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世界遺産になった縄文遺跡群を廻る旅 /2つの日時計と2つのストーンサークル -大湯環状列石(1)-

北海道・北東北の縄文遺跡群を廻る旅、
今回訪れたのは、秋田県 のストーンサークル大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきです。

大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきは、秋田県の北部、青森県と岩手県の県境にも近い秋田県鹿角かづのの標高180mの台地にあります。

東京から東北新幹線で盛岡へ、そこから高速バスで2時間弱で最寄り駅のJR花輪線 鹿角花輪かづのはなわ駅に到着です。
駅からはさらに路線バスに揺られること約30分、広々とした遺跡が見えてきました。
旅路が長ければ長いほど遺跡への思いがつのり、到着時の私のテンションはMAXに!

ここは期間限定の公開、
11月中旬~3月末までは、雪のため閉鎖されてしまいます。
あと2か月ほどで、この景色も雪に閉ざされてしまうのです。

これは地面に設置された標識。
この大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきに案内板はありません。
それは約4000年前の当時の様子を感じて欲しいという思いから、ということ。嬉しい配慮に存分に縄文時代を味わいます!

ところで環状列石かんじょうれっせきとは?

環状列石かんじょうれっせきとはその文字どおり「石を環状に並べたもの」で、ストーンサークルとも言われる縄文人が残した遺構です。

今からおそよ3,000~4,000年前の縄文時代後期に多く作られ、大きさは直径は30~50メートルほど、「祭祀や儀礼にかかわるモニュメント」であったと考えられています。

遺跡ごとに違いはありますが、多くは環状の石の下や周辺に墓があり、「墓地としての役割」を持っていたと考えられます。

では、この大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきは⁉
果たしてどんなモニュメントであったのでしょうか。

遺跡の入口には「縄文の森」があります。
この森は現代と縄文を繋ぐ回廊、ここを抜けると先ほどの景色が広がっています。

「縄文の森」
クリ・ブナ・トチノキ・コナラなど
縄文時代の植生を再現。
秋には木の実を求めてリスが姿を表すそうです。

その先が広大な遺跡!
縄文人が作った巨大な遺構は、今から約4000年前から500年間のものであると考えられています。

近くで見ると、幾つかの石でグループを作り、そのグループが連なって大きな環状を作っているのが分かります。

そしてこれらの石の下には、土坑どこうと呼ばれる地面を掘って作った墓がたくさん見つかっています。
配置された石は、その「墓の目印」の意味でもあったようです。

さらにこの大湯環状列石おおゆかんじょうれっせきは、「2つの環状列石」から出来ているという特徴を持っています。

1つ目は「縄文の森」を抜けて目の前にある万座環状列石まんざかんじょうれっせき
「二重の円」でできていて、外側の円は直径52m、約6500個の石で作られています。

そしてこの万座環状列石まんざかんじょうれっせきの東側、県道をはさんだところに野中堂環状列石のなかどうかんじょうれっせきがあります。
こちらも「二重の円」でできていて、万座環状列石まんざかんじょうれっせきより少し小さく、外側の円は直径44m、約2000個の石で作られています。

この2つの環状列石は「ほぼ同時期」に作られたと考えられています。

真上から見た位置関係はこんな感じ。(ガイドブックから)
左が万座環状列石まんざかんじょうれっせき、右がやや小さい野中堂環状列石のなかどうかんじょうれっせき

そしてこの2つの環状列石の最大の特徴と言えるのは、それぞれ「2重の円」の間に日時計状組石ひどけいじょうくみいしと呼ばれるものがあることです。

万座環状列石まんざかんじょうれっせき日時計状組石ひどけいじょうくみいし
野中堂環状列石のなかどうかんじょうれっせき日時計状組石ひどけいじょうくみいし

これらの日時計状組石ひどけいじょうくみいしは、長さ1mほどの大きな石をたてて、そのまわりに放射状に石を置き、さらに外側の円をなぞるように石を置いています。

真ん中に立てられた大きな「石の影」は、

時間と共に形を変える「時計」

さらによく見ると、石の殆どが「細長い石」の中で、円を4等分したあたりだけに「丸い石」が置かれているのがわかります。

分かりやすく再現されたレプリカ

この丸い石が示すのは「東西南北」

「東西南北」と「石の影」
縄文人たちはこれらを使い、
太陽の動きを知り、その角度や長さを変える石の影を見て、「季節を知った」と考えられています。


日時計状組石ひどけいじょうくみいし
は、食べ物を得るための狩猟・採集を行う季節や、雪に閉ざされる時期をなどを知るための「季節時計」であった…と言えそうです。

さて、それぞれに「季節時計」を持った2つの環状列石。
では2つあるのは何故でしょうか?

「2つの環状列石の中心」を結んでみると、そこにはそれぞれの日時計状組石ひどけいじょうくみいしがあります。そしてこの結んだ線が指し示しているのは、

「夏至の日没の方向」

一年で一番昼間が長い日を知ることは、短い春・夏の訪れを知るためであったのようです。

冬の訪れを知ることも大切ですが、恵みの季節の到来は何よりも心が弾む知らせであったに違いありませんね。
夏至の日没を眺めながら、祭祀などが行われたとも考えられています。

2つの環状列石の石の総数は約8500個、大きさは約30㎝~1m、重さは約10㎏~200㎏。
それらは近くを流れる川の2~4㎞上流から運ばれたと考えられています。

これらを運び

「季節時計」と「夏至の日没の方向」を手にいれる

それは雪深く冬が長いこの地域の人々にとって、「生きていく為になくてはならないものであった」そして「夏の到来を喜び、神に祈り、連帯を深めた」。

当時の人々の生き抜く知恵と、厳しい生活の中にも楽しく心華やぐ時があったことに思い馳せているうちに、私の高揚した心も穏やかに。そして多くの縄文人が眠る場所…彼らを思い心の中で合掌。

次回へ続きます。

*参考資料
大湯環状列石ガイドブック
世界遺産になった縄文遺跡 岡田康博編 (株)同成社

最後までお読みくださりありがとうございました☆彡

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