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【ショート】3分で人物史 | 《第1話》ロマノフ朝ラストエンペラーの母 - マリヤ・フョードロヴナ


「何とかわいそうな子だろうか!神様、どうか彼女に慈悲をお与えになりますよう!」


…これは、マリヤ・フョードロヴナことダウマー(マリヤはロシアに嫁入り後の名前)がロシアに発つ際に、ダウマー一家いっかと交流があった童話作家アンデルセンが言った言葉です。

(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)

ダウマーの祖国デンマークは、度重なる敗戦で領土がどんどん縮小。
財政的にも決して豊かな国ではありませんでした。

そんな小国の王女が、世界有数の大金持ちロマノフ家に嫁ぐことになったのです。
国民が彼女の門出にお祝いムードの中のこのセリフ――。

アンデルセンは、ロシアでのダウマーのその後を予感していたのでしょうか。


◆質素な少女時代

マリヤ・フョードロヴナことダウマーは、1847年11月26日 コペンハーゲンの黄色い館デ・グーレ・パレで生まれました。

父はデンマーク王家の分家出身。
とは言え決して裕福な家ではなく、ダウマーはこの黄色い館で姉との共同部屋生活をしていました。

ダウマーは次女で、上に兄が2人と姉が1人、下に弟と妹が1人ずつの6人きょうだいでした。

(1858年 きょうだい達と。1番左がダウマー。
末弟が産まれる前後)


家は貧しかったものの家族仲は良く、特に歳が近い姉アリックス(後のイギリス王妃アレクサンドラ)とは結婚後も親しく付き合いを続けるほどでした。

※アレクサンドラのお話はこちらから☟


ダウマーが5歳の時、転機が訪れます。
当時のデンマーク国王に後継ぎがおらず、ダウマー父と母が王家と縁戚関係があった事から父クリスチャンが次期国王に選出されたのです。

もともと容姿に恵まれていたダウマーと姉アリックスは、次期国王の娘として 年頃になると各国の王室から結婚相手として注目されるのでした。

(若き日のダウマー、年代不明)

◆悲しみの婚約解消

そんな中、姉アリックスはイギリスからオファーがあり、ダウマーが15歳の時イギリス王太子エドワードと結婚、渡英しました。

その後ダウマーには、大国ロシアからお見合いの申し込みが来ます。


彼女を訪れたのは、ニコライ・アレクサンドロヴィチ皇太子。

2人は初対面にも関わらず非常に相性が良かったようで、皇太子はダウマーとの会話で何度も笑い声をあげていたそうです。

この日のツーショット写真が残っていますが、初対面にも関わらず、2人ピッタリと寄り添い 大変仲睦まじい様子が伺えますね。↓

(1864年、17歳頃のダウマー)

ダウマーはこのまま幸せな結婚をする予定で、ロシア皇太子妃になるべく準備を進めていました。

そこへまさかの訃報が飛び込んできます。

婚約者のニコライ・アレクサンドロヴィチが髄膜炎で急死したのでした。
21歳でした。


続きます。

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参考

残酷な王と悲しみの王妃 2 (集英社文庫) 


Wikipedia: 日本語

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