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アフリカに帰ってきて思うこと

4月19日早朝6時、強い日差しに乾燥した空気、花束で家族や恋人を出迎える着飾った大勢の人々。

2年ぶりにアフリカに戻ってきた。
まさか私がアフリカに帰ってくるなんて。いまだにちょっと信じられない。
それでも空港の外にでて思ったことは”帰ってきた”だった。

つらい、悔しい、なにもできない、向いていないんじゃないか、間違っていたんじゃないか。そんなことばかり思っていたザンビアでの日々。不完全燃焼でザンビアを去ったあの日。

平和で安全で暮らしなれた日本で穏やかに暮らそう。身の丈にあった暮らしをしよう。そう決意していた。

それなのにまたアフリカに戻ってきた。また単身生活が始まった。また国際遠距離がはじまった。

任期半ばで日本に帰国し、公務員になった。日本での地域保健を学びたかった。優しく穏やかな同僚に囲まれ、地域の人々と関わる日々は平穏そのものだった。通勤途中にSNSを開くと、留学先で必死に授業や研究にくらいつくひと、海外出張に飛び回るひと、任地に戻り活動を再開するひと、任期途中での緊急退避という想定外の展開にも関わらず、着実に前に進む同期の姿が目に入る。気づけば、毎日のように求人サイトを見ては、応募できそうな案件はないか血眼になって探していた。

平穏がいかに尊いものかは知っていた。公務員という安定し立場、ひとに恵まれた職場環境、快適な住空間、好きなときにおいしいものを食べ好きなひとと会い自分を満たすことのできる環境があることに満足してしまえばいいのではないかと何度も思った。あんなに苦労ばかりの日々だったのに、また現場に戻っている同期の姿がまぶしくて、うらやましくてたまらなかった。指をくわえて見ているだけでは納得できなかった。もう一度挑戦したい、試したい、もっと知りたい、そんな思いで求人に応募した。

そしてついにアフリカでの駐在生活が始まった。組織の一員として、日本と相手国双方の方針に沿った援助が実現できるように調整する仕事。自分の意志、考えだけでは動けない。自分の思い描く国際協力との不一致に苦しくなったり、失敗して自信を失ったり、うまくできない自分が嫌になったり、背伸びすることに疲れたり、挑戦にはつきものの苦しみが待っている気がしている。

30代に向けて攻めを選んだこの選択が正しかったと思えるかは3年後にしかわからない。

”国際協力”がぼんやりと将来の選択肢になった15年前。執着のようにここまできてしまった。進路に悩んで泣いた日も、結核病棟に配属になって泣いていた日も、任地でなにもできない自分を受け入れられなくて泣いていた日もあったけど、国際保健を仕事にして生活できる日がやっときた。

きっと半年後、1年後にはここでの生活にも慣れてきて、モチベーションが行方をくらます日がくると思う。そんなときに読み返して、もう少し頑張ってみるかと思ってほしい。

ザンビアで迎えた3年前の誕生日。

3年後、あの頃憧れていた大人になれているだろうか。

今日はエチオピア正教の断食明け。朝から町中でアイヤイアイヤイヤーという女性たちの甲高い叫び声とエチオピアンミュージックが鳴り響く。毎年イースターとともに、エチオピアでの暮らしがはじまった日のことを思い返すことになるだろうな。

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