イッヒ・リーべ・ディッヒ、フランク

すっかり気温が上がって空気が緩く、やわらかくなったように感じられる。斜陽が駅前のロータリーをとっぷりとガソリン色に染め、行きかう日本人が例外なく共通に持ち合わせているダークブラウンの瞳が懸命に陽光を吸収し薄目の中から漏れ出る金色が優しかった。駅までの通り道の桜並木の花びらたちは月曜日の風にさらわれて公園の地面を埋め尽くしている。だぼついたフーディーに身を包んだ青年たちのスケートボードが固い地面を蹴って、地面に伏して眠りかけていた桜たちに再び命の息吹を与えていた。電車の混雑を嘆いている学生と社会人の社会性がまぶしい。中途半端な社会人である私には春を形容するようなするような出会いも別れも節目もへったくれもなかった。季節限定の桜のスイーツはちっとも食欲をそそらない。駅構内に充満するビアードパパの香りが鬱陶しい。

1月、マイナス1度の風がスケートボードを蹴り進める私の頬をかすめる。朝5時の始発のバスに乗るいつもの顔ぶれが徐々に上る朝日に浮き上がり、揺れる。車窓に反射していた私のひどく疲れた顔も徐々に高まる車内の明度とともにフェードアウトしていった。本当にそうであったらいいのに、と思った。睡眠時間を犠牲に自身の能力不足を何とかカバーし切り抜けた12月までの冬セメスター、明らかに場違いな職業訓練と面接練習、対しプロモーションを受けるルームメイト、転職の決まった上司、それを受けてざわめく職場。自身のコントロール外からの何かに突き動かされ常に全速力で走らされ続けているような日々が続いていた中での、周囲の喜ばしい前進、勇気ある前進。何も選ぶことのできない能力のない自分への羞恥心と慢性的な体調不良で道端に落ちている吸殻を見かけるだけでも悲しみが込み上げてきて何も手に付かなかった。

母は呻いた! 父は泣いた
危険な世界へ わたしはおどりこんだ
たよりなく 裸のまま かんだかく泣き
雲間にかくれた悪鬼のようだ

父の両手の中で じたばたもがき
おむつをはねのけようと 蹴りにけるが
しばられ 疲れ わたしは考える
母の胸にすねているのが いちばんよいと

かなしみという名のおさなご/ウィリアム・ブレイク

私は私の人生において継続的な努力と社会性を要する何かの物事に真正面から向き合い最後までやり遂げたことが一度もない。やめるということも一つの決断である、と換言することもできるだろうがその決断の一つ一つ、点の一つ一つを結んで答え合わせができるのは私が死に最後のピリオドが打たれた時のみである。しかしながらそれに甘んじ、今まで母の胸にすねて、すねて、すねつづけた全てを美化することなど私には到底できず、またこうして性懲りもなく南国への留学を企てている。

私はこのコンプレックスを払拭し自分の人生をひとつ前進させねばなるまい。今年23歳を迎える人間の多くは大学を卒業し今月から社会人生活が始まっていることだろう。一方私は能力がないのにもかかわらず海外進学などという遠回りをしたばかりに要らぬコンプレックスを抱え、その清算に労力や時間を費やしている、愚の骨頂だ。

しかしこれがぼくたちのすることである。夢を見続け、そしてぼくたちの夢はそれをありありと想像できるのと同じくらい鮮やかに目の前から消え去る。好むと好まざるとによらず、それが現実に起ることである。そしてそれが起ることであるから、ぼくたちには、利口な、よい熊が必要なのだ。
(中略)
ボブ・コーチは最初からそれを知っていた。取り憑かれなければいけないし、しかもそれを持続しなくてはいけないと。開いた窓の前で立ち止まってはいけないのだ。

ホテル・ニューハンプシャー/ジョン・アーヴィング

しかしながら私は私の愚かさに絶望しない、それは開いた窓の前で立ち止まることだからだ。私はよい熊を私の中に見出すことができるだろうか、それとも今後他者に見出すのだろうか。分からない。分からないが、とりあえず今は私は私の愛する人間にとってのよい熊になれれば良いと思う。私にとってのよい熊の赤子はもう既に私の内部に芽吹いているかもしれないし、或いはいずれ現れるかもしれない。その存在を迷いなく断言できる日が来るまで私は開いた窓の前を通過し続けよう。

最後に

愛は よくあやまちを犯すが
いつも喜びに傾斜する
こだわらず のびのびと翼をひろげ
一つ一つの心から 一切の鎖を断ち切る

愛は よくあやまちを/ウィリアム・ブレイク





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