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うまいことやろうとするな

最近noteに何かを書こうとする時、まずタイトル部分に「200文字」と入れている。
これには「なにか書きたい/でも書けない」と焦る時、「とりあえず200文字でも書ければ上出来」と自分へのハードルを下げるおまじないのような意味がある。
それに大抵の場合、書き出せば200文字に収まらず長々と綴ってしまう。

一方で、初めはスラスラと流れるように書けていたのに、落語で言うところの枕が終わり「さあ本題に入るぞ」というあたりでピタッと書けなくなることがある。
こうなるとどれだけ続きを書こうとウンウン考えても、結局何も浮かばず泣く泣く全文デリートする羽目になる。

どうしてだろう、入りはあんなに良かったのに、などなど考えてみたところ、続きが書けない文章には共通点があることが分かった。
それは「うまいこと書こうし過ぎている」ということだ。

やや自慢気味になってしまうが、昔から国語の成績だけはやけに良く、高校生の時は教師が受け持つ2クラスのうち1位になったことも数回あった。
そんな私にとっての国語必勝法は、「その時その時の教師が欲しがる回答を書くこと」だった。

たとえば、「この時の主人公の心情を述べよ」という問いが出たとする。
そもそも複雑な心情に答えなどあるものか、と言いたくなるが、そう書いたところで点を得られるはずもない。
そこで、「この先生は熱血系だからこう答えよう」「この先生はロマンチストだからこう表現しよう」と、担当教師のタイプを見て解答を「寄せ」にいっていた。
担当教師の影響を受けない全統模試のようなテストはまた話が別だが、とにかく私は前述した必勝法で一定以上の点を取ることに快感を覚えていた。

しかし、このように小賢しい方法で点数を稼ぎ、「自分は国語力が高いんだ」と思い上がった結果、咄嗟の場面で思ってもない綺麗事をペラペラ話したり、スラスラ書いたりする悪癖が付いてしまった。
これはその場しのぎには大変役立つスキルだが、本当に言いたいこと、書きたいことを抽出しようとする場面では一々邪魔をしてくる厄介な存在となった。

たとえば「もうダメだ、消えたい、恥ずかしい」という感情を書き出そうとしても、文章を綴るうちに癖でなんとなく体裁を整えてしまい、気づけば「色々辛いけど前向きに頑張ります!」という内容の文章が出来上がっている。
もしくは、初めはスラスラまとまった文章を書き出せても、途中で「まとまっているだけで別に言いたいことじゃない」と気づいてしまい、書けなくなる。
対人関係においては、それっぽい真面目な言葉選びだけは得意なので初対面の人と話すと知的な印象を持ってもらえることが多いが、実際はそんなに賢くないので後からどんどんボロが出てくる。

もちろん文章を構成する上で起承転結を考えたり、人と話す前に言葉を自分の中で組み立てたりすることは大切だと思う。
だけど私の場合、「人に恥ずかしい部分を見せたくない」という自意識のせいで、側(ガワ)の構成力だけが異様に発達してしまった。
なんだかAKIRAの鉄雄みたいだな。

この文章もなんだかんだ体裁を整えていて、それにも若干うんざりしている。
これからの人生をもっと楽に生きるためには、「うまいこと言おうとしない」「うまいことやろうとしない」ってことがキーになるのかもしれない。

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