見出し画像

どんな『巨人』の肩に立つかを考える

 『巨人の肩の上に立つ』という言葉を耳にした事があるのではないだろうか。これは「自分の業績は誰か(先人)の業績の上に載っていて、そしてその自分の成し遂げた事が、次の世代の礎になる」というような意味で使われる事が多い言葉だ。

 僕のお気に入りの本、「マクルーハンはメッセージ」(服部 桂著)の帯に記載された推薦文でもこんな風に使われている。

 インターネットが普及するまでは、僕らが乗る事ができる『巨人』はその対象が限られていた。

 例えば大学。普通の学部生は卒業論文の研究を始める際に、それまでその研究室で行われていた研究内容や論文をベースに、何か新しい要素を加えたり、切り口を変えたりする事をして来た経験がある方は多いのではないだろうか。
 例えば企業。僕が最初に勤めたカーオーディオメイカーでは、◯◯年度モデルは、MP3に加えWMAもデコード出来るようにアップグレードし…みたいな事が何年も続いていた。

 これらのケースでは、我々が肩に乗った『巨人』は先輩であり、文献や書籍を作成された方であり、技術を提供してくれた企業であった。もう少し広い意味で考えるのであれば、実験機器を用意してくれた方や、様々な技術を開発してくれた方も含まれることになる。

 今はとてもいい時代で、肩に乗りたい『巨人』は自由に選択できる時代と言えるであろう。

 僕が「肩に乗れる」と考えている『巨人』はスティーブ・ジョブズだ。

 ジョブズの功績については書籍や映画など様々な媒体で語られているので、敢えて私見を述べるつもりはない。

 ジョブズのネガティヴな面に目を向けるのであればアップルについて語るときに欠かせない、もう一人のスティーブ、ウォズニアックの発言に着目してみるといい。「ジョブズはコードを書けない」とか「金に執着しすぎる」とか結構辛辣なコメントをウォズはしている。

 肩に乗りたい『巨人』がジョブズのように故人である場合には、『巨人』の良いところをトレースし、悪いところは弱める努力をすれば良いだけだ。

 僕が『ジョブズの肩の上に立ち』プロジェクトマネジメントをするのであれば、彼のように「製品のイメージ」や何があっても譲れない「拘りポイント」を明確に持ち、なおかつ彼にはできなかった「コードレビュー」や「回路レビュー」もしっかり行えば良いのである。
 もちろん、彼が製品開発にどの程度関わっていたのか、例えば開発プロジェクトの期間や費用はどの程度把握し決定権を持っていたのか、などの細かいところは解らない。ここ日本と米国で職場環境がどの程度異なるのかも、プロジェクトに関わる人数も、エンジニアのレベルがどの程度であるのかも、殆どのことは想像してみるしかない。

 僕ら現代人はとてもラッキーだ。インターネットによりどんな『巨人』の肩に立つかは選び放題だ。歴史を学び、自分で自分の未来を切り開く事ができる。これはとても幸せな事だと僕は思う。


2019年はフリーターとしてスタートしました。 サポートしていただけたら、急いで起業します。