感情の波

憂鬱はいけないことなのだろうか。こんなときだから生まれてくる考えや妄想だってあるのに。私はむしろ沈んだ気分のときのほうが自分の理性じゃなく感覚に正直になれる気がしている。責任とか他人のこととか全部捨てたら、こんな気分だって悪くないんじゃないかって最近思う。

そもそも誰かに直接ダメだと言われた覚えはない。社会が他人が常に成果を求めていると、そう意識しすぎるから
気分が落ち込む=日常生活が手につかなくなる=無能
という解釈を勝手にしてしまう。誰も最初から私に期待なんてしてないのに。

内向的な人間に良さがあるように、鬱な気持ちにだって良さがあるのではないか。どうも私にはいつも一定のペースで生きるということが向いてない。
ともかく今はなんだかどうしようもなく苦しい気持ちだから、そんなときにできることをやろうよ。そう自分に言い聞かせてみる。

ニュートラルな状態でいつもいられたらどれだけ楽なのだろうと思う。けれどそれは私にとって、はじめからかわいい顔に生まれたらよかったのにと言うことと同じだ。ハイとかローの状態になりやすい、そういう素質というだけ。

長い間自分は間違っていると思って生きてきた。それは正しい正しくないと判断される環境にいたからかもしれないし、純粋に世の中がお勉強の延長線上にあると思い込んでいたからなのかもしれない。

けれど実際のところ現実世界に正しさなんてものはなく、あるのはどう捉えるかということだけ。常識が正義とされることもあるが、それは社会にとって多くの人にとって都合のいいルールであるに過ぎない。

だから結局何が言いたいかといえば、私に感情の波があってもたぶん間違いではないし、仕方のないことだということ。たとえ周りの多くの人に理解されなくともこういう人間もいるということ。それでもって広く見れば私以外にもたくさん同じ悩みを持っている人がいるということ。

私はこの憂鬱な状態をそのまま受け入れたい。
ただこれだけ前置きをしないと、憂鬱を受け入れられず困っています、とそう言えない性格だけは、本当に直したい。

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