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写真が貴重だった時代の考古資料の記録術

この美しい色彩と繊細な絵画は、考古学者でも、画家でもなかった、高津眞亮たかつしんすけ(1891~1985年)による考古資料です。
現在、神奈川県立歴史博物館の常設展の一角で見ることができます。


彼は1940~60年代にかけて、神奈川県横浜市北部において遺跡の調査研究をおこなった郷土研究家でした。

考古学の専門教育を受けておらず、家業の米殻薪炭業を営みながら、考古学者・民俗学者である鳥居龍蔵らが主催する「武蔵の会」に出入りしながら、独学で考古学の勉強をしました。

さらに独自に調査・発掘を重ね、縄文土器や弥生土器などをはじめとする多くの考古資料を収集するとともに、時にはそれを復元し、図化や記録作成を行いました。

この時代は、カメラやフィルムはまだまだ貴重品で、資料をコピーすることも出来ず、何から何まで手作業でおこなったのです。
また、資料の保存・記録の作成方法が確立しておらず、自らで思考錯誤しながらの作業を重ねたとのことです。


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上部には右から「横浜市港北区大熊町出土」「昭和二十三年四月」と書かれています。コンパスを用いて描かれた上から見た図、側面から見た図には、繊細な文様が描かれています。


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弥生式土器と記録図です。図の右側に描かれている土器の輪郭線は、土器の厚みも考慮しているようです。


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土器破片が水彩で丹念に描かれています。絵画の心得はなかったため、絵具の調合にも試行錯誤したそうです。


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縄文土器の破片のようですが、それぞれの左にある道具のようなものは、スケールでしょうか?


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NOTE BOOKに描かれた〝髙津〟の文字も美しい。人となりが伺えます。


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資料について事細かに書かれています。
全てが手書き、ほんとうに頭が下がる思いです。

情報がほとんど無い時代、考古学にかける好奇心と情熱で作り上げられた資料は、私たちにその内容以上のものを与えてくれるように感じます。

きっと各地で、このような資料を残してくださった方がいるかと思います。その方々のお陰で、私たちが多くのものを目にできることに感謝いたします。


最後まで読んでいただき有難うございました☆彡

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