記者の程度が低い時の適当言ってる麻生太郎

道路が整備されているのだから、物理的に考えれば車とガソリンさえあれば今すぐにでも日本を縦断できるはずだ。空路が整備されているのだから飛行機とパイロットさえあれば世界中どこにだって行けるはずだ。簡単な話だ。しかし実際のところ、ビザの申請のための煩雑な手続き、高額な飛行機のチケット、明日の仕事、家族、ペット、宿泊先、旅先の治安、言語等、様々な要因が我々をこの地に引き留めている。

73パーセントの水分とタンパク質と骨で構成されている我々人体の構成物の割合は今も昔も変わらないだろう。数世紀前の我々の祖先が貨幣の概念を創造し、国境を設立した。おかげさまで人類は発展の途をたどり、ついには神の存在を否定するまでになるが、海を渡るには飛行機を買いパイロットを雇うのではなく、まずビザの申請をしパスポートを発行せねばならない。おかしな話だ。イギリスの人類学者ロビン・ダンバーによれば人がスムーズかつ安定的に関係を維持することができる人数の限度は150人程度だそうだ。おそらくは国家が国家として機能する人数にも限度があり、その最適化された結果が今の世界地図に表記された醜い境界線なのであろう。ビザの申請もやむをえまい。

朝5時の始発を捕まえる為にスケートボードを飛ばす。今日は氷点下でないからダウンじゃなくて大丈夫なはずだ。Dollarama Storeの前にいつものホームレスたちが横たわっている。彼らを縛っているの金銭的問題なのだろうか。彼らはいつの日にかやってくる死の瞬間までこのDollarama Storeの前で過ごすのだろうか。テルマ&ルイーズのように、あるいはソナチネの北野武のように、未来さえ手放せば我々は彼らのようにどこにでも行けるようになるのか。ホームレスと我々の間にいったいどれほどの違いがあろうか。我々は不自由だ。

アマゾンの少数民族ピダハン族の言語には過去・現在・未来といった時制が存在しない。また色・左右・他人と自分との区別・神や宗教といった概念も存在しない。麻疹が流行した1950年代に宣教師のダニエル・エヴェレットはピダハン族にキリスト教を布教しようとした。しかし、苦しみや死後の恐怖もないピダハン族には神や宗教の必要性が全く伝わらなかった。ダニエル・エヴェレットはその後8年にわたり彼らとともに生活をし、彼らの言語の研究に没頭したそうだ。資本主義の世界に生きたことのある人間が仮にこの民族の生活に足を踏み入れるとして、果たしてその生活を自由や幸福として受け取れるのだろうか。

若しかしたら我々を縛り付けているのはこの社会ではなく、我々自身の想像力であるかもしれない。我々は今より一歩先の幸福を夢想し、その一歩の隙間に不自由を感じている。ピダハン族との明確な差はそこではないだろうか。だとするならば我々が自由を享受できる範囲はおのずと見えてくる。ビバ・人類、我々は自由だぞ。



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