マジックマッシュルーム

午後一時にシャワーを浴びるのがいい。十二時でも、二時でもいけない。それは必ず午後一時でなくてはならない。

私の家のシャワールームはとびっきり白くて大きい、というか細長くできている、ボーリングができてしまうかもしれない。私がこの家に引越しを決めたのもこのシャワールームが気に入ったからに他ならない。ドアを開けるとあなたは細長い長方形の短い辺のほうに立つことになる。少し薄暗いかもしれないが、電気をつけてはいけない。そこから一歩、二歩、三歩、四歩、五歩進んだちょうどボーリングのピンが立つべき場所に白い浴槽が佇んでいる。脱衣し、ドアを背にして浴槽の中で立ち、ちょうど斜め四十五度上を見上げたところにレバーでがぱっと外に開く三角窓を開けると薄暗い浴室に一筋の光が差し込む。

あなたは熱々のシャワーで狭い浴槽の中で慌ただしく逃げ惑うことのないよう、細心の注意を払って適切な温度の湯が出る位置までバルブをひねる。するとシャワーヘッドから降り注ぐ水の線が空中で三角窓から差し込んだ光線と交わって、君の体に黄金色の線になって降り注ぐ。水道代はどうせ家賃に含まれているのだ、湯気に包まれながら思う存分その化学反応を楽しむことが許されている、事務的に急いでシャンプーのポンプを押す必要もない。或いは、もしかして、あなたは体から洗う人だったかしら。

光のシャワーを浴びたあとは神聖な気持ちになれる。アイルランドのはじけるような緑の大地を蹴って、豊かな鬣を揺らし、輝く全身の筋肉をのびのびと使って走る毛並みの良い馬のような。馬はいい、優しい目をしている。ときどき私は馬を飼う夢を見る、高い頻度ではないが。しかし厄介なことに夢で逢わない間、馬は餌をもらっていないことになっていて、毎度夢で逢うたびに馬はひもじそうにしている。それなのに彼/彼女はこれっぽっちも恨むようなそぶりを見せず、優しさを携えた両の瞳で私を見つめるのだ。私は黙って見つめ返す。そんな私の情けない悲しそうな姿が彼/彼女の瞳に反射して、私は馬の瞳の中で私と見つめあうことになる。

しかし私と見つめあっているうちにどこか不安になってくる。つまりそこにいるのは間違いなく私であるはずなのに、どこか引っかかる。なんとなくそれは事実ではない気がしてくる。私は左手をおもむろに左頬に伸ばして触ってみる。すると鏡の中の私もなんとなく遠慮がちに(私にはそう見えた)右手をそろりとあげ右頬に持っていく。嘘くさい、動作が不自然で不恰好、好ましい感情は浮かばない。皮膚にハリがなく弛んでいる。強い絶望感と自己破壊衝動に襲われる。コンコンコン!とノックがされ友人に部屋に連れ戻される。そうだ、私はマジックマッシュルームをやっている最中だったんだ。

そんなことを考えているうちに日はどんどん和らいで行ってしまう。青空は見えても光の密度が下がっているのが皮膚で感じられる。煌々と光に照り付けられていた窓の外に見える植木たちは、昼間蓄えた熱を徐々に徐々に排出し、夜に備えているように見える。電球から発せられる光を私はどうしても好きになれない。白い光はひどい、オレンジ色の電球にしても毒々しさはましにはなっても完全に消えてくれることはない。

いつか完璧な太陽を完璧に浴びたいと思っている。私は柔らかいコットン、もしくは麻でできた白いシャツを乾いた風に靡かせて沈まぬ太陽が静かに降り注ぐライ麦畑の真ん中に立っている。私はいつの間にかそこにいて、いつまでもそこにいて、いつもそこにいない。ところでライ麦っていうのは丈夫な植物だから寒冷した貧しい土地に植えられるんだそう。やっぱりね、それは私のものだ。