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【過去回想:2】一瞬のためらい一生の後悔 ~傍観者効果~

お久しぶりです。naitoonです。

めちゃくちゃ久しぶりにnoteを書きます。

一瞬の間違えた判断が、一生の後悔をうむ。

一生とまではいかなくても、長い間後悔するような経験を一回くらいしたことがあるのではないでしょうか。

自分にもその経験があります。

それは私の大学の入学式の日のことでした。

この日はとてもタイトなスケジュール。

まず午前中に武道館で入学式に参加し、お昼に銀座で楽譜を購入し、午後に後輩たちの合唱のコンクールの応援にとあるホールまで移動する予定。

事は、銀座で起こりました。

武道館で入学式が終わるとそのまま銀座へ直行。

大学生なり立ての自分にとって銀座はまるで「働く大人の街」。

居心地も悪く、街を歩くだけでソワソワします。居心地の悪さから、なかなか、お昼を食べるところが決まらず、完全に空腹状態。

おまけに太陽が照り付け、スーツを着ている自分にはとても暑い。暑くて暑くてたまらない。

そんな精神的に少しまいってしまったときに、ふとオフィス街の角を曲がると、ありえないくらいの人だかりが鞄屋の店の前に出来ていたのです。

空気が一変しました。何かわからないが、張り詰めた空気と緊張感。

理由はすぐにわかりました。

かなり高齢の女性が地面にあおむけ状態で倒れていました。

全く動きません。熱中症か、心臓発作か、理由はわからないけれど交通事故などではなく、体調不良が原因で倒れた様子でした。

状況を理解した後で、もう一度冷静になって辺りを見回しました。

誰一人、救助しようとする人がいません。ざわざわ騒ぐだけでだれもその方に近寄ろうとも、救急車を呼ぼうともしません。

ちなみにこれを社会学では「傍観者効果」と呼びます。

他者に同調してしまい自分が率先して行動を起こせなくなる心理のことです。

さてこの後自分はどんな行動をとったでしょうか?

自分はようやく一人の女性が救急車を呼ぼうと電話を手にしたのを確認した後で、そそくさとその現場を離れてしまいました。

現場を離れた時の自分の気持ちはこう、

「これだけ自分より年上の大人の人たちがいるなら自分はかかわらない方がよい。」

なるべく考えないようにして無心で歩き続けること2分。

すぐに救急車の音が聞こえました。

あまりの迅速な対応に驚く一方で、気持ちは全く落ち着きません。

理由は、救命の知識をたまたま持っていた自分が、まったく我関せずといった様子でその場を離れてしまったから。

あの時の女性は本当に助かったのでしょうか?

だれも胸骨圧迫も人工呼吸(最近はあまり推奨されないが)も行っていなかった。

本当に行わなくて大丈夫だっただろうか?

自分は何日たってもあのおばあちゃんのことが心配でした。

でも助かったのか助かってないのか、知るすべはありません。

大学を入学して、社会学の授業で「傍観者効果」という言葉を習ったときに、真っ先にこの体験を思い出しました。

正しい知識さえ持っているならば、人助けとか救命とかそんな綺麗ごとは考えず、とりあえず自分の気持ちを落ち着かせるためにもまずは行動することが大事なのかもしれません・・・






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