【短編小説】見知らぬ女
夫は妻をとても愛していた。
妻は本当に綺麗で、賢く大人しく優しかった。
夫は会社から帰宅すると、妻がいつも静かに微笑んで、彼の話をいつまでも聞いてくれるのが嬉しかった。
その話とは、会社の人間関係の悩みとか、出世争いとか、彼の仕事上の愚痴も含まれた。
それだけで夫は満足だった。
妻に話を聞いてもらえるだけで、全てが癒される気がした。
夫は癒えていく自分を感じて、幸福だった。
二人はいわゆる「できちゃった婚」だったので、二人だけの新婚生活の時間は少なかった。
そのせいか、夫は30代の働き盛りの頃、会社の年下の女性の部下と丸5年不倫をした。
「俺は、仕事も女も出来るんだ」
夫は、仕事だけじゃなく、愛人が出来て、プライベートも充実している自分に自信を持った。
一度だけ、妻がベッドで一緒に眠っている夫にこう言ったことがある。
「私の知らない女の人の香水の香りがするわ」
夫は妻の隣で寝たふりをしながら、冷や汗をかいた。
妻が夫の不倫について、言及したのはこの時だけで、それ以外妻は全て夫の不倫を見逃した。
夫は妻に感謝した。
夫は妻が「理想的な妻だ」と思った。
夫は50代になり、夫婦の一人息子も立派な社会人になった。
「これから二人で海外旅行でもしようか」などと夫婦で話していたところに、妻が買い物帰りに交通事故に遭い車に曳かれた。
妻は重篤になり、手術で家族の輸血が急に必要になった。
その時息子の血液型が、夫婦の子供では有り得ないことが判明し、夫は驚愕した。
「一体、どういう事なんだ。」
夫はすぐには理解できなかった。
妻はその後亡くなり、食器棚の机から妻の日記が出てきた。
夫がその日記を読んでみると、妻は結婚前に付き合っていた不倫相手の子供を妊娠しており、それを隠して夫である自分と結婚したのだった。
夫が会社の女性の部下と不倫していた間も、妻は妻で昼間自分の子供の本当の父親である不倫相手とホテルで逢引きをしていた。
「俺はこれからどうやって息子に接していけばいいんだ。」
夫はそう思う。
息子も今回のことで精神的におかしくなっていた。
「あの女は一体誰だったんだ?」
夫はよく知っているはずだった自分の妻が突然見知らぬ人間のように思えてならなかった。
<了>
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