力川馨予 (ちからがわ かよ)

生活や日常の延長に存在しそうな小説を書いていきたいと思います。やっかいで生きている限り…

力川馨予 (ちからがわ かよ)

生活や日常の延長に存在しそうな小説を書いていきたいと思います。やっかいで生きている限りそれと係っていく人の気持ちというものもちゃんと書き込んでいけたらいいと思っています。エッセイも書いています。

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最近の記事

氷見民宿で味わう冬の味覚

 氷見市中心街を過ぎて北方向に位置する、城ケ崎に近く、富山湾の入江に沿った海辺にこの民宿はある。すぐ目の前に日本海が広がり、磯の風と香りが心地いい。部屋の窓からも海が見渡せ、晴れた日には海岸線の向こうに雪に覆われた立山連峰が一望できる。時々、かもめが鳴きながら飛び交う。    この宿で仕入れる魚介類は皆、地元富山湾で漁獲され、年間を通して新鮮な料理が食卓に上る。米や野菜も地物の旬の食材を用い、季節の味でもてなしてくれる。 「海が時化ると魚が捕れませんので、献立はその日によって

    • サービスエリアのペレットストーブ

       一晩中降り続いた雪の晴れた朝は、降り積もった雪が町の喧噪を吸い込んでしまい、澄んだ空気の清々しさ、どこからか感じる日差しの明るさが、静けさと束の間の安らぎのような希望を感じさせる。           自然の恩恵は、幼い時のいろいろな思い出に繋がる。その頃の冬は積雪が多かったので、二階の家の窓からスキーができたし、学校の体育の授業でもスキーがあった。雪の多い日は、かまくらを作って、中でぜんざいを食べた。練炭の炬燵は勉強机代わりだったし、夜は豆炭の行火(あんか)をして寝た。電

      • 五木寛之著書「親鸞」

          彷徨える若き親鸞と取り巻く人々の専修念仏を巡る物語                       五木寛之氏の「親鸞」は、ともかく分かりやすい。いろんな仏教用語が散りばめられてはいるが、なぜ親鸞が比叡山へ入ろうと思ったか、又、そこを出て法然の下を訪ねようとしたか、動機がよく分かる。  どのような悪人でも救われるのか、人はなぜ苦しんで生きるのか、その答えを求めて入った比叡山はそこで二十年を経た親鸞には根源的な問いを満たしてくれる場所では無かった。そして彼は念仏を唱えれば誰でも

        • 母と時代についての覚え書き

           この文章を読まれた方には内輪のことで全く関心のないことかもしれないが、私は母が中年になってできた子なので、母親も九十を過ぎ高齢のため、この辺で親孝行を兼ねて母親の人生を聞き書きで大まかにまとめてみた。知らない古い時代が興味深かったので、載せてみようと思う。  母の生家は山里の寺で兄弟は女五人、男三人の四女だった。  兄弟は仲が良く、上の者が下の者の勉強をみたりして面倒をみたそうだ。冬の夜は暖房の代わりに兄弟で足をくっつけ合って寝た。  冬の娯楽は炬燵の上でカルタ。炬燵は家

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          母の回復

           去年の秋から母がベッド生活を送るようになって、この頃、だんだんと小康を取り戻してきた。ベッドでしか食べられなかった食事が最近は茶の間に来て食べられるようになった。私が食事を食べさせるのは母も私もやってはいられない。だから私が作ったおむすびや汁けの少ないおかずは、スプーンは使いにくいと言って、母は手でつかんで食べていた。    去年の十月、背骨の圧迫骨折をしたときは、身体の自由もあまりきかなかったので、ベッドからほとんど動かず、顔つきもげっそりと生気の失せた病人顔をしていた。

          「浴衣でお茶会婚活」に参加してみた

          NPO主催「浴衣でお茶会」婚活に参加してみた。二十歳以上、ということで私もいわゆる適齢期などはとっくの昔に過ぎているが二十歳以上に間違いはなし、枠内にありと、ちゃっかり参加してみた。  大急ぎで姪から派手目の浴衣を借りて、姪に汗だくになって帯を結んでもらって車で大移動。地図を見ながらなんとかその場所に到着。  主催者のあいさつ。 「我々の進めるシードプロジェクトですが、シードとは種のことをいいます。人のシード、野菜のシード、花のシード、人のシード。出逢いの種、社会

          「浴衣でお茶会婚活」に参加してみた

          百万石茶会

           百万石茶会とは百万石祭り当日に開かれる大寄せの茶会である。兼六園近辺で各流派の茶席が設けられる。私が向かう場所は、兼六園の、時雨亭。兼六園真弓坂口から坂道を上り、左手に瓢池(ひさごいけ)を眺めながら坂上まで行くと左前方に見えてくる。  六月初旬、暑くもなく、少し曇りがかった、過ごしやすい日。  入口では袴をはいた若い男性が出迎えてくれる。  案内された待合では三方を明け渡した待合の座敷を涼風が通り、顔に心地よい。時々、鳥の声が聞こえる。灯籠の近くの松が見事な枝振り。鮮やか

          妹―― 葬儀を終えて

                                           香芳の三つ違いの妹、和香子が膵臓癌で四十五歳で亡くなって、もう、六年が経つ。香芳は、東京の出版社で結婚もせず働いていたが、会社が倒産して田舎に帰り、今後の身の振り方を考えていた矢先、妹が亡くなった。  母、珠緒は七十六歳という齢だし、実家が寺だったので香芳は妹の家族に頼まれて家業の手伝い兼家事を手伝うために実家に戻ることになった。  妹の家族は、長男典史は京都の大学を出て金沢の教務所で働いていたが和香子の三

          妹―― 葬儀を終えて

          ケア・マネージャーさん

           母が昨年十月から背中の骨の圧迫骨折をした。畳であおむけに転んだ際になったらしい。圧迫骨折をしたことでコルセットをしてしばらくは安静にしなければならないので、畳の生活はできない。慌てて、介護用電動ベッドとポータブルトイレを買いに行った。  脊柱管狭窄症が八、九年前から出ていたので、以前からベッドでの生活は覚悟していたことだったが。風邪で寝込むことさえなかった人だが、この時は来た。  背中に圧迫骨折をしたせいか、脊柱管狭窄症からくる足の痺れが強くなり、腰は動かしただけで痛いと言

          ケア・マネージャーさん

          梅干し漬け

           去年は梅干しを漬けなかったので、今年は市販の物で間に合わせたのだが、母が「買った梅干しはおいしなあて」「おかゆを食べるとき、梅干し食べたあなる」と言って、去年、我が家で漬けなかったことを繰り返し残念がった。  梅干しは、体によいだけでなくお握りに欠かせないし、いろいろな料理の味付けにも使えて、確かに重宝な保存食だ。  一昨年、私も初めて梅干し漬けを手伝ってみたことがあった。  しかし、その行程の一つ、紫蘇揉みで、早くも音を上げてしまった。塩を振って、紫蘇の葉がくたくたにな

          美しい風景――買い物依存が止まらなくて

                                    橋の上や保養所の側の雑木林から見る美しい柴山潟と白山連峰。冬には、シベリアから渡って来て羽を休める白鳥たち。朝日や夕日を受けて輝く湖面の息を飲むような煌めき……。湖水の淡いグレーが茜色に染められて朝日が昇り、やがて時間が経つと刻々とその色を移していく。点描で描いたような煌めく湖面が、その季節や日によってあるときはブルーに変わり、あるときはエメラルド色に輝く……。    夕方になると辺りを茜色の濃淡に染めて夕日が落ち、天上と湖

          美しい風景――買い物依存が止まらなくて

          子どもはなぜ学校へ行かなければいけないんだろう

           子どもはなぜ学校へ行かねばならないのだろう。祖父は「芙美、中学くらい出ていないとこれからどうする」と言うが、私にはそれがわからない。自分が大人になって中年になったときのことなど考えることもできないからだ。なぜ、月曜日に自由に近くの公園へ行ったり、火曜日に教会へ行ったりしてはいけないのだろう。    ママにそれを言うと「そんなこと考えたこともなかったわ。子どもは学校へ行くものだと思っていたわ」と言った。でも私は友だちとのおしゃべりが正直苦手だった。何人かで意見が合ったりすると

          子どもはなぜ学校へ行かなければいけないんだろう

          思いがけない成り行き(後編)

           今年は、一月から二月にかけて、大変な大雪に見舞われた。ちょうど、そのピークのときに出版社の編集長に会うため、真紀は東京に出かけることになったのだった。  編集者と会い、そして東京からの帰り道は天候が少し崩れだしていた。しかし真紀は往復バスの帰りの乗車券を解約しないで雪模様の中、そのままバスに乗り込んでしまった。すると行きの晴れ模様はどこへやら、帰り道の高速道は途中からひどい悪天候に見舞われた。前方が見えない程降り続ける雪の中を進むことになった。   車窓を覆うように横殴り

          思いがけない成り行き(後編)

          思いがけない成り行き (前編)

           東京は大学時代の短い青春の時を刻んだなつかしい場所だったが、またこうして訪れるようになるとは思わなかった。東京へは高槻という編集者に呼び出されて会いに行くようになった。高槻は主に旅雑誌を出している出版社の編集者でそこの経営者でもあった。彼との出会いは、出版系の人たちが日替わりで運営している喫茶店だった。ネットでその店を知り、東京でライター講座を受けているので、その帰り、出かけてみた。  そこでマスターと話をしている高槻を見かけたのだった。話の様子から出版社の編集長をしてい

          思いがけない成り行き (前編)

          婚活事情ー佳織の場合

           今日の夕方の予定はというと、ブライダル会社の企画したお見合いパーティが入っている。全国ネットで展開するこの会社は、様々な形での出会いを提供していて、中でもパーティ形式が一番気軽に思われた。   父や母も亡くなり身辺が寂しい佳織は、先々心の支えになる人を見つけられたら、と思って一度は試しに参加することを決めていた。来月になれば五十三歳の誕生日が来るので、一つでも若いうちに出ておきたい。パーティ会場へ急ぐ。   雪道を地図を片手にやっと、高岡にあるホテル会場にたどり着いた。

          婚活事情ー佳織の場合

          そのときが来て

           裏庭に夏椿が点々と枯れ落ちていた。  先日見たときは夏椿と白と紫の杜若が緑の中に鮮やかに映えていた。今日はそれもみな咲き終わって、しとしと梅雨の長雨の中に、庭の木々や草花は潤んでいる。  裏庭の路地は、夫の隆が数年かけて苔をひき、雑草を間引いてきたものだ。夏椿、柿の木、花みずき、躑躅、芍薬、ばらん、楓、紫陽花。今も年に二回は庭師に手を入れてもらっている。  そして家の前の庭には、四季折々の花が所狭しと植えられている。 百合、忘れなぐさ、紫陽花、チューリップ、パンジー、スノ