自粛の解釈と監視社会



自粛警察とは何か
簡単に言ってしまえば警察の真似事をする一般市民で、行政からの自粛要請という大義名分のもと自粛に応じていない人やお店を監視し警告する人達の総称である。今回の騒動では悪い部分が目立ってしまったが、相互監視というここでいう「警察」の観念は日本にいれば何度も経験していることであり、一概に悪いとは言えない。

学校で例えるならば集団登校、勉強や受験(両親、学生同士の監視)、制服の身嗜みなど規則事項(学生、教師の監視)、児童の夜間出歩き(警察、近隣住民)などがある。これらは我々の中では一般常識として既に処理されている為、特に疑問に思うことはないが、これも相互監視により成り立っている。


では今回の自粛警察はなぜ悪い所が目立ってしまったのか。それには彼らの行動を理解し心理的分析をするといいだろう。

まず彼らの行動として①他県のナンバーに嫌がらせ②営業している店舗への威圧行為③外で遊んでいる人の通報④ネットへ晒して攻撃などが挙げられる。

このような行動が起きるのは彼らの心理的状況が著しく偏ってしまったからである。
その1つめとして嫉妬心が挙げられる。これは自分が我慢して自粛しているのに対し、他人が外で遊んでいた場合、自分が損しているように感じるからである。ゲーム理論のように、損だからと割り切って自分も遊べるような合理的判断ができれば別であるが、人間必ずしもそうなるとは限らない。感染リスクという危険性があるうちは損だと分かっていても我慢する人も多い。その為抜け駆けしている者への負の感情を抱いてしまう。

2つ目は正義感である。これはとても厄介な感情で、自分の行動を抑制できなくなるケースは多々見られる。なぜなら人は正しい事を愛するので、自分が正しいと信じて疑わない場合、それを他人に強制してしまうからである。しかも一件それは社会の為、他人の為のように思われるがそうではない。自分が正しいことを正当化するための利己心が根底にあり、自己肯定による存在証明である。
今回の自粛警察も同様で彼らは彼らなりの正義感で判断が鈍り、善悪の行動を誤ってしまったのではないだろうか。


自粛の解釈
そもそも自粛というのは自分でつつしむことであるので、誰かに強制されるものではない。政府が法律的に禁止にできないからといって自粛にしたのであれば、それが個人であっても他人を拘束する行動は間違いである。

もっと説明的に述べるなら、なぜ自粛しなければならないのか考えてみよう。単に言えばコロナウイルスの感染リスクを避ける為である。つまりそれは安全を確保できているならば、自粛していると解釈できる。安全が確保されスーパーやコンビニの密集を避けられるならばそれに越したことはない。

上記が不合理と感じるのであればまず自粛という国民自身に責任をおしつけた政府に抗議すべきではないだろうか。

もし仮に政府にそのような相互監視のら意図があったならば、自粛警察の起因は政府の不始末といえる。法的に禁止することはできないからといって、中途半端に介入したことがこの結果をもたらしたのである。

寄稿者ぐろ

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