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将来の夢!!!!!

前回の投稿で、○○=私と皆さんに思ってもらえるように頑張りたいとお話しました。
今回は、その○○の部分につながるようなことをお話していきます。

長くなってしまうかもしれませんが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

理学療法士を目指した理由

私の将来の夢は、理学療法士に合格してからやっとスタートラインに立てるので、まずは理学療法士を目指した理由から。

目指すことを決めた時期

私が理学療法士を目指した時は、中学校3年生の時です。
中学校3年生というと、15歳になる年ですね。
今年で22歳なので、理学療法士を目指して7年になります。
これを計算していて、もう7年になることに自分でも驚きました。

きっかけ

きっかけをひと言で表すと、おっきいばあちゃんが亡くなったことです。
あ、私は小さいころから、曾祖母にあたるおばあちゃんをおっきいばあちゃんと呼んでました。
中学校3年生の時、慢性腎不全で亡くなりました。

私が小さいころ、日中は父も母も仕事にでていて、祖父母も仕事で出かけることが多かったので、おっきいばあちゃんにずっと遊んでもらっていました。必然的に私はおばあちゃん子通り越して、ひいおばあちゃん子です。

そんな大好きなおっきいばあちゃんが亡くなる前、
分かっていたのに、私は何も言えませんでした
中学生の私は、病院は絶対みんなが元気になる為の場所だから、入院したことも家に戻る為だと思っていました。
おっきいばあちゃんが入院しているときも、絶対家に戻ってきて、また一緒に過ごせると信じてました。
しかし、集中治療室にいるおっきいばあちゃんの姿を見たとき衝撃でした。
どこかで覚悟決めなきゃと思いながらも、また家に戻ってくると思っている自分もいて、本当に何も言えませんでした。

これまで沢山遊んでもらって、花の名前も畑の事も教えてもらって、
おっきいばあちゃんの部屋で一緒に寝たときに色々な話を教えてくれて、
早起きして鎌で草刈りしたり、もっともっと沢山思い出があって、
それなのに"ありがとう"の5文字ですら言えませんでした。

たった5文字の"ありがとう"を言えなかったことずっと後悔しています。
後悔しているだけだと何も進まないと思い、忘れるわけではなく少しずつ思いの方向を転換し前へ進んでいます。

方向転換した先

母の職場に手伝いに行くことや遊びに行くことがよくあったこと、介護職をしている母の影響もあり、高齢者の方と関わることが好きだった私は、高齢者の方を一人でも多く笑顔にできる人になりたい、そうすることでおっきいばあちゃんへの感謝の気持ちが伝わるのではと思いました。
もう直接伝えることはできなくても、何かの形で表現できればと考えました。

介護の現場には、介護福祉士や理学療法士、作業療法士、看護師など様々職種の方がおられます。
その中で、身体の基本的な部分をみる職業である理学療法士を目指すと決めました。
中学生の私は、基本って大事だから!という感覚でした。

高校生になっても理学療法士を目指して、進学先を決めるとき、島根リハビリテーション学院のパンフレットに載ってた"介護予防"という言葉に目が止まり、これだ!!!と思い、進学先も即決しました。
何より、将来は奥出雲町の三沢で働きたいと思っていたので、4年間地元に居ながら、将来に向けての勉強ができることが一番の決め手でした。

将来の夢

ここまで長々と理学療法士を目指した理由を話してしまい、長文の確定演出が出ております。大変申し訳ありません。もう少しお付き合いください。

理学療法士介護予防三沢地区
この要素があったら、きっと私にしかできないことができるのでは!!と思いました。
なんてったって、専門学校1年生の時のある授業で私が掲げた目標は
"唯一無二の理学療法士になる!!"ですから。
どこかの海賊を彷彿させるような言葉ですね(笑

前回の投稿でも書いた通り、三沢はとっても小さなまちです。
小学校の行事には必ず地域の方に関わってもらって、
登下校では「おかえり~」と声かけてくださる方がいて、
三沢のお祭りではお囃子もやらせてもらうなどなど、
今、振り返ってみると沢山可愛がってもらった小学校6年間だったなと感じます。

地域が元気になるためには、地区全体の人口を増やすような取り組みや関係人口を増やすような取り組みは凄く大事だと思います。
私の中では、それではなにか物足りなくて、、、、、
その地区に住んでおられる方がずっと元気でいれることも大事なのでは、、、、と考えました。
三沢に住んでおられる方は、私が小さいころ沢山お世話になった方々ばかりです。その方々の為に、私が何かして、できるだけ長く住み慣れた三沢で笑顔で元気に過ごしてもらえるような環境を作ることができたら、恩返しになるのではと考えました。そうすることで、あの時に伝えることができなったおっきいばあちゃんへの感謝の気持ちを表現することができるかもと。

私のこれからのVISIONは
三沢の方が笑顔で元気に過ごすことができるような環境を作ることです。

具体的に何をしていくかというと、、、

1.介護予防事業
私なりに介護予防という言葉を、"自分の馴染みのある場所で元気に笑顔で過ごせる時間を長くする"と捉えています。
三沢地区の人が住み慣れたところで生活を営むことができるように、介護予防という形で支援できればと思います。
介護予防教室などを開きたいな、、、と思っています。
一番の目的は、人と関わる時間や場所を確保したいことです。
運動はできてもできなくてもよくて、お茶しに来る、話しに来る、そんな感覚でふらっと来れる場所を作りたいです。

2.服屋さん
あれ、理学療法士どこ行ったってなった方も多いと思います。すみません。
きっと本当に困ってる人は家から一歩もでない、出る機会がない、出たいと思わないという人ではないかなと思います。
そう考えている方に、介護予防の体操しましょう、運動しましょうと誘いだすのは、なかなか難しいことです。
じゃあ、どうするか。
どんな人の生活の基本である"衣・食・住"大事なものです。基本的なものからアプローチしていくことが重要なのではないかと考えました。
その中で、衣なら私にできると!!と思いました。
理学療法士として対象の方の身体を評価した上で、その人に合わせた服を作成することや着にくくなった服を手直しすることで、この服あるけん外出てみようかなというきっかけの一歩になればと考えました。
ボタンがとめれない、チャックがしめれないなど小さなことでもできなくなるとショックですよね。だったら、できるように服を変えちゃえ!って思いました。

今、私の中ではこの2つの構想があります。

目の前の目標

でも!!!
いきなりできるかって言われたら、私には自信がないです。

自信がないから逃げるわけではないですが、まずは12~3年理学療法士として働こうと思います。
正直長い期間ではありますが、まずは5年頑張って登録理学療法士できたらケアマネジャー、さらにそこから5年頑張って地域か介護予防の認定理学療法士をとりたいと考えています。
地域というまだまだ未開拓の地で、独立した理学療法士が人からの信頼を得る為には、自分がどんな勉強をして、どんな風に地域に利益があって、どんなことができるのかということが分かりやすかった方がいいのではないかなと思います。
急がば回れとはきっとこのことです。

色々な分野を経験して、沢山の技術・知識を身につけて、胸を張って
あなたの人生背負わせてください、私に任せてください
って言える理学療法士になります!!

まとめ

なんと3000字になってしまいました。

大変長くなってしまいましたが、自分としては1つの決意として書かせていただきました。理学療法士を目指した理由や将来の夢など、ざっくり言う機会はありましたが、こんなに詳しく話をすることは初めてで、まとまりのない文章になってしまったなと反省中です。思いのままに書いてしまいました。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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