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心の複雑性を養う

先日、半年前から執筆のサポートしている大学生と話していると「何を大切に生きていきたいか」というテーマになった。彼女は「食を通して楽しさや幸せを届けるのが豊かであり、大切にしていきたい」というようなことを話していた。

その言葉を受けて、私は「豊か」という言葉に引っかかってしまう。辞書では、豊かは「満ち足りて不足のないさま」と説明されている。「豊かな社会を築こう!」なんて、常套句の一部として使われがちな「豊か」を、結局はどういう状態かを考える人は少ないのかもしれない。

「豊かな人生を歩みたい!」なんて言う人は、「楽しい」や「面白い」などポジティブな感情で満ち溢れていることを指しているように感じる。一方で、私はポジティブな感情も、ネガティブな感情も共存しながら生きるのが人ではないかと思う。切なさも悲しさも、怒りも、悔しさも、私にとって大切なモノだから、楽しいを重視して生きるようなことはしたくない。それが私にとっての「豊かさ」なのかなと思ったりする。

少し話は変わるが、「複雑系科学」という学問分野がある。「複雑系科学」とは、部分が系の全体としての挙動にどのような関係性を持つのか、どのように系が相互にあるいはそれが属する環境に関係性を持つのかを研究する手法である。詳しい内容は省略するが、複雑系科学では「多様性」について言及されており、「多様性がないと絶滅の危険性が高まる」とも言われている。

これは社会や生態だけでなく、人の感情にも言えることではないのかと考えてる。「楽しい」だけでは物足りない。「悲しい」だけでは苦しくなってしまう。多様な感情を養って、複雑性を心に宿さないと、「豊か」に生きられないのでは……というのが「豊か」に対する私の見解だ。

感じてはいけない感情などない。楽しく生きている人だけが、素敵なのではない。複雑な感情から逃げずに、向き合う人を私は尊敬する。

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「繊細と見られるがゆえに、弱いと思われることが多いです。そのためか、『こいつは何を言ってもいいだろう』と思われて、強い言葉を浴びせられたり、怒鳴られたり……。そうなると対等に話せなくて、逃げたり、その人と同じコミュニティだったら、コミュニティから抜けるようなことをしなくてはいけなく、理不尽だなと思うのです。どうすればいいんでしょうか」

月に2回通っているカウンセリングで、悩みを打ち明けてみた。先生からは「辻野さんは、自分のことを弱いと感じますか?」と逆に問いを投げられた。

自分のことを弱いと感じたことは正直ない。むしろ「繊細だ」と言われていることも、しっくりこない。同居人からは「人間を100分類しても、あなたは繊細に入るよ」なんて言われたけど、実感はない。

繊細かどうかはわからないが、言葉に対しては誠実に向き合ってきたなと思う。相手から投げかけられた言葉に違和感があれば、なぜ違和感を持つのか言語化するし、感情に対して一つ一つ定義をしてしまう。その行為が世間的に言われている「繊細」に繋がるのだろうか。そもそも「繊細」ってなんなのか、今の私はわからない。

先日、飲み会で「ゆいの繊細さを活かせる会社なんて、日本にはないと思うんだよね」と言われて、違和感を覚えた。そもそも私は私を繊細だと自認していないし、仮にそうだとしてもその繊細さを会社に受容してもらおうと思うのは、なんて烏滸がましいことではないか。私が持つ繊細さなら、活かすのも、殺すのも、私次第でしょう?

「社会的には繊細=弱いという認識がありますが、それは間違っているなと思います。今まで話して、辻野さんが持つ繊細さは強さだと思いますよ」という先生の言葉が、温かな光のようだった。

まだまだわからない。繊細と評されるものを持つ自分が、どう社会と付き合っていくべきかを。これをどう強さとして活かし、人と付き合っていくかを。

それでも、今まで歩んで生きた人生から、強くあれるヒントくらいはあるだろう。少しずつ、無理せず私らしく強くあれる姿を探していこうと思う。





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