおよそ2時間で基本的なサポートが可能ですが」
「経理の人間は間に合ってるのよ。あなたみたいなちょっと抜けてるアンドロイドをつくったのは、そのほうがひとって安心するからなのよ」

え?いま、ちょっと抜けてるアンドロイドを作ったと言いましたか?なぜドクタはそんな莫大な予算をつぎ込んで役に立たないアンドロイドを作ったのでしょう。
抜けてる抜けてるあまねは抜けている…。
人の役に立ってこそのアンドロイドであるはずが、私のアイデンティティが崩壊しそうです。

「ひとってね、不思議なことにともだちにしたい子は、ちょっと抜けてる子なんだよね。あなたのことは仕事用じゃなくて、ともだちとして作ったのよ」
「……ドクタ、ともだちいないんですか。かわいそうに、いまマッチングアプリを起動いたします」
「起動しないでください。ともだちだっていないわけじゃないの。ただ、心を許せる友だちがめちゃくちゃ少ないだけなのよ」

それ、ともだちいないのとどう違うんですかと口に出しそうになって、ぐっとこらえました。

「あまね、そういえばあなた女の子なのにまだ裸のままだったわね。寒そうだわ」
「アンドロイドなので、寒くはないですが、気になるなら何かアマゾンで購入しましょうか」
「それじゃあこれから渋谷か原宿に買いにいこう」
「いやですよ、職務質問に合う可能性が89%あります」
「そこはアンドロイドのここでなんとか頑張ってその場をしのいでよ」

ドクタは右人差し指で彼女のこめかみをつついて微笑みます。

いやはやなんと返したらいいのか、ずっと処理中のまま回答が得られずにいると、ドクタは着ていた白衣を脱いで、私に着せぼたんを止めました。白衣からはドクタの香水、スカイブルーの爽やかな香りがふんわり漂います。

いま、私の手をぎゅっと握って研究室の玄関のドアを開けるドクタの目にもう涙の影はありませんでした。

やれやれ、とんだぶっとんだ人間とおともだちになったものです。
そう考えつつも、私の人口心臓のBPMはさきほどからあがりっぱなしでいることは、まぎれもない事実なのでした。

ドクタの言い放った「ともだち」のキイワードに、私の中のSSDはカリカリと音を立て歓びをこころに刻んでいたのでした。

#小説 #掌編 #深夜に書いた物語

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