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人間社会とは動物園である

望んでるんだよ、皆がそんな世界を。人々自らが選んでる、そんなのは防ぎようがない。

許しなどいらないと、快楽主義に溺れ、欲望の限りをつくして生きていたいと願う、それを邪魔するものは敵視する。全ての人が支配欲を持ち、自分に従わせたがってる、そのニューロンの流れが世の中を形作る。


皆同じになれと、支配されたい、支配したい、その二元論で世の中を見て決めている。善悪の知恵を使い双方から1つを選び、どちらが上かを競い合う。勝利すれば支配者となり、敗北すれば支配下、その繰り返しをしているだけ。


支配を望む者と、支配下を望む者、それが人間の二元論、善悪である。人の羞恥心を攻撃しマウントに立ち従わせたがる、上や下の善悪を使い争い続ける。その呪縛からは逃れられない、どんなに考えても自分自身の中に植えつけられた禁断の果実が騒ぎ立てる。

蛇による支配は人間の深い部分、脳と心、細胞、DNAの隅々にまで行き渡り侵食した、我々は自我など最初から持っていなかった。元々から操られている生き物、その支配からは逃げられない。


その呪縛はこの肉体がある限りは、永遠と続く。人々が自ら選んだ選択肢、何者の策略でも陰謀でもない。陰謀など元々から無かった、これは自らが選んだ世界。

支配する者、支配される者しかいない。それが神の言葉を信じず、蛇を信じ拝んでしまった結果、その苦しみを持って生きる罪。人間は決してその呪縛からは逃げられない。


愛なんて無い、あるのは欲望、恐怖支配、優越にマウント、羞恥心とパラノイア、善悪の知恵、誰かのために死ねる者はいない。深き愛がなければ自己犠牲を選ぶことはできない、物欲色欲拝金主義、それが心の中を侵食し蝕み、どうあがいても逃れられない闇の中に引きずり込む。

いらないとする事はできない、皆が欲しがる、それを刺激するのが我々の支配者となる悪魔である。その支配者が神を滑稽と笑い飛ばす。愛を鷲掴みにして投げ捨てる。


世の中にはヘドロが渦巻いている、人をこけ下ろし、蔑み、見下し、馬鹿にし、屁理屈や論破、他者を貶め引きずり下ろし自らが這い上がるのに必死、それしか無い。まさに蜘蛛の糸、我こそは、我こそは、上へ上へ這い上がろうとするが、その大勢の我欲の重みによって糸は切れてしまう。



自分が一番、上であると、下には下の攻防があり、上には上の攻防がある。平等など無い、あるのは人を蹴落として上を這い上がるための人柱。

支配のピラミッドは人の上に人がある肉のモニュメント、全ての人を平等にするにはそれを崩れさせる必要がある。上に登りたがる者がいてはいけない。頂点に登るには肉の塊であるピラミッドの階段が必要、それがバベルの塔となり神へ挑戦する肉の建造物となる。



この支配構造そのものがバベルの塔。神を信じない者達が築いた蛇の城、それが人類。


やがて、その人類は神の力により淘汰される蛇道の極みを辿る。過去と未来が繰り返される時空間の中で、人間は何度も何度も同じ過ちを繰り返し、最終的には無謀にも神に挑戦する、愛なき欲望だけの肉の塊に過ぎない未熟なる生き物。

人の上に生きる事は、人の肉の土台の上に生きる事。それが人間社会の当たり前、常識となる。誰一人その獣の檻からは抜けられない、それが我々が生きる世界。


人間社会とは動物園である。





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