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【世界史:4】ジョンロックと日本の法律の関係性

こんにちは、今回はジョンロックの思想を紹介します。

ジョン・ロック wikipediaより

イギリスの世界的にも有名な哲学者、ジョン・ロックは「社会契約論」のもとに、絶対王政が続いていたイギリスで、絶対王政を批判し、市民による政治を行うよう訴えた偉大な人物です。

今ある民主主義の基礎を作った人といってもいいかもしれません。

数か月前に、ロックの『市民政府論』を読んだときに、極めて現代にも通じる点が多く、むしろ現代人が改めて意識しなければいけないことも数多く含まれていると感じたため、彼の思想をnoteで紹介することにしました。

彼の思想はイギリスの名誉革命、アメリカの独立宣言のみならず、現代の日本国憲法、法律の土台になっているのです。

そこでこのnoteでは、ジョンロックの思想と日本国憲法の関係性について、人間の「死」をテーマに考えてみます。

私が特に重要と考えているロック主張は以下の文章です。
以下の四つをまず読んでください。難しいことを言っていますが、後で説明します。

 

「人間は、前に証明したように、生まれながらにして世界の何人(一人また多数の)とも平等に、完全な自由と自然法上の一切の権利特権を無制限に享受する権原をもっている。それ故に彼は本来、ひとり自分の所有すなわちその生命自由および財産を他人の侵害襲撃に対して護る権力をもっている。」
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P88)

 

「自然状態においては自然法の執行は各人の手に託されているのであって、このようにして、この法に違反するものを、法の侵害を防止する程度に処罰する権利を、各人がもつのである。」
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P13

 

「何人かの人々がおのおのの自分の自然法執行権を棄て、これを公共に委ねるような仕方で一つの社会を結成するならば、そこに、そうしてまたそこにのみ、政治的または市民的社会が存するのである。」
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P90

 

「ところで政治権力とは、所有権の規制と維持のために、死刑、したがって当然それ以下のあらゆる刑罰のついた法を作る権利であり、そうしてこのような法を執行し、また外敵に関して国を防御するために共同体の力を用いる権利であり、しかもこれらすべてはただ公共の福祉のためにのみなされるものである、と自分は考える。」
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P9

 

難しくてわかりづらいですよね。ちょっと簡単に言い換えられるかわかりませんが、説明しますね。

ロックによると・・・

人々はみな、命、身体的自由、財産を他人から守る権利を持っていて、仮にそれを侵害するものがいたら、自然状態においては侵害されたものは全て、侵害したものに対して処罰する執行権が与えられます。

自然状態とは、「政治国家以前の人びとの状態」のこと、つまり政府のない状態、政治も法律も存在しない時代の素のままの人間ということです。

すでに難しいですね。ここまで、ロックが言いたいのは、

人びとは法律も政治も存在しなかったら本来は自分の手によって自分の身体や財産を侵したものを自由に処罰する権利を持っているということを主張しました。

しかし、ロックは諸問題を解決するために各個人の執行権を公共に委ねることで市民的社会(政治社会)をあえて作り、公共の福祉のために執行権を用いることが重要であるといったのです。

つまり、法律や政府が存在しない世界ではだれもが「目には目を歯には歯を」といったように同害復讐によってやり返しが認められているが、政府や法律がある社会では、個人的なやり返しはみとめられず、その執行権は公共の組織が有していて、また法の執行も復讐ではなく公共の利益のために行われるということです。

うううーーーっむ難しい・・・

例えば自分のお金を盗んだ泥棒がいるとしましょう。

法律や政府がない世界なら、その泥棒からお金を自力で奪い返すことはできる。けれど、法律や政府が存在する世界では、その泥棒に個人的にやり返したらそれはそれでまた犯罪になってしまいますよね。

だからそんな社会では執行権は個人ではなく、「裁判所」という公共の組織が持っています。裁判所が「判決」という形で罪人を罰することができるのです。

そしてこれらは、個人的なやり返し目的ではなく、「社会をよくするため」という公共の福祉を守るために執行権が使われているということです。

なんとなくわかったでしょうか。

それではここから日本の社会に目を当ててみましょう。

テーマはこれです。

日本では殺人は罪に問われるが自殺は罪には問われない。ではなぜこの二つは共通して、いけないことなのだろうか?ロックの思想から考える」

罪に問われる他殺と、罪には問われない自殺。
にもかかわらずなぜどちらもいけないことという考え方が浸透しているのでしょうか?これにはロックの思想が深く関係しているのです。

*この記事はここから先、自殺や他殺をテーマにロックの思想を考えるという内容ですが、自殺や他殺をほのめかしたり、推奨したりする目的は一切ございません。途中で、気分を害された方は閲覧を中止してください。まったく過激な話は出てこないので安心して閲覧してもらって大丈夫です。

まずは、殺人についてです。

他殺とは、誰かに殺められることをいいます。誰かを殺めることを殺人といいます。そして殺人にも種類があります。

一つ目に、故意で行われる殺人です。

これは、大抵の場合、自分が受けた何らかの被害による恨みや怨恨が原因で行われます。よくテレビで報道される一番非道な殺人ですね。

前提として、日本は紛れもなく議会制民主主義の国です。
つまり、政府が存在する国ということです。
この点で、ロックの言う自然状態ではありませんね。

ということは、同害復讐は認めておらず、個人に執行権は存在しないということになります。

個人は執行権(行政権)を政府という公共に委ねることになります。

たとえ自分や身内が何らかの被害を被ったとしても、加害者を勝手にやり返すことはできず、それを裁く権利は裁判所という公共にあり、法を実行する権利は政府という公共にあるということです。

故意の他殺のように、恨みや怨恨があっても日本という市民社会に住む以上、自分で執行権を行使することはいけないことなのである。日本で故意による他殺が認められていないのは、ロックの思想とまったく同じことというのが分かりますね。

二つ目に事故による殺人です。

たとえば、車を運転していてブレーキを踏もうとしたら間違えてアクセルを踏んでしまった。その結果たくさんの歩行者の命を奪ってしまった。最近こういうニュース多いですよね・・・

これも殺人ですが、ここでは恨みなどの原因は関係ないですね。でも、これも絶対にあってはならない行為ですよね。なぜでしょう?

ロックは、

人間は自分自身同様、他人のことも守らなければいけない。他人の自由や身体や財産を奪ってはいけないのである。
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P12-13

とも語っています。


つまり事故であっても他人の体を傷つけることはロックの思想に反するということです。

三つ目に死刑による殺人です。

これに関しては、ロックが認める唯一の殺人です。

なぜなら、政治社会が復讐ではなく公共の福祉のために行う刑罰だからである。
これは、誰かが自分勝手に執行権を行使したわけでもなければ、特定の誰かの利益のために行われたわけでもない。

先ほどから何度も言っているように、今回のケースは、

執行権が公共に委ねられ、公共の福祉のために執行されているため、ロックの思想と合致することになります。

この三つの殺人を言い換えるなら、
一つ目は復讐という個人の利益のための殺人。
二つ目が双方の不利益となってしまう殺人。
三つ目が公共の福祉のための殺人。

ロックが良しとしているのは、公共の福祉のための殺人だけですよね。
日本の法律の記載とロックの思想が一致していますね。
今の日本の法律がいかにロックの思想の影響を受けているか結構実感できたのではないでしょうか。

まだ終わりませんよ。

次に自殺についてです。自殺は現在の日本の法律で禁止されていないけれど、行為として肯定的に認められてはいないですよね。その背景にもロックの思想が関係しているのです。

自殺に関してロックはこのように述べています。

 

「たとえ人はこの状態において、自分の一身と財産とを処分する完全な自由を有するとはいえ、しかも彼は自分自身を、またはその所持する被造物をさえこれを破壊する自由はもたない。」
Locke, john,1690, Two Treatises of Government.(=1968,鵜飼信成訳『市民政府論』,岩波文庫,P12)

 

自分を守る権利は持っているが、その権利を勝手に捨てたり、自分とは言え自分を破壊する行為はしてはいけないということです。

ここでロックは自殺を完全否定しています

なぜかというと、自分自身を守る自己保存権は神から与えられたものであるからです。神から与えられたものを裏切ることはできなかったんです。

日本人にはあまりなじみのない神という言葉ですが、イギリス人のロックはキリスト教徒であったためキリスト教的思想が強いのです。

このロックの思想は国境を越え、海を越え、キリスト教があまり盛んでない日本にまで浸透しました。法律上は規定されていなくてもロックの思想的潮流が日本に流れているということです。なんだか、不思議じゃないですか?

 ここまでロックの思想をもとに殺人と自殺がなぜいけないのかを述べてきたが、結論付けるなら、法律によって決まっているからというわけではなくて、ロックの思想に基づいているからです。というよりも憲法も法律も作られた経緯の根本にはロックの思想があるということです。何百年も前の一人の思想家の考えが今の日本の法律の根本になっていると考えると、ジョンロックがいかに偉大で、影響力を持っていた人間か想像することができますね!!

ここまでロックの思想が浸透したことは、いかにその時代に人々が「死」というものを真剣に捉えるようになったかを考えるきっかけにもなります。百年戦争や宗教戦争など国レベルでの争いが多くなり、人々の「死」に対する価値観が変わっていったのです。そして、ロックが死んだあと、世界は第一次世界大戦、第二次世界大戦を迎えます。戦争という「死」が隣り合わせの経験を人間がしてきたからこそ、ロックの思想に共感する人々が増えていったのです。

こんな感じにちょっと戦争とロックの思想との関係も語ってみました。

すこしでも歴史って面白いなと思ってくれたら幸いです!!

ロックの思想はこれからも受け継がれるんだろうなあ。

ここまで難し宇くてへたくそな話を読んでくださりありがとうございました!!

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