人間が神仏に手を合わさないのは人間の終わり

人間の終わりは、神仏に手を合わせる事をしないこと。

人間として神仏に感謝できませんとは
人間として終わり。

食べること、
生きること、
空気がある、
食べ物の恵み、
火、水、風、木、金
全ての存在を神仏と言える。

名称はなんでも良いよ。
命のふるさと、
宇宙の存在、
宗教が怖いとか、
怪しいとかどうでもいい。

不審や不信を拭いさることは
自らあると思うの。
証明しろと、
説明しろと、なぜ理由が必要なのよ。

幸せに生きて、
毎日なんとか嬉しくて、
食べる物に困らず、
貧困でもなく、

素直に生活出来ること。
それを自分の力としないで、
神仏の御蔭様と思うと、
案外楽しいよ、言う話なんよ。

論理的に説明しろと、
証明求める不安心を解決する
ことはできません。

神仏に素直に生活して、
明るく暮らす。

私達は日本人だから、
昔の日本人を御先祖様と
呼び、同じ日本人の価値観を
共有する方を選ぶよ。

昔の日本人は太陽をお天道様
おてんとさまに恥ずかしい生き方は
やらない。行わないよ、嫌と言う話よ。

それを宗教は嫌、
怪しいとか、
ゴメン、貴方の頭の構造に
着いて行けない。

野暮な人に見習えない。
(ひねくれた人)
それを受け入れるのが、
多様性なのかな?
それが平等なのかな?

無理やーーーーーーーーー。

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