見出し画像

【小説】40歳のラブレター(8)札幌

 僕の大学5年生の秋の最後のラグビーの試合の時も、朝は一緒に車に乗って武蔵野にある大学のグラウンドへ向かいました。おそらく最後になるだろうと思われた試合で、ずっと遠くまで抜けるような青空が広がり、ちょっとだけ朝はひんやりしていて、ラグビー日和という感じでした。朝はカツサンドを食べたのを覚えています。景気付けに。コンビニで買い、車を運転しながらグラウンドに向かいました。
 これが、あなたと一緒に車に乗った最後じゃないかな、と思います。クレスタで。
 結局試合は負けて、僕はそれ以来ラグビーの試合に出たことはありません。でも、ラグビーはこの先も必ず何かの形で関わっていこうと思っています。こんなに太ってしまって、選手、というわけには行かなさそうだけど。

 11月の末にサークルの活動が終わり、あなたと会うこと自体がきっかけがなくなりました。納会があったり、そういう場では会うこともありましたが、それはそれ、というところで、そういうみんながいる場ではなんかあまり話をすることもありませんでした。

 12月になると僕は内定先のコンサルティング会社の同期の女の子と仲良くなり、年があけて1月になってからは彼女と付き合い始めました。トントン拍子という感じですね。3月に卒業するまでは暇でしたので、とにかく彼女とはたくさん会いました。旅行もあちこち行きました。車で。そして4月に社会人がスタートすると同時に彼女と同棲を始めました。実家を出て。会社から近い足立区の青砥で。

 会社がスタートしてからは、怒涛のハードワークで、生きていくのが精一杯という日が続き、そうこうしているうちに、あなたと連絡を取ることも、あなたと会うことも、あなたのことを考えることも少なくなっていきました。

 大学を卒業してから、あなたと会ったのは、二人で会ったのは2回です。そう、この15年間で2回ですね。多いのか少ないのか。その他、みんなで集まったところに僕もあなたもいた、ということはもう少しありましたが、例によってそういう時は、改まって何かを話すことはなかったと思います。

 1回は僕が札幌に行きました。仕事の出張に当て込んで、レンタカーを借りて札幌から留萌方面へ走りました。5月の連休明けで、まだ朝晩の空気は冷たいけれど、オホーツク海を左手に、小高い海沿いのまっすぐな道を、春の風を受けながら走るのは最高の気分でした。そして、久しぶりにあなたを助手席に乗せて。
 この道には風車がたくさん立っていました。海からの風を受けて緩やかに回る風車を見ながら、おみやげ屋さんで買った何か甘いものを一緒に食べたのを思い出します。何を話したのか。何を感じたのか。風車がゆっくりとゆっくりと回っていて、世界がこれくらいゆっくり回ってくれたらいいのに、と思っていました。
 立ち寄った日帰り温泉も素晴らしかったです。海に沈む夕日と波打ち際が見える露天風呂で、海の深い藍色と夕日の濃いオレンジと、波の音をいつまでも聞いていたい、なんて思っていました。
 札幌に戻ってからは2、3軒飲み歩いて、また来るよ、と言ってホテルに戻りました。でも、白状しておきます。僕はこの日、札幌のルネッサンスホテルにとっても高いクイーンサイズのベットのある部屋を用意していました。もちろん、あなたと一緒に泊まるつもりで。結局は一人でだだっ広いベッドに酔っ払って深夜に転がり、気がついたら朝で、高額な費用だけが飛んでいきました。
 誘おう、想いを伝えよう、と思って、結局できなかった、というのは僕も成長がないですね。

 その後、あなたとEが分かれて、Eは結婚して、あなたが一人で、僕も彼女と分かれたりなんだり、うつ病がどうとか、仕事でもえらいトラブルを3度も4度も起こしたり、そうこうしているうちにコンサルティング会社をやめて、独立したりして、30代になり、30代の半ばになり、ふとしたことから結婚をして、子供ができて、自分の会社は思ったよりは上手く行かないけれど、なんとか走り続けていて、時間は気がつけばずずっと過ぎ去っていました。

 あなたと最後に会ったのは2年前の銀座ですね。仕事で東京に来ていたあなたを7名くらいで銀座で囲って、結構飲んだ後、なんか多分、周りがそう仕向けたように思うのですが、あなたと二人で銀座の端っこのバーに入りました。

 カジュアルな方のバーで、入ってしばらくしたら、ミスチルの「終わりなき旅」が流れてきました。昔、Fが少しメンタルの具合を悪くした時に、彼とあなたと3人よく聞いた曲ですね。3人で行ったカラオケでも何度も歌ったと思います。
 僕はだいぶ酔っ払っていて、何を話しのたかよく覚えていませんが、それまでと違って、少しあなたと親密な距離になったように感じたのを覚えています。どうしてでしょうね。大学をでて十数年、お互い特に交わることもなく別な世界を生き、それぞれの道を歩きながら来て、ふとしたことで会ってみると、懐かしい気分とかではなくて、一歩前に進んで来たような気持ちになっていました。僕は。あなたはどうだったのでしょう。
 僕の中では、気持ちは、終わりなき旅、でした。それをもう一度確認した、ということころです。あなたから、翌日「また飲み過ぎていましたね。札幌にもまた来てくださいね」というメッセージが入っていました。これは、まだフェイスブックに残っています。


 そして僕は40歳になりました。あなたは一つ下ですから39歳ですね。
 暦や年齢という概念は人類が発明した偉大なもので、動植物には、人間が勝手にその概念で見ていますが、本質的に、何歳、とかいうような概念はありません。昨日と今日の連続です。しかし、人間には、30代最後の10月15日と40歳になった10月16日は、昨日と今日ではあっても、全く別なものとして定義することができます。僕は40歳になった日の夜、あなたとのことを考えずにいられませんでした。これまでのこと、何があって、何をしてきて、何をしてこなくて、そして今のあなたへの気持ちのことを。40歳というのはそういうことを考えるものなのでしょう。

 僕にとりあなたは今も最も大事な、僕を照らしてくれる光だろうと思っています。ダーク・ストルーブが見た本当の魂の芸術、僕が見た人を輝かせる本当の光、それはいまだにあなたであり続けています。この先も恐らくそうなのだろうと思います。
 そのことは、本当はわかっていたし、この体の中にその光は注ぎ続けていたけれど、その真実と事実を受け入れ、受け止め、では自分が何をすべきか考えるには、僕はあまりにも若かった。年齢が、ではなく、心が。あまりにも未熟で幼かった。
 しかし、その光は薄暮の残光のように、ともすれば消えてしまいそうになっているのも確かです。それは、人間の日常というものが、いかに本当に大事なものとは無縁なことで埋め尽くされているか、という証拠です。そういう日常に埋もれることにより、本当に大事な光は薄れ、いつしか見えなくなっていく。
 だから、40歳になったその日、このようにあなたとのことを振り返った時(ブラックニッカではなくて少ししっかりとした赤ワインを飲みながら)、僕はあなたにこの気持ちを手紙として残しておこうと決めました。それが、僕のとるべき唯一の道だと知りました。そのような行動を決断できるほどに、僕もその赤ワインのように少しは熟成したのだと思います。


 この長い手紙もそろそろ終わりです。ここまであなたが読んでくれているのかわかりません。そもそも、これはあなたに書いているというよりも、僕自身に書いているものです。そんな文章を最後まで読んでくれていることを期待すること自体がちょっとおこがましいようにも思っています。

 でもいいんです。冒頭に書きました通り、手紙というのは、書いたということで、いや、書いてポストに入れた、という行為で、その内容を共有できたと思える力があります。僕はそれで十分です。
 そして、僕はやはりあなたと会いたい。会って、僕の見た光、僕の感じている光、本当の生命の息吹について、あなたに話をしたいと思っています。そして、今度こそ、それについてあなたの思いを聞きたいです。

 あなたの40歳の誕生日の翌日に札幌に行きます。今度の9月ですね。札幌駅の東口の赤いオブジェの前で待っています。夕方の18時からしばらくあなたを待ってみようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?