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あまりにも人間

全てを無にしたい、消したい、捨てたい願望がいつもどこかにある。
今持っているSNSのアカウントもメッセージアプリも全部消したい。
知り合いが一人もいない海辺の街に行って、誰とも深く関わらず必要最低限だけ働いてひっそりと暮らしたい。

でも実際に全てを消そうとするといつも躊躇ってしまう。
中途半端に残してきた軌跡でも僅かばかりの財産のように思えてしまい、手放すのが怖くなって結局やめる。
そもそも都心近くで生まれ育った私は、資本主義的価値観を軽蔑しつつも実際は頭の先から爪の先まで資本主義プールに浸かった資本主義チルドレンなので、必要最低限だけの慎ましい暮らしなんて土台無理な話なのである(最近資本主義について考えたり話したりするのがマイブーム)。

できればもっとお金が欲しい。
お金を稼いで海外に行けるだけ行きたい。
ドイツのケルン大聖堂とか見に行きたい。
ハワイとか別に行きたくねえし、みたいなスタンスとってたけど本当は一回くらい行ってみたい。
お金に物を言わせて解決したいことが多すぎる。

このように私は本来俗っぽさの極みのような人間なのだ。
アニメや映画のキャラでいえば語尾が「〜でやんす」の舎弟キャラだ。
バトロワなら大した見せ場もないまま序盤で○されているはずだ。

それなのに精神的に成熟した、かつ浮世離れした人間でいつもあろうとした結果、私は長いこと現実と理想との乖離に苦しむ羽目になっている。
浮世離れどころか地面にめり込んで息ができないくらいなのに。
多分私を知る人は皆、私が「あまりにも人間」ってことをとっくに知ってるだろうに。

冒頭の話に戻るが、もし何かを捨てるなら真っ先に捨てるべきはこのガチガチの泥団子のような自意識の他ない。
この泥団子は多分磨いても光らない。
見切りをつけることも時には大切なんだ。
この文章はその第一歩になるかな。なるといいな。

数年前に比べると、私は明らかに創作から離れて日々を過ごしている。
そうしなければ生き延びることができなかったとも言える。
だけど結局、私は何らかの形で吐き出さないと生きていけないんだとこの頃強く感じている。


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