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【小説】あかねいろー第2部ー 47)勝負の夏ー夏合宿⑤ 入院ー

 さらに20分くらいして、安藤先生はフラフラとやってきて、レントゲン写真を見せてくれる。
「なんだよ、君が結構痛がるから完全に折れているかと思ったら、そうでもなかったよ。ほら、ここ、この首の下から横に出ている骨、真ん中あたりに黒い線が入っているじゃない、これがヒビだね」
3人で写真を凝視する。確かに。鎖骨と思しき、肩の一番上の骨に黒い線が入っている。
「ヒビ?」
「そう、ヒビというのは、つまりは亀裂骨折。だから、骨折ではあるのだけど、そこまで重症ではない」
3人の上に覆い被さり押し付けていた重たい重たい霧が、少しだけ軽くなる。
「ということは、どのくらいで治るんですか?」
僕よりも高田が聞く。
「まあまあ」
そう焦るでない、ということで安藤先生は僕らを診察室に連れて行き、もう一度当時の様子を問診する。そして、写真を見比べて、亀裂骨折の程度と具合を説明する。ずいぶん軽いノリの先生に見えたけれど、きちんと仕事をさせると、とてもわかりやすい説明をしてくれる人だし、僕たちの様子、状況に対してもしっかりと理解を示してくれる人だった。
「僕の、医者としての意見は、1ヶ月程度は安静にして、しっかりくっつくのを確認して、それからリハビリをして2ヶ月後くらいからラグビーをするというのが本音」
「だけど、出たいんだろ、最後の大会」
僕は小さく頷く。奥歯をぐぐと噛み締めながら。
「亀裂骨折はヒビと言われるから、逆に大丈夫と思ってしまって、あれこれ動かすものだから、意外と完治に時間がかかることも多いんだ。君の場合、元気だし、治るのも早そうだけど、だからこそ、絶対に2週間は、完全に安静にすること。これができれば、きちんと回復すれば、そこからは、ラグビーできるんじゃないかな」
「でも、これは、結構厳しいからね。肩を吊って固定するのは当然として、できる限り右手を使わない。右利きだろ。だけど、できれば、全てのことは左手でやるように。とにかく、1秒でも長く右手を固定して動かさないこと、その時間が長ければ長いほど、早く治るさ。当たり前だけどな。だけど、君たちのような年齢の子たちには、これがなんとも難しい」
僕はよくよく先生の言葉を噛み締める。そして、頭の中で復唱してみる。
「安静というのは、走るのはダメとして、歩くのは?」
「できる限り少ない方がいい。歩くと肩に振動がくるからね」
「ラグビーーボールを持ったりするのは」
「ダメだよ。肩に衝撃の加わることは絶対にやめよう。そこを徹底すれば、2、3週間で復帰というのは無理なことじゃない。だけど、そこをいい加減にして、体がすぐに戻るというのは幻想。しっかり肩にヒビは入ってるんだ。早く治したいなら、覚悟を持つべきだ。自分の日常を捨てる」
「それと、今日と明日はここに入院しよう。ちゃんと、肩を固定した状態での日常生活の仕方を指導するから。ご飯の食べ方、トイレの行き方、物の持ち方。意外と大事なんだよ、そういうところ」
入院か・・・と思う。僕は、まだ人生で入院をしたことがない。
「2日で大丈夫ですか?」
高田が確認する。
「うん、それ以上は必要ない」
「それなら大丈夫です。4日後の午後にバスで下山することになるので」
「おお、バスね。バスの座り方も大事だから、これはまた話すわ」
「センターに行っておくから、入院の準備をしてほしいな。荷物とかなんとかなる?」
「僕が車で持ってきます」
西脇先輩がすぐに役回りをかって出てくれる。先生はニコリとする。
「じゃあ、ちょっとここで待っていて。多分、センターの人が準備できたら呼びにきてくれるから。あと、親御さんにもちゃんと連絡しておくようにね。ただ、すぐにお見舞いに来てもらったり、引き取りに来てもらうほとのことではないとも言っておいて。少なくとも、命には絶対に関わらない。吉田くん、君がちゃんと安静にしてくれればいいだけだから」
そういうと、安藤先生はベンチから立ち上がる。そして、右奥の方を見て歩き出そうとして、ふと思いとどまる。
「吉田くんて、そういえば、ちょっと有名な選手なの?」
「え?」
そんなことはない。県代表にもなれない、独りよがりのラガーマンだ。
「うちの、ナースでさ、高校ラグビーマニアがいて、さっき、この記事見せてくれた」
そう言って、彼はスマホを持ち出して画面を見せてくれる。そこには、ラグビーの専門誌の「菅平レポート、期待の高校生」という小さなコラムに、僕と笠原が取り上げられている記事があった。スマホで20行くらいの小さな記事だ。そういえば、菅平の合宿の時に、去年の花園ベスト16との試合で、僕と笠原で2トライづつをあげて完勝した後に、その雑誌の記者だという女性に10分くらい取材を受けた。それから特に何もなかったし、最近、何回かそういうことはちょこちょこあったので、気にも止めていなかったけれど、きちんと、試合後の汗だくで、だけど笑顔の写真も載せてくれている記事だった。豪快なランの吉田、俊敏なランの笠原の2枚看板、と書いてある。
「初めて見ました。。」
「出たいだろうな、試合。僕も一応野球やってたんでね、高校までは。3回戦くらいしか行けないチームだったけど」
「辛抱だよ。辛抱。2週間、きっとこの2週間が自分を強くすると思って、辛抱するんだよ。期待してるよ」
辛抱することに期待されているのか、ラグビーに期待されているのか。きっと両方なのだろう。

 14時過ぎに病室に案内される。4人部屋だけれど、僕の他にはもう一人だけがいるらしい。早速、固いベッドの白いシーツに腰掛けてみる。
「僕と西脇さんは、一旦合宿所に戻るから。それで、荷物については、西脇さんがすぐに持ってきてくれる。まあ、何が必要かわからないから、全部詰め込んでくるから」
そう言い二人は足早に病室を後にする。

 一人になってしまうと、僕には恐ろしいくらいやることがなかった。自分のスマホは急なことだったのでグラウンドのカバンに入ったままだ。お金は、西脇先輩が、1000円おいて行ってくれた。冷えないようにと、高田は上着をかけてくれた。しかし、それ以外、僕には、何一つ持ち物がなかった。右肩はしっかりとテーピングで固定され、三角巾で釣られている。左手は自由だし、足腰は元気だけれど、先生の「辛抱だよ」という言葉は、僕にとっては生きるよすがのようになっている。辛抱するんだ。しっかり治すんだ。だってもしかしもない、と。試合に出るんだろ、と。
 痛みについては、痛み止めを打ってもらったので、ほとんど感じなくなっていた。だから、なんかもう、なんでもできるような気持ちも少しある。けれども、そこは自分をコントロールする。辛抱するんだ、と。
 やることはない。寝ることすら、横になることすら少し憚られる。ベッドに腰掛けていてボーッとしているのは落ち着かないので、窓際に行き、外を見てみる。4階の窓からは、左手にJRの線路が見え、駅舎のようなものが見える。右手には、思いの外大きな川が流れ、遠くには信州の山々が力強く連なっている。外は暑いのだろうか。しっかりと締め切られた室内は、少し蒸し暑さを感じる程度しかエアコンが効いていない。窓際の左側には、誰かが入院しているようだけれど、先ほどからその人は見当たらない。
 今こうしてただ眺めている信州の盆地の街並みは、穏やかで、街は夏色に映えている。しかし僕は、ほんの数時間前までの自分、千国駅の下のグラウンドで花園を目指していた自分を思うと、自分に愕然としないではいられなかった。
 頭の中で今朝のことを考える。あの、タックルに入る一瞬のこと、その瞬間のほんの少し前の自分を考える。そして、今こうして肩を吊り、2週間は絶対に安静にしろと言われている自分を思う。
 2週間だ。今日から2週間後は、ちょうど文化祭の前だ。文化祭の期間はどうしたところで部活は休みだから、実質、20日近く、僕はラグビーから完全に離れなければならない。その3週間後からは花園予選が始まる。僕の高校生活の全てをかけた大会が始まる。
 そのはずだった。
 しかし、今の僕には、その未来は変更を余儀なくされつつある。本当に2週間で骨は治るのか、そして、そこまで2週間、完全にラグビーから離れていた体は、そこからどのくらいの期間で、トップコンディションに戻るのだろう。花園予選に間に合うのだろうか。それとも・・・
 もしも、僕が予選に間に合わなかったらどうなるだろう。フルバックは仁田がやるか、笠原がやるかだろう。ただ、キック処理と、ランの自在性、ディフェンスの要としてのコントロールなど、フルバックとしての機能では彼らは数枚劣る。チームは順当に勝ち上がれるだろうか。
 もしも、あっけなく僕が出てないうちに負けてしまったら・・・

 西脇さんと高田が元ってきたのは、17時過ぎで、僕には2度と彼らが帰ってこないのではないかと何度も思うくらい、永遠のような長さに感じたので、二人の姿を見た時は、不覚にも少し涙ぐんでしまった。
「着替えと、スマホ。それとタブレットも持ってきた。これだけあれば、退屈は凌げるだろ」
「あと、吉田の家にも連絡しておいた。流石にずいぶん心配していた。明日の朝にはこっちに来るって」
「こっちに来る?僕の親が?」
余計なことを。。と思うけれども、まあ、高田にしても、僕の親にしても普通のことなのだろう。
「そりゃそうだろ。息子が入院して、はいそうですかよろしく、なんて親もいないだろ」
「んだよ、まったく」
やれやれだ。
「ちゃんと自分でも電話しとけよ」
「なあ、みんなどうだった。僕の状態聞いて」
「やっぱりな、という雰囲気だったよ。ちょっとしばらくは声がなかった。でも、1ヶ月で、準々決勝くらいには戻れるんだから、そこまでに負けなきゃいいんだよ、という感じだったな。今年はそんな簡単にベスト8以下のチームには負けないだろうし。仁田なんかは”よっしゃ、俺の出番っすね”って言ってたよ」
あのやろう。でも、そのポジティブさが嬉しい。絶対に、僕がいないから負けた、みたいなことになるなよ。今の仁田なら、相手が格上でない限りはきっと大丈夫だ。
 そんな様子を聞いて、少しホッとする。そして、大きくため息をつく。病室は段々と西陽の赤みを増していく。
「絶対戻ってこいよ。吉田」
西脇先輩が小さく呟く。
「はい。必ず戻ります。必ず」
唇を噛み締める。そして、またちょっと泣きそうになる。

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