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其の四 工場勤務と副業探し

 地方工場への開発機能移転は誰が考えてもそれほど簡単なことではない。『生産の国内回帰』に取り組む企業は多々あれど、中国での生産を行っていたから実現できていた製品コストを捨てて国内生産を行い工場の立て直しを図ろうとする企業はそうそうなかろう。それに加えて、工場側が我々を受け入れたくない事情は他にもあった。約5年前、この工場の主力製品はボードPCであった。様々な製品群を持つ会社が共通して使えるボードPCを開発・生産することで内需拡大を会社は狙っていて、僕らの部門とこの工場が組むことが当時の我々に課せられたミッションであった。だがIntel社のCPU「Atom」を積んだこのボードPC内製プロジェクトは急速に失速した。この頃からRaspberry PiやArduino, GR Sakuraなどなど様々な企業から安価で学生や電子工作が好きなアマチュアにも人気のある小型PCボードが爆発的に普及し始めた為だ。IntelのCPUにWindowsを載せたボードPCがArm社などの安価で必要十分なCPUとLinuxなど無料のOSを載せ、開発環境(CPUに書込むファームウェアのコーディングやデバッグなどを行えるツール)も無料で提供する製品にかなう訳がない。部門の移転前には機器の評価用設備の移転計画を立て、自分が住む物件の下見をし、自分の引越しよりも受け入れ態勢の構築を優先させられた。複雑な思いを抱えながら過ごす1週間のお盆休みはあっという間に過ぎ去って行った。

 9月に入り、僕たち出向者は20万円の準備金を渡される代わりに車で通勤することを指示された。だが今回のミッションはどう考えても上手く行きそうにないし、持って帰れない車を買うのはもったいない上に維持費もかかる。僕と同じ部署の先輩そして後輩の3名は、車は購入せず別の手段で通勤させてもらえないかと人事部門に相談し、結局電車とタクシーで通勤することになった。

 2015年10月、僕たちの工場勤務が始まった。初日、受入れに関する説明会が行われたがそこで説明された内容は駐車場のルールとか昼休みのシフトとか喫煙のルールとか、やや時代錯誤な説明が30分ほど行われ作業着と静電作業靴を渡されただけであった。今まで勤めていた事業所の受入れと比較すると雲泥の差である。数日後、我々は工場側が開催する歓迎会に招待された。その場に集まった数十名の工場の社員と僕たち出向者は一人ひとり短いスピーチをさせられた。その場で最も印象に残ったのは工場長と副工場長が声を揃えて「まぁ、せいぜい頑張って」と言ったことだった。上層部ですら信頼関係が構築されていないままでの開発部門移管、前途多難であることは明白であった。

 従来、僕たちの課が担っていた業務に加えて工場ならではの業務を僕らは行うこととなった。例えば製品の製造ラインで使う図面作りとか、部品表のメンテナンスとか、試作のための部品調達とか、梱包材の設計とか。とにかく中途入社して以降ずっと行っていなかった雑務がいくつも業務に加わった。工場で新たに中途採用された社員にメカ系の派遣さん、戦力の増強は微々たるものであったが、どうせならメカ設計も経験してみようと考え地方での業務を僕はゆっくりと開始した。

 プライベートにおいてはいくつかの課題を自分に課してみた。テレビは買わないこと(NHKに受信料をこれ以上払うつもりはなかった)、副業を始めること、好きな音楽を聴く時間を意識的に設けること、外食よりも極力自炊をすること、テニスやピアノのレッスンに通ってみること、ファブ施設に通うこと、本を読むこと。

 出向の資金を最初につっこんだのはハイレゾUSBアンプとスピーカーだった。学生時代に愛読していた音楽雑誌や好きなアーティストをFacebookでフォローしていたおかげで、聴きたいソースの情報はすぐに入ってくる。様々なアーティストの音源をPCに落とし、B&Wのスピーカーで聴く音楽はとても新鮮に感じられた。学生時代の気分が甦り、ずっと好きなR&BやJazzに加え昔は好きだったRock系の音楽も聞くようになった。地方とはいえ、その気になれば大きな街まで行きライブやフェスを観に行くことができ、CDにサインをしてもらったりすることができた。SNSの利点は多々あるが、友人関係を広げることだけでなく趣味や仕事の情報を得るためのニュースソースとして活用できることも大きなメリットであると気がついたのは大きな収穫であった。

 家族との連絡はFacetime(AppleのTV電話アプリ)やLine電話を使用し、自宅には月に2度帰ることに決めた。それ以上は金銭的負担があまりにも大きいからだ。趣味のテニスは出向先のマンションから自転車で通える距離にテニスクラブを見つけ、生まれて初めてレッスンを受けてみた。精神的に満たされない時に身体を動かすことが有用であることは昔から理解できていたからだ。そして何を副業にすべきか真剣に検討し始めたのであった。

 さて副業だが何が良いだろうか。前述のとおり専門的なスキルはあまり持ち合わせていないものの僕はモノを作る行為、クリエイティブなことが大好きだ。今までの経験を活かしつつ自分のクリエイティビティを伸ばすようなことを副業にしたい。そんなことを考えながら日々の業務をこなしていた頃、僕の好奇心を刺激するセミナーの広告をFacebookのニュースフィードが教えてくれた。このセミナーの講師はインターネット業界ではそこそこ有名な若手起業家(前出の氏名、年齢不詳の方の弟子らしい)と数多くのビジネス書などを手掛ける有名な編集者で、広告ツールとしてAppleのPodcastやAmazonの電子書籍をどう活用すべきかを教えてくれるという内容であった。心のどこかでエッセイや小説を書いてみたい、という願望を持っていた僕は2年前の師走、5千円を支払いセミナーの説明会に参加した。100人近くの参加者が居たであろうか。老若男女問わず、様々な職種の人々がとあるビルのセミナールームに集い、講師役を務める2名の登場を待った。

 セミナーの説明会はかなり充実した内容であった。Podcastのコンテンツをいかに制作するか、Amazonで電子書籍を出す手順はどうなのか、かなり具体的な説明が2時間程度でなされ、5千円という金額以上の価値を充分体感することができた。そしてその説明会の終わりにセミナーの具体的な内容や日程と金額が発表された。約40万円…ある程度予想はしていたし、他にも高額なセミナーが多々あることは知っていたのだが、一介のサラリーマンには厳しい金額である。参加者の半数は金額を聞いた瞬間に尻込みし、半数はなるほどそれ位はするよね、といった表情をしていた。セミナーの運営側は質問があれば丁寧に対応し、金額に躊躇する者には最後の一押しをしてくる。僕はというと社畜生活にピリオドを打ちたいという思いと、サラリーマンを続けストレスで潰されそうになりながらも安定した暮らしを続ける方が楽かもしれないという相反する思い、妻や子と一緒に過ごしたいという思いを持ちつつ、なんかきな臭い雰囲気を感じながらも件の編集者からセミナーの参加方法が記載された封筒を受け取り、このセミナーを人生のターニングポイントにしようとの誓いを立て、帰りの電車の中で申し込みのWeb手続きを行ったのである。

2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。